塾で何を学ぶのか~~暗記の仕方ではなく思考力の育成(2)

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さて、もうひとつ、SNSで衝撃的なことを知りました。
それは、右の図1のような図において、斜線部分の面積を求める問題でのことです。この手の問題はよくある問題ですが、工夫をすることで、求めることができます。
ところが、中学受験の算数において、次のような「テクニック」を塾が教えているというのです。
「1辺の0.57倍が斜線部分の面積である」
つまり、1辺が10cmであれば、斜線部分は5.7cm^2とあっという間に答えが導き出されるのです。
しかし、私は、この「テクニック」にとても疑問を感じます。
まず、この問題は、図2のように分解し、おうぎ型の面積から、オレンジ色の直角二等辺三角形の面積を引いて求めるという工夫をして解くという問題であって、0.57倍などという暗記問題ではなありません。また、0.57倍などという数字に意味はなく、そんなことを覚えても無駄な知識でしかないのです。さらには、1辺の“長さ”を5.7倍して、“面積”を求めるということは、数学的には大きな問題ではないかと思います。少なくても、小学生の単位系を正しく定着させることにはなり得ません。
私たちは、何のために勉強しているのか、それは、大人になったときにぶち当たる問題を解決するためだと思っています。異性との付き合いにせよ、アルバイトにせよ、子育てにせよ、会社勤めにせよ、どんなことにおいてもマニュアルや例題を暗記して「解ける」ほど簡単な「問題」にはぶつかりません。やはり、自分の頭で考え、工夫をすべきなのです。
こんな「テクニック」を教えることで、子どもたちは「何を学ぶ」のでしょうか? 一見難しそうに見える問題でも、こうした「必殺技」が必ずあるということでしょうか? 有名塾に入れば、「必殺技」を教えてもらい、簡単に問題が解決できると言うことでしょうか。努力せずとも、簡単に問題解決できる道があるということでしょうか。
いずれにしても、子どもたちの「生きていける力」にはなりそうにはありません。

はなまるゼミナールでは、小手先の「テクニック」は教えません
時々、子どもたちの方から
「○○塾の友だちが、××というやり方が楽だと言ってたので、教えて欲しい」
といわれることがあります。
その××というのが、大切なテーマを含んでいれば、解説するのですが、ほとんどは小手先のテクニックなので、そういう場合は
「それは、暗記物みたいなことで、覚えても仕方ない。君たちは、もっと本質的なことを学び、中学、高校、大学、社会人になっても通用するような勉強をして欲しいので、教えません」
と答えます。
私は、子どもたちには、小手先のテクニックではなく、「生きていける力」になるような「見えない学力」を、はなまるゼミナールで身につけてもらいたいと思っております。


塾で何を学ぶのか~~暗記の仕方ではなく思考力の育成(1)

woman-1172718_640先日、中1で新しく入ってきた生徒に、塾での英語の勉強の基本を伝えました。それは
問題集などで分からない英単語が出てきたら、必ず意味と発音を調べてくること
ということです。
その意味は、いくつかあります。
まず、分からないことが出てきたときに、人に聞くのではなく自分で調べる癖をつけるということ。そして、辞書は単に調べるだけのものではなく読むものだという気づきを得てもらいたいこと、3つめに調べながらいつの間にかに単語を覚えてしまったいうようにしたいと言うことなどです。
そういう話をすると、ある生徒が、友だちの塾では英単語を5000回書かされたというんです。
そこで、その子に
「うちの塾では、英単語をいっぱい書いてこいなんて言わないけれど、どう?」
と尋ねると
「単語を調べるうちに、覚えてしまっていた。はじめは、単語を調べるのが大変やったけど、今は、そんなに時間がかからないから良い」
と言うのです。
何度も単語を調べるうちに、単語を覚えてしまうだけでなく、辞書を引くスピードも上がっているのです。
暗記について、最近、よく聞くのは、インプットとアウトプットの回数が大切ということです。確かに、時間をかけて単語を何百回、何千回と書くことは、短期記憶としてその場では覚えた感じにはなるかもしれません。しかし、数年続くような長期記憶にはなり得ません。そうであれば、何百回、何千回も書くことは、意味がない、無駄な努力ということになります。
むしろ、単語をその度その度に調べることの方が、インプットとアウトプットが増え、長期記憶に残ることになるのです。

ところで、塾業界では、大学入試改革が、とても話題になっております。戦後一貫してあった、いや戦前からあった「暗記偏重」型の入試問題から、教科を横断し「思考力」型の入試問題への変化です。
この新しい大学入試は現在の中学2年生が大学入試をむかえる時から徐々に導入されそうですが、すでに各都道府県の教育委員会では、高校入試をそれに合わせて「思考力」型に変えてきています。
つまり、暗記偏重型学習では高校の入試問題が解ける時代ではないのです。
とある塾の先生がSNSでこんなことをつぶやいておられました。
「中学校の定期テストが、もう定期テストというレベルを超えている。一般的なテスト対策でクリアできるほど、甘くはない。」
全くその通りだと思います。
「書け! 覚えろ!」
では、大学入試に通用しないだけではなく、高校入試も、そして中学校の定期テストですら、通用しないようになっているのです。
《続く》


なんのために、それをするの?

UP Oblationはなまるゼミナールでは、ライブの一斉授業がメインですが、一部、映像を使ってあらかじめ勉強してもらう教科があります。
映像授業を採用するメリットは、大きく2点あります。
第1に、授業時間の拡大です。つまり、いわゆる「ゆとり教育」が終わり、教科書内容が膨大に膨らみ、そのすべてを短時間のライブ授業で行うことが厳しくなってきました。なので、一部、映像で学習をしてもらい、学習時間を確保するという目的です。
第2に、自立的に学習する訓練です。教えられ、その通りにやっていれば、なんとなく高校や大学に行けて、社会で活躍できるという時代でなくなってきたため、自分で学習していくスタイルを、塾で身につけていくことがますます必要になってきたということです。
ところで、ときどき、
「先生、この間、出されていた映像の課題。自分は見ているでしょうか?」
と尋ねてくる生徒がおります。
私としては、こういう質問をしてくること自体、先に書いた2つの目的を達成できていないと感じます。
まず、第1に勉強のために「映像」を見るのであって、「映像」を見ることが目的ではないわけです。見た記憶が無いのであれば、それは勉強できていないということですから、その時点でもう一度自ら進んで映像授業を見て勉強するべきです。何度も学習できるのが、映像授業のメリットでもあります。
第2で言うと、第1とかぶりますが、見たかどうかを、私に聞くのではなく、自分がちゃんと課題を理解できているのかを自分で考え、もう1度見るのか、2度3度見るのか、自分の頭で考え、行動してもらいたいのです。
勉強、とりわけ「生きていくための学力」を身につけるということは、単に「指示されたこと」をやっておけばいいと言うことではなく、その都度その都度、自分で何が必要か、何が良いのか考え、行動していくことだと思います。
はなまるゼミナールでの出来事、会話は、すべて彼らの「生きる力に」なっていければ良いなと思っております。


解いた文章題をすべてやり直しに。。。

Math Wall 先日の算数の授業で、小学生のAくんが、「先生、宿題の文章題。いったん解いたけど、よく読んだら、全然違っていたので、すべてやり直ししないとあかんかった!」と言っておりました。
はなまるゼミナールでは、小学算数の文章題を通じて、さまざまな練習をします。
まず、しっかりと文章を読むという練習。そして、考えるという練習です。
小学生で、算数が好きな、あるいはちょっと頭の回転の速い子などは、ろくに問題文を読まずに、立式し、解いて答えにしたりすることが良くあります。そして、それが「当たる」ということがあります。
なぜ適当に立式して、答えが「当たる」かというと、単元で出てくる文章題は、基本的に解き方が同じなので、問題を読まなくても、数字を適当に当てはめれば、式が正解します。また、頭の回転のいい子どもは、数字の使い方も分かっているので、なんとなく立式ができたりするのです。
しかし、はなゼミの文章題は、しっかり文章を読まないと、簡単には解けません。
なぜなら、文章題中に、答えを求めるのに使わない数字があるからです。なので、きちんと読まないと立式できません。また、読んでも、問題文が理解できないと、どのように式を作っていいのか分からないのです。
最初の話は、Aくんは学校でやるように当初は「数字を当てはめ」て計算したが、答えが違うことが分かり、問題文を読み直すと、考え方が間違えていたので、すべての問題をやり直す羽目になってしまったのです。今後、彼は、同じ過ちを繰り返さないように、問題をしっかり読んで解いてくれるようになるのではと期待しております。
子どもたちには、塾での学習を通して、テストで良い点を取るということではなく、様々なことを学んでほしいと思っています。そして、そうした学んだことを活かすことで、テストの点数が上がったというようになってもらえればと思います。

photo by: trindade.joao

三上でものを考える

中国の古い言葉に、「三上(さんじょう)」というのがあるそうです。文字通り、「3つの上」ということなのですが、それは、「枕の上、鞍の上、厠の上」を表し、物事を熟考する場所として、言われる言葉だそうです。

確かに、布団の中やトイレでものを考えるというのはよく分かります。鞍の上というのは、今で言うと、自動車や電車に乗りながらという感じでしょうか。自分で運転しながらというのは、いささか危ない気もしますが、分からないではありません。

この「厠の上」というのを聞いて、もうひとつ思い出したことがありました。

私が中学生の頃、通っていた塾の塾長先生が、「徳田虎雄という人がいて、若い頃、苦労して勉強した。その極意は『早飯、早グソ、貧乏ゆすり』」という話を教えてもらい、翌日早速本屋に行き、徳田虎雄さんの自叙伝を買って読んだのを思い出したのです。徳州会病院の設立者です。

徳田虎雄さんは、大阪大学医学部に合格するために、食事やトイレをさっさと済ませ、勉強時間に回し、勉強中はずっと貧乏ゆすりをして、集中力を維持するという学習法をしていたのです。

しかし、私は、どちらかというと、食事やトイレ、あるいは風呂や布団の中では、「早く済ませて時間を稼ぐ」というよりも、「じっくりと考える時間にあてる」方が合っているような気がします。高校生の頃、数学のむずかしい問題がずっと気になっていて、ふと電車の中で解法がひらめき、メモしたりしておりました。ガツガツと勉強するよりも、そっちのほうが性に合っているような気がします。

「世界に1つだけの花」ではありませんが、子どもたち1人ひとりは、個性があり、唯一の存在です。私が預からせていただいている間に、いろいろと試行錯誤してもらい、自分に良い勉強方法、思考方法を確立していってもらいたいと思います。

photo by: Dainis Matisons

一夜漬けはもったいない!

- Despair
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子どもたちには、試験の日は分かっているのだから計画的に勉強しなさいと繰り返し言います。しかし、それでもテスト前になって慌てて、午前1時や2時に勉強したりする生徒はおります。

しかし、当然のことながら、「一夜漬け」したり「徹夜」したりする学習は、とても褒められたものではありません。学習の本質から言うと、それは「学習ではない」と言い切っても良いと思います。

人が記憶していく過程は、段階を踏むそうです。まず、「短期記憶」し、その後、必要な情報のみを「長期記憶」するそうです。1日15時間ほど、起きていれば、様々なものを見たり、聞いたりします。そのほとんどをその瞬間には覚えています。これが短期記憶です。しかし、それらのほとんどは、次の瞬間には忘れています。いちいち覚えていたら大変です。道を歩いていて、目に前にいる人の人相や服装、走っている車や町の様子、見ても自分に関係のないことであれば自動的に忘れていきます。全部頭に入ってきたら、パンクしてしまうでしょう。

つまり、基本的に「短期記憶」は忘れていくのが当然なのです。しかし、学習は自分のこれからの人生を決めていくものですから、忘れてしまうと大変もったいないことになります。自分をつくっていく学習内容は、しっかり覚えていて、将来にわたって役立てなければなりませ。そのためには、いったん覚えた「短期記憶」を、なかなか忘れない「長期記憶」にしていかなければなりません。

「長期記憶」にするために大切なことはいくつかあります。

まずは、その学習が自分にとって必要なことであると思うということです。人は、関心のないことはどんどん忘れていきますから、学習については強く関心を持つと言うことが最も大切だと思います。「自分の将来にとって必要である」とか「夢を実現するために必要」とか、こじつけてでも学習が自分にとって必要であると思い込むことが重要なことです。

次に、重要なことは充分な睡眠です。夢を見ている最中は、記憶を整理しているそうですが、しっかりと睡眠を取ることにより、短期的な記憶が長期的な記憶に変換されます。つまり、忘れにくくなります。もちろん、自分にとって「必要な記憶」だけが、整理されて残るわけですから、勉強に意義を見いださずに寝ているだけで成績が上がるわけはありません。あくまで、「自分にとって勉強すること(成績を上げること)は必要なんだ」と心底思っていることが前提です。

さらに、反復することで、その記憶はますます強固なものになっていきます。ただ、反復しても〈短期記憶〉→〈忘却〉→〈短期記憶〉→〈忘却〉→…と繰り返すだけで、「こんなに努力しているのに、なんで覚えられないのだろう」ということになってしまいます。大切なことはあくまでも「学習の意義」「学習の目的」を自分なりに見いだすことで、反復練習がより効果を発揮していきます。

だから、「一夜漬け」や「徹夜」で、「昨日は3時間しか寝てない、こんなに勉強した」なんていうのは、「すぐに忘れるための努力」であり、自慢にもならないばかりか、まったく無駄な努力としかいいようがありません。子どもたちには、効率よく学習し、将来の自分をコツコツと作っていってもらいたいと思います。


正解するということ

to do list for third graders
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答え合わせをするときに、とくに心がけていることがあります。

それは、○か×が問題なのではなく、なぜ○だったのか、×だったのかということです。

もちろん、子どもたちに問題を解かせているわけですから、○であることがいいに決まっています。子どもたちも、自分が解いた問題が○であることがうれしいに決まっています。

しかし、それだけであれば、勉強とは言えないのではないかと思うのです。

私は、学校で習うことだけでなく、すべての事物には理由があると思っています。たとえば、電車の乗るろうとしてホームに立っているとアナウンスがながれます。

電車が到着いたします。おりる人がお済みになられてから、ご乗車ください

なぜ、電車から降りる人が先で電車に乗る人が後なのでしょうか。単なるルールだといってしまえば、それまでですが、そうしないと事故になる可能性があるのです。車掌さんは乗る人の確認はできますが、電車の中にいるおりる人の確認はできません。つまり、さきに電車に乗ってしまうと、車掌さんはおりる人が確認できないために、いつ電車の扉を閉めればいいのかわからないのです。だから、おりる人がすんでから、乗る人、乗る人がいなくなれば、扉を閉めるというのが事故を防ぐ方法なのです。

話が長くなりましたが、国語にしても、算数にしても、理科にしても、社会にしても、やはりなぜ、それがそうなのかということが非常に大切だと思うのです。とくに、問題演習において間違えた場合、間違った理由がやはり大切です。それは、計算問題のミスであっても同じです。なぜ、その部分でミスをしたのかということを考えると、意外に、悪いクセや思い違いなどをしていたりします。
勉強の最も基礎的な部分は、「覚える」ということだと思いますが、さらに進めて「なぜか」というところが理解できれば、勉強もより面白くなり、応用を解く力もつくのではないかと思います。


計算は速くなったが文章題はダメ

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塾講師を20年以上続けてきて、入塾の際に保護者の方からよく聞くのが、

うちの子は計算は速いのですが、文章題はできない

ということです。

教育といったときに、よく「読み書きそろばん」といったことがいわれますが、どうも計算力をつけることだけが突出して目立っているような気がします。しかし、むしろこれからの時代、計算力より「読み書き」の方が大切なのでは思っています。

私は、理系でしたから、学生時代、高価なパーソナルコンピュータを大学で使わせてもらっていました。もちろん、個人で持っていた人もいましたが、1台20~30万円はしていたでしょう。しかし、今はちがいます。とても性能の良いPCが数万円で買える時代です。そんな時代、会社に入れば、会計の仕事のほとんどはパソコンがするようになってしまいました。そんな時代に、人間が計算することの意味はどれほどあるのでしょうか。計算よりも、むしろ「読み書き」が重要ではないかというのは、そういう意味です。もちろん、計算ができることは必要です。しかし、相対的に必要性は薄れてきているのではないかと思うのです。

しかし、時代の流れとは逆に、世間を見回してみると、ただ計算練習を反復練習させる塾もたくさん存在しています。たしかに初期段階においては、「習うより慣れろ」で反復演習させることに意味はあります。しかし、計算方法が身についてしまえば、やはり文章題をしっかり読め立式ができること、そしてその立式の意味や計算の意味などをしっかりと考えさせる方が、子どもの能力を磨き上げるという意味でも、子どもの将来を考える意味でもとても大切だと思うのです。

今までたくさんの「秀才」を見てきましたが、そのうち、半数くらいは塾に来る前に、「通信教育」をやっていたという共通点がありました。なぜだろうと考えたこともあったのですが、やはり自分で考えるという習慣が子どもを大きく鍛え上げているのではないかと思っています。演習量や計算スピードなどでは、反復演習の塾の子どもには負けているにもかかわらず、正答率や応用力では圧倒的に強いのです。もちろん、通信教育というのはなかなか続けるのが大変なのですが。


発達障害の子の学習で大切なこと


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年に200名以上の生徒を指導していると、毎年数人の割合で発達障害の子どもを指導することがあります。昨年まで、私がとある塾の教室責任者をしていたときは、入塾テストをやるものの、実質的には子どものやる気などをみて合格点に達していなくても、面倒を見させてもらっておりましたので、比較的多くの発達障害の子を見てきました。

さて、発達障害があるとされた子の親御さんは、いろいろとご苦労が絶えないと思います。きっと、子どもの現在の様子や将来のことなどで不安に思っている方も多いと思います。

私は、発達障害の専門家ではありませんし、その教育を専門にしているわけではありません。しかし、現場で指導していく中で発達障害の子どもの指導について、それなりの経験を蓄積していると思っております。

発達障害を持つ子への私の指導スタンスは、子どもの精神的成長を促し、その成長で障害の面を超えさせ、学力をつけていくことにあります。そして、それはできると思っています。以前の記事に書いたように、幼稚園に入る前に、医者から「大人になっても話すことすら困難」と診断された重度のLDの子が薬学部に合格し、薬剤師になったという経験からもかならず社会で通用する学力を身につけることは可能であると確信します。

したがって、発達障害であると診断された保護者の方に強く言いたいのは、

わが子を信じつづけてほしい

ということにあります。あきらめなければ、かならず精神的成長が障害を越えていく時がやってきます。子どもが幼ければ、幼いほど子どもにとって親の存在の占める割合が大きいですが、親があきらめてしまえば、その子を誰が信じつづけられるでしょうか。けっしてあきらめずに信じ続けてあげてほしいと思います。

とはいっても、実際には大変な場面は子どもの成長とともに訪れるでしょう。他人とのコミュニケーションがとれない、頑固でとても融通が利かない、どうしても漢字が覚えられない、英語が全く理解できない、図形の感覚がまったくないなど、いろいろとあると思います。いつか乗り越えられると言っても、保護者において、そんなに待ってられない、ついイライラしてしまうということが起こりえます。

お互いの関係が煮詰まってくると、親も子どもも苦しくなり、不幸になります。そんなときには、第3者にゆだねたらどうでしょうか。何かというと、塾や家庭教師の利用です。自分の子どもを理解して、ゆっくり確実に成長を促する教師を探すのです。どこの町にもそんな教師はいると思います。学校の教師は選べませんが、塾の教師や家庭教師は選べます。是非探してください。

ただし、その際、注意してもらいたいのは、第一に、自分の子どもが成長することを必ず信じてくれる教師であること、第二に子どもの精神的成長を積極的に促してくれる教師でないといけないということです。

成長を信じないと、障害を前提化してしまいます。つまり、「この子はこんなもんだろう」となってしまうと、伸びるものも伸びません。子どもの成長度合いに応じて、指導を強化していけば、ゆっくりした歩みでもかならず前進します。

第二に、発達障害の子どもは頑固な子どもが多いですから、ゆっくり確実に成長を促す必要があります。そのゆっくりさを認めることはとても大切です。しかし、そうはいっても、高校入試が迫っている場合、そうゆっくり待ってることもできません。だから、こちらから、子どもの精神的成長を積極的に促す必要があります。教科指導は子どものレベルにあわせますが、それ以外は子どもの年齢に応じた指導をします。教科指導は妥協できても、それ以外は妥協できません。たとえば、小6の子に小4内容からの漢字や計算をさせることは必要ですが、話し方や話す内容、質問の仕方、礼儀作法などは、年齢に応じたものでなければなりません。そうしないと精神的成長は期待できませんし、精神的成長が期待できなければ、いつまでもたっても発達障害に負けてしまうことになります。

最後に、繰り返しになりますが、最も大切なことは親が、とりわけ母親が子どもを信じることです。根拠などいりません。子どもの将来のために、わが子を信じ続けることだと思います。

もし、この記事に関心を持たれ、ご質問などがおありの方は、こちらからメールをいただければ、お答えできる範囲でお答えします。おひとりで悩まれないのが親にとっても、そして子どもにとってももっともいいことですから。

 


正しいまちがい直しの方法

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子どもを見ていると、低学年は仕方ないとしても、中学生になっても、間違いを指摘したとたんに消そうとする子どもがいます。

しかし、それはとてももったいないことです。間違いは恥ずかしいことではなく、自分のどこがどう間違っているかをみるための大切な材料だからです。常日頃、子どもたちには、

「どんどん、間違えたらいい。そして、どこがどう間違えたかを確認しなさい。でも、何度も同じところを間違うのはダメ」

と言っています。間違えたら良いんです。それが若さの特権なんですから。でも、同じ間違いを何度も繰り返すのはやはり良くないですね。

だから、ノートの書き方、返却された答案のやり直しは、

◎間違いは絶対に消さない

(計算の筆算や解くときに使ったメモも同じく消さない)

◎やりなおしは別のところに書く

(間違えたところの上から書く子もいますが、せっかくの間違いが見えません)

◎わかりやすいように色ペンで書き直す

(黒だけでは見にくいし、色々な色ペンで書いた方が見やすい)

もう一度、言います!

間違いはけっして恥ずかしくない。それは次に間違わないための一歩!