勉強はなぜつらいのだろう

勉強の始まりはなんでしょうか。私は、

文章を字句通りにスラスラと読めること

だと思います。

はなまるゼミナールでは、国語の本文は音読を基本としております。スラスラ読める子もいれば、つまりつまり読む子もおります。それは良いのですが、聞いているだけでは「スラスラ」読めているようでも、実は「自分勝手な」読み方、つまり読み違いをしている子どもが少なからずおります。「読み違い」をしていれば、文章を「スラスラ」読んでるようでも、内容はまったく理解できてはいません

しかし、実際に、子どもたちに音読してもらい、きちっと字句通りに読めているかチェックしながら授業を進めていくと、数ヶ月語には、字句通りに読めていくようになります。時間も手間もかかりますが、やはりこれが基本だと思います。文章が字句通りに読めないと、国語はおろか、算数だって、理科だって、社会だって、本当の意味で理解はできません。もちろん、好きな教科であれば、「何となく分かる」ということはあります。しかし、それでは「真の力」とは言えません。

書いてあることが分からないと、勉強も苦痛です。いくら見直しても、間違えのやり直しをしても答えが合いません。ますます嫌になります。内容が分かっていないのですから、答えが分からなくて当然です。ですが、文章がスラスラと字句通りに読めてくると、勉強がかなり楽になるのです。

子どもがはじめて、コマ無しの自転車に乗ったときを思い出してみるとわかりやすいかも知れません。頭の中は倒れるのではないかと恐怖でいっぱいになり、手には余計な力は入り、ガチガチになったりします。しかし、なれると、まったくそんなことは気にせずに、楽に自転車をこぎます。

勉強もやはり同じことではないかと思います。はじめは、いろいろと考えたり、余計な力が入って疲れるかも知れませんが、一度なれてくると、そんなにも辛いものではありません。もちろん、自転車に乗って、さっそうと外に出かけるのと比べると、勉強はそんなに楽しいことばかりではありません。しかし、コツコツと練習をし続ければ、やがてさっそうと勉強の世界に入り込めるようになると思います。そうなっていくような学習の指導を目指しています。

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夢を実現するには我慢し努力しなければならない

面白い記事を見つけました。
「漫画家になりたい孫」に困っている女性へ、岡田斗司夫さんがアドバイスをされているのです。
岡田さんは言います。
「おばあちゃん、「ナルナル詐欺」に騙されています」
なぜ、「漫画家になる」という夢がなぜ「詐欺」なのか。それは、

「漫画家になることを目標として設定し、やりたいことを我慢してそれに向けて、努力していない」

からだと断言します。
さらに、「親は子の「夢」の応援をしてはいけない、「目標」を応援すべき」とも言っておられます。
なるほどです。
長年、塾教師をやっていて、子どもたちと面談を繰り返しておりますと、「勉強がどうしても嫌いな子」や「努力するのが嫌いな子」に限って、安易な「夢」を語ります。
たとえば、女子であれば「美容師」「ネイルアーティスト」「パティシエ」などが多いです。もちろん、本当にやりたい仕事であれば良いのですが、彼女たちと話をしていると、本当になりたいというよりも、現実から「逃げ」てるなと感じることが多いのです。
岡田さんの言うように、それが本当に「なりたい、やりたい」目標であるならば、いろいろなことを我慢して努力する必要があるでしょう。しかし、我慢したり、努力したりもせずに、「○○になりたい!」だけでは、なれるはずもなく、「ナルナル詐欺」と言われても仕方ありません。
かつて、大リーグで活躍するイチロー選手が小学6年生だったときの作文を紹介しました。イチロー少年は、プロ野球選手という夢を叶えるために、友だちともほとんど遊ばず、年中、辛い練習を行うのです。これこそ、目標を実現するために、我慢し努力している姿と言えるでしょう。
もし、お子さまの「ナルナル詐欺」に悩まれている保護者の方がおられましたら、上記リンク先を参考にしていただき、

「そんなになりたいなら、やりたいことを我慢して、その実現に向けて努力しなさい! 応援してあげるから」

と背中を押してみてあげてはいかがでしょうか。
どれだけ真剣なのかが、分かるのではないかと思います。

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長所と短所

中学3年生を指導していると、面接や願書を書く段になって
「先生、私の長所って何ですか?」
と聞いてくる生徒が増えてきます。そして、
「短所ならいっぱいあるんやけど」
と付け加えます。
私は、そのたびごとに、「僕は、君には長所はいっぱいあると思うで。君はどう思う?」と対話しながら、長所をまとめていくようにしています。
私もそうですが、日本人は、自己を表現することが苦手とされています。なかなか、自分の長所が認められないんですね。子どもたちもそうです。「短所」はずらずらと並べられるのに、いざ「長所」となると、照れもあるとは思いますが、なかなか出てきません。
しかし、中学3年生にもなってくると、体格もずいぶん立派になってきます。法律的に言うと、中学卒業後は働いても良いわけですから、もう「大人」の仲間入りできるわけです。そんな彼らが自分の「短所」ばかりが目について、「長所」が目につかないというのは、やはり辛いところです。
「長所」について話をするのは、子どもたちばかりではありません。親御さんとそういう話をすることもあります。
というのも、やはり母親も我が子の「短所」ばかりが目についてしまい、良いところが見えないのです。
そんなときには、「いや、お母さん、それは彼(彼女)の「悪いところ」ではなくて、「良いところ」ですよ」と、見方の違いを説明したりします。
子どもが自分のイヤなところばかりが目について、自己否定感にとらわれる。親御さんが我が子の悪いところばかり目について、「どこで育て方を間違えたのか」と悩んでしまう。そんなことばかりではしんどいですよね。
しかし、私は、
「その短所は本当に短所なのか」
と思うことはよくあります。
「自分の声が嫌いだ」といつも言っていた友人がおりましたが、カラオケなんか行くと、そのハスキーな感じの声が良いんですね。自分で思っている「短所」なんかは、意外と他人からすると、いい所だったりするんですね。
親御さんと話していて、

「うちの子、せっかちで直したいんですが」

ということを相談されたりします。しかし、私からすると、その子は往々にして、「頭の回転の速い子」として評価していたりします。ですので、

「いや、彼(彼女)の頭の回転の良さをもっと大切にしてあげたいので、直すというより、せっかちで失敗する部分をなくしていく方を考えていきましょう」

などといったりします。
また、「自己中心的で、人の話を聞かない、ガンコなんです」なんていうのも聞きます。しかし、これも私からすると、「悪い」というより「自分の意見を確固として持っており、むしろたくましい」感じがする子が多かったりします。
もちろん、本当に悪ければ、それは直すべきだと思いますが、「自己中心的な考えの子」を100%変えていくのではなく、彼(彼女)の「自分の意見をしっかり持っている面」を大切に認めてあげながら、部分的に問題が起きたときに修正していくという方が、子どもも自己肯定感の中で、生きていけるのではないかと思います。
こうなってくると、それはもう「短所」ではなく、その子の「長所」になります。
「短所」を「長所」に変えてしまえれば、子どもたち1人ひとりの個性がより豊かに伸ばせるのではないでしょうか。

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ハーバード大学図書館にある「21の教訓」

アメリカ、ハーバード大学の図書館に以下のような「20の教訓」が書かれてあるとネットで見つけました。

1. 今、居眠りすれば、あなたは夢をみる。
 今、勉強すれば、あなたの夢はかなう。
2. あなたがムダにした今日はどれだけの人が願っても
 かなわなかった未来である。 
3. 勉強にはげむ苦しさは今だけであり、勉強しなかった苦しさは一生続く。 
4. 明日やるのではなく今日やろう。
5. 時間は絶えず去りつつある。 
6. 学習は時間がないからできないものではなく、
 努力が欠くからできないものである。
7. 幸福には順位はないが、成功には順位がある。
8. 学習は人生の全てではないが、人生の一部として続くものである。
9. 学習する事が人生の全てとは言わないが、
 学習すらできぬものに何ができるのであろうか。
10. 人より早く起き、人より努力して、
 初めて成功の味を真に噛みしめる事ができる。
11. なまけものの人が成功する事は決してない、
 真に成功を収める者には徹底した自己管理と忍耐力が必須である。
12. 時間が過ぎるのはとてもはやい。
13. 今の涎は将来の涙となる。
14. 犬の様に学び、紳士の様に遊べ。
15. 今日歩けば、明日は走るしかない。
16. 一番現実的な人は、自分の未来に投資する。 
17. 教育の優劣が収入の優劣 。
18. 過ぎ去った今日は二度と帰ってこない。
19. 今、この瞬間も相手は読書をして力を身につけている。
20. 努力せずして結果はない。

とても面白い「教訓」です。

しかし、この「20の教訓」、ネット上でとても有名だそうなのですが、実は全くのデマだそうで、ハーバード大学も公式に否定しています。たしかに、よくできてはいるのですが、ちまたにあふれている「自己啓発本」のたぐいによく書かれているものばかりです。

デマであっても、この「20の教訓」から学ぶことはあると思います。そして、もうひとつの教訓は「ネットでのデマ」を鵜呑みにしてはならないということでしょう。

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子どもの学習と親の関わり方【2】

3つめのグラフは《「勉強しなさい」という声かけと子どもの学習時間の関係》となっています。
ここで、確認したいのは、小学校低学年までは、「勉強しなさい」という声かけをした方が、勉強時間が長くなる傾向にあるのに対して、中学生においては「勉強しなさい」と声かけをしない方が勉強時間が長いということです。

私は、これを子どもの自立の問題と考えます。
つまり、小学生低学年は、まだまだ親御さんが「育てる」という側面が強いのに対して、中学生くらいになると自立心が出てくるので、むしろ子どもの自立心を信用するくらいの方が子どもは自律的に学習するということではないかと思うのです。

さて、問題は、子どもが自律的に学習できるようになるのはいつ、そしてどのようにしてかということではないでしょうか。
グラフを見ると、小5~小6あたりが「我が子を信頼して手を離していく」時期なのではないかと思います。とすると、小4あたりから「なぜ勉強するのか」など、子どもが自律的に勉強できるような話をしていくと良いのかも知れません。

4つめは《子どもと将来や進路について話をする》グラフです。
はなまるゼミナールでは、コーチングに基づき、授業を進めております。したがって、「なぜ、勉強しなければならないのか」「宿題はなぜあるのか」などを適宜、子どもたちに話しながら、子どもたちの自立を促しております。先日も、小学6年生に「中学生に進学するにあたって」という講義をしました。子どもたちが、緊張感とともに顔つきが締まっておりました。また、保護者の方からも、「家に帰ってからいろいろと話をしてくれ、中学生になったらついて行けるかと心配だったが、少し安心した」などと言ってもらっております。

私は、子どもたちには、その段階に応じて、「将来や進路」の話はかならずする必要があると思っております。
さて、グラフにおいては、小5、小6においては8割近くの親御さんが子どもと「将来や進路」の話をしておられます。中3生では9割を越える方が話をしておられるのですが、中3になってからでは少し遅いのではないかと私は思います。

というのも、どこの高校に行くかで一定程度、人生の幅が決まってきます。当然、高校で人生のすべてが決まるわけではありません。しかし、高校によって合格する大学はだいたい決まっていることから考えると、中3までには一定の目標を設定した方が良いのではないかと思います。中3で「将来や進路」の話をし、「それなら大学に行かなきゃね、じゃあ○○高校に通おう」となったとしても、その時点で実力や成績が間に合っていれば良いですが、間に合っていなければ、なんのために「将来や進路」の話をしたか分かりません。まるで、「無理である確認」をしたかのようになってしまいます。

理想を言うと、小6あたりから段階を経ながら、中2くらいまで少しづつ「将来や進路」について話し合いながら、学力をつけていき、最終的に中学3年生では「夢や希望」に見合う高校を受験するという形が良いのではないかと思います。

最後のグラフは、《子どもと将来や進路について話す割合と学習時間との関係》です。
大変興味深いのは、若干の変動はあるものの、小学1年生~中学3年生において、すべての学年で「将来や進路」について話をしている子どもほど、学習時間が多いということです。

とりわけても注目すべきは、小4~小6にかけては「将来や進路」について話をすれば、子ども自身がきちんとそれを理解し、学習に励んでいる様子がうかがえます。うまく子どもたちが自律的に行動している証拠でしょう。

しかし、よく考えてみると、当たり前のことかも知れません。人間は、本来、みずからの頭で考え、行動する動物ですから、「頭ごなしにやりなさい」と言われるよりも、「理由が分かった上でみずからやる」方が人間の特性に合っていると思います。

ただ、中1、中2においては、学習時間は下がっています。この辺りで、さきに書いたように「勉強しなさい」と親御さんが言わざる得ない状況が分かります。本来なら、自分の「夢や希望」に向かって、さらに学習に励まないといけないのですが、なぜだか下がっております。

この原因の1つは、「話す内容」にあるのではないかと思っております。中学生というのは、義務教育が終わる学年であり、いわば「大人になるための練習期間」でもあります。ほとんどの中学生が高校進学する時代であるとは言え、希望すれば、就職することだってできるわけですし、実際にしょうなりといえども社会人になる子どももおります。周りの大人はそうした中学生を「大人への訓練生」として見る必要があります。

つまり、小学生に話す内容に比べ、中学生に話す内容は「子供だまし」のようなものではなく、現実的でないといけないと思うのです。しかし、むずかしいことは、あまりにも現実的すぎるのも良くありません。子どもたちは、まだまだ磨けば磨くほど光る原石なわけですから、「夢や希望」を残しつつ、リアルな「将来や進路」についての話をしてやる必要があるのではないでしょうか。ここで、「小学生のときに言っていた内容と変わらないこと」を言っていると、子どもたちに見透かされてしまい、逆効果になってしまうかも知れません。

ただ、中学生は思春期でもあり、むずかしい年頃です。親がいくら良いことを言っても、子どもは聞く耳を持たない年頃です。むしろ、こうした時期には、学校や塾の教師、あるいは親戚など、ちょっと距離の離れた人に「少し将来や進路」について話をしてもらった方が良い時期かも知れません。

ですが、グラフを見る限り、中学3年生になると、また、学習意欲に燃え、勉強するわけですから、中1、中2で「反抗的になった」と嘆くのではなく、もう少し長い目で見ていく必要があると思います。

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手抜きはなんともかっこが悪い

Pitchi Ipnotizzatore
Creative Commons License photo credit: silgeo

勉強にしても、習い事にしても、せっかく時間をかけて何かをしても、手を抜けば、中途半端にしか身につかない。

サッカーチームに入っていても、手を抜き、サボっていれば、上達なんかしない。で、学校の体育の授業なんかでサッカーがあったりすると、「え~、サッカーチームに入ってるのに、なんで、そんなに下手なん?」なんていわれて恥ずかしい思いをしたりする。なんともかっこが悪い。

塾に通っていても、手を抜き、サボっていれば、身につかない。それで成績なんか上がるはずもない。

で、テストで悪い点を取って、友だちや周りに人から、「あんた、それで塾に行ってるの?」なんていわれ、かっこわるい思いをする。

何をするにも、集中して、努力する。がんばれば、必ず身につく。身につけば、友だちもお父さんもお母さんも、認めてくれる。

身につくように努力すれば、かならずむくわれるのだ。がんばろうね!

 


勇気を持って行動しよう

Ballet 3
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子どもたちを見ていると、じっ~~と問題を見て動かない子がいたりします。また、授業中に当てても、何も答えない子がいたりします。それぞれにはいろいろな原因があるのだと思いますが、1つには

まちがうのがイヤだ

という気持ちが強く働いている場合が多いのではないかと思います。

子どもたちには、いつも

大いにまちがえばいい

といっていますが、それでも自分が「まちがえる」のに戸惑う子どもが多いのです。

確かに、何もしなければ、「まちがう」ことはないでしょう。しかし、それでは何の発展もありません。まちがうことは、確かにイヤなことですし、人前でまちがうと恥ずかしかったりしますが、そういう経験もまたとても大切なことです。「まちがう」のがイヤなら、次にまちがわないように、注意深く行動したり、工夫をしたりすればいいだけのことです。それが、次の自分へとレベルアップさせるのです。

また、私はこうも思います。

まちがうのが恥ずかしいって? 君はそんなに完璧な人間なの?

日々、成長であり、自分の成長を目標にしていると、まちがうことの恥ずかしさよりも、「成長する楽しみ」のウエイトが高くなります。そもそも、まだまだ成長中、発展中であれば、間違いは当然です。学んでいる最中に、「完璧な自分」など存在しないのです。

子どもたちには、大いに開き直ってもらいたいと思っています。

自分はまだまだ成長途中だ! だから、いっぱいまちがうし、いっぱい学ぶ。それでいいんだ!


本気でやるときもちいい

Free Four Teens Jumping in Parking Lot Creative Commons
相田みつをさんの詩です。

なんでもいいからさ
本気でやってごらん
本気でやれば たのしいから
本気でやれば つかれないから
つかれても つかれが さわやかだから
相田みつを

本当にいい詩だと思います。

私は、もう20年以上、塾講師をやっておりますが、年々、子どもたちが「用心深く」なり、「本気で」なにかにとりくめる子が減っているような気がしてなりません。もちろん、子どもたちをそのように育ててしまっているのは、私たち大人がそういう社会を作ってしまっているのが原因であることも忘れてはなりません。

しかし、一方では「社会が問題だ!」ともいっていられません。それとは別の問題として、子どもたちには、何をするにも「本気で」やってほしいと思います。

何事も、本気でやれば、けっこう面白かったりします。また、なんらかの成果があったりします。もちろん、その成果はすぐに出るものもあれば、数年後に気づくこと、気はつかないけれど、子どもの成育において実は影響があったりすることもあります。

本気でやるということは、そういうことじゃないかなと思ったりします。

もちろん、勉強にせよ、スポーツにせよ、本気ですれば、疲れます。しかし、こうした「疲れ」は、けっしてイヤなものではなく、むしろ爽快だったりします。といっても、勉強の場合は、多くの子どもが「いやな疲れ」としてとらえるかもしれません。勉強をがんばって、「爽快な疲れ」にしていくためには、いろいろ方法があると思います。

主体的にいうと、「なぜ勉強しているのか」ということが子どもの中にはっきりしていれば、みずから学習をおこなえるようになり、やり終えたときには達成感をもった疲れになるでしょう。客体的にいうと、やはり親御さんがほめてあげることだと思います。大変集中してがんばったら、「よくがんばったね」といってあげることで、「学習の疲れ」が癒やされるのではないでしょうか。

子どもが子どものうちに、勉強もスポーツと同じように「本気でやるときもちいいんだ」ということを学ばせたいところです。


子どもへの評価

Free Child Buried in The Sand Creative Commons
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保護者の皆様にとっては、つい我が子と周りの子と比べてみたりしてしまうことがないでしょうか。往々にして、「隣の芝は青く」見えるものですし、回りの子と比較してみても、自分も我が子も救われないのが現実です。

そこで、子どもへの評価基準を作ってみてはいかがでしょうか。

(1) 半年前より(あるいは昨年より)、どれだけ進歩したか

他人の子を預かっておりますと、つくづく「子どもは、日々成長し、その成長速度は大人と比べるととても早い」といつも感じるのですが、これが親子ですと、なかなか「日々の成長」に気づかないことが多かったりします。

そこで、すこし時間をおいて、「半年前どうだったかな」「1年前は?」と振り返ってみて、その間の成長の度合いを見てあげてはいかがでしょう。そして、「けっこう、成長してるな」と感じたのであれば、ぜひそれをお子さんに伝えてあげてください。保護者の方々も、「自分の子育てへの評価がない、あるいは少ない」と思われることがあると思いますが、子どもも同じです。親御さんから、評価されれば、子どもはもっと勢いづきます。

(2) 人のいうことを素直に聞き、行動に移せる子になっているか

素直さというのは、とても大切であると、最近よく実感いたします。

私の名刺に、「学力を生きる力に」と刷り込んでありますが、日々の勉強やテスト勉強、志望校選びや受験勉強、そして合否、その1つひとつを通して、将来子どもたちが立派に独り立ちしていけることを意識しております。

昨年まで、大手塾で教鞭を執っておりましたが、毎年、新人講師が入ってきます。新人の特権として、様々な学ぶ機会が与えられますし、失敗する機会も与えられます。近年、大手企業では「新人教育」が省かれ、即戦力として実力のある新人を求める傾向にありますが、それでも新人は多くを学び、失敗も経験しながらたくましくなっていきます。

しかし、新人の中には、あまりにもプライドが高く、多くのことから学ぶことを拒否し、失敗を繰り返す人がいます。最初の1~2年は、先にも書いたように「学びの猶予」があるにもかかわらず、それを無視するのです。こうした人は、基本的に「仕事ができない」です。すべてにおいていえると思うのですが、「素直に学ぶ」という姿勢がなければ、その者に経験値が積み重なることはありません。逆に、自分1人の人生で経験できることなどたかだかしれていますが、周囲の先輩や上司から学べば、自分の人生経験以上の「経験」が積み重ねられることになります。

まさに、「素直さ」というのは「学び」そのものであると思うのです。

親や教師、大人のいうことを素直に受け止め、実行にうつし、つねに自分を高めていける、こうした子どもは不安定な将来といえどもたくましく生きていけるのではないかと思います。

(3) 我慢強く、ていねいに物事に取り組める子になっているか
「ゆとり教育」下のカリキュラムにおいて、私が最大の問題のひとつだと考えるのが、「ガマン強く丁寧に解かせる」問題がなくなったことです。

たとえば、国語においては、指導要領では「鑑賞する国語」と位置づけました。その結果、小学国語にしても中学国語にしても、各学年において子どもたちが「普通に読める」作品だけを教科書に載せたのです。すると、いくら教科書を読んでも、「ちょっと難しい言い回し」や「ことわざや故事成語」などほとんど出てきません。今、お子さんをお持ちの保護者の方は、「自分もそんなの勉強しなかったが、これくらいの言葉は自然と知っていた」と、我が子を見て思うことはないでしょうか。しかし、それはまったく仕方ないことなのです。教科書には「生活する上で必要最低限のことば」しか載っていないのですから。

「ゆとり」前には、漢語表現や文学的表現などが教科書に使われていて、子どもたちは理解するのに苦労していました。しかし、そうした苦労を伴いながら、子どもたちは頭の使い方を自然と学び、言葉を覚えてきたのです。

算数・数学においてもいえます。「ゆとり」下では3ケタの計算などすべて排除しました。あるいは図形などで、「どうやってみたらいいのだろう」と苦労するような問題はなくなったのです。

こうして教科書がかんたんになり、子どもがさほど苦労しなくても、解けるし理解できるようになったのです。その結果、子どもたちから「いろいろ考えてみたらできた」という喜びや悩み苦労するという経験を奪い、忍耐強くものごとを考え、行動することを奪っていったのです。

はなゼミでは、小学生に、ときどき20ケタほどの足し算をさせたりしますが、大概の子は「うわ! めんどくさい」といいます。しかし、これが「頭の体操」であり、自分の頭を鍛えてくれると感じてくると、パズルを解くような感覚になってきてけっこう楽しくなるのです。子どもというのは、好奇心のかたまりですから、当然のことでしょう。自分が「かしこくなる」ことを否定する子など、本来はいないはずなのです。

さて、たくましく生きていく子どもに育ってもらうための3つの視点で、ぜひ我が子を評価してあげてください。ひょっとすると、すこしちがった姿が見えるかもしれません。


【とある校長先生の言葉】今日の5分を惜しむと明日にはたいへんな困難が待つ

Touched by the Sky
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今日の5分を惜しむとが明日からの困難な数十時間になる

こういうことは、よくあることです。
たとえば、勉強していて分からないところがあった。本当は質問して解決した方がいいのに、つい質問しなかった。本当は、そのときに質問して解決しておけば良かったものの、「まあ、いいか」とやめてしまうと、その後、大変な困難が待ち構えることになります。いわゆる「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」というものです。
はなゼミでは、子どもたちに
「宿題はその日のうち、遅くても次の日にはやっておきなさい」
と指導しております。このルールを守ってくれる、あるいは守ろうとしてくれる子は比較的早く成績が上がります。実は、しごく当然なことです。
子どもたちには、この理由を次のように説明します。
僕たちの脳は、忘れるようにできている。すべて覚えていたら、大変やろ。道を歩いていて、「赤い服の人とすれ違った、アイスの袋が落ちていた、青い車が通ったなどなど」、目の前に見えたものをすべて覚えていたら、頭がパンクしてしまう。だから、僕たちの脳はすぐ忘れちゃう。でも、勉強した内容もすぐに忘れちゃったら、もったいないから、今日帰ったら、宿題をする。今日無理だったら、明日には終わらせてしまい、忘れないうちに復習することが大切なんだ

というのです。繰り返しますが、守ってくれる子は「習ったことの記憶の持ち」がいいのですが、忘れないうちに復習しているわけですから、成績が良くなって当然です。

「今日、宿題をしないといけないけれどめんどくさいな。明日でもいいか」と、今日の時間を惜しんでしまうと、せっかく習ったことを忘れてしまい、こんどするときにはずいぶん忘れており、また復習しなければならなくなったりします。また下手をすると、全く忘れてしまい「何これ! 難しい」なんてことにもなりかねません。

つまり、今日しないといけないことをサボってしまうと、実は後には大変に困ったことが待ち構えているのです。後で待ち構える困難を避けるためにも、今日やっておくべきことはやっておくという習慣を付けていきたいものです。