うまくいかなくても、やったことは全部、将来の自分のプラスになる

「うまくいかなくても、やったことは全部、将来の自分のプラスになります。」

ソフトバンク社長 孫正義さんの言葉です。
Wikipediaによると、孫さんは、佐賀県の朝鮮人の集落で生まれたとあります。そこでは、「足が汚水につかるような場所で苦学」したようです。
そして、父親から

「お前は在日韓国人だから、普通の日本人より頑張らないと出世出来ないぞ」

と言われ、育てられたとあります。
劣悪な環境、日本での韓国・朝鮮人差別の中、「普通の日本人」より必死に勉強し、さまざまな努力もしてきたのでしょう。そうした努力は、とうぜんすべてうまくいくはずはありません。失敗も多かったのだと思います。
しかし、ソフトバンクという会社を設立し、大企業にまで成長させた今となっては、若い頃の苦労や努力が現在の自分を築いてきたという自覚があるのでしょう。それが、先に書いた「うまくいかなくても、やったことは全部、将来の自分のプラスになる」という言葉に表れているのだと思います。
中学の頃、恩師にこんなことを言われたことがありました。

「苦労は買ってでもしろとよく言うが、苦労なんかせずにすむならその方が良い」

私は、そのときから繰り返し、この言葉の意味を考えてきました。そして、思うのです。やはり、苦労は買ってでもする必要はない、しかし、経験した苦労はかならず自分の将来にプラスになるのだということです。
まさに孫さんの思いそのものではないでしょうか。
大変しんどい思いをした子どもがいれば、
無理に苦労する必要はない、でも、苦労してしまったなら、それは将来の自分のためになるのだから良いことだよ
と言ってあげたいと思います。


しあわせには絶対にひとりではなれない

「もじのちから」さんが、暖かいメッセージと文字を公開されておられるのですが、その中で、感じるものがあったものを、紹介させていただきたいと思います。

しあわせは

絶対に

ひとりではれないんだよ

仲間が必要だよね

子どもが母親のおなかから生まれ落ちる。両親を始め、多くの人々から祝福される。しかし、人間の赤ちゃんというのは、生まれてきた段階では何もできない存在です。お母さんやお父さん、兄弟姉妹、あるいは親戚や近所の人から、さまざまな援助を受けながら、大きく育っていきます。

いや、周りの人々から支えながらという意味では、子どもの時だけではありません。大人になってからも、本当にいろいろな人たちの手を借りています。

小学生高学年くらいになってくると、親の手を借りずに「なんでも」できるようになり、ともすれば「自分1人で生きていける」錯覚を覚えがちです。こうした意識は高校生くらいが絶頂ではないかと思います。しかし、そこから年をとるにつれて、実は自分1人では何にもできないことが痛感させられるのです。

こうして書いている私も、京都で始めた1人暮らしの大学生活で、初めて痛感したのは、「インフルエンザ」にかかったときでした。布団の上から起きられない、食事も食べることができない、このまま死ぬんじゃあないかと思ったことがありました。また、この春に実母を亡くし、通夜から葬儀、その後のさまざまな儀式や事務処理などをする過程で、本当に多くの人たちにいろいろなことを教えてもらい、「まだ、この年になっても知らないことがあるのか」と痛感させられました。また、同時期に教室拡張をしましたが、やはり知らないことがいっぱいで、やはり多くの人に助けていただきました。

実は当たり前のことなのですが、私たちは、やっぱり多くの人たちの関係の中で生きているんですよね。けっして、ひとりきりで生きているのではありません。

そして、大切なことは、私たちは他人の役に立つために生きているのではないかと思います。

はなまるゼミナールでは、「学力を生きる力に」ということを根本に指導を行っていますが、そのことは実は「社会の中で役立つ人」になってほしいという思いでもあります。世の中で生きていける、あるいは自分らしく生きていけるということは、社会から必要とされているということと、同じ意味ではないでしょうか。

しあわせは、絶対にひとりではなれない。家族の中、社会の中で、自分がしあわせになれるということを、これからも子どもたちと感じていきたいと思います。


努力は報われる

私は、幼少の頃から、野球はほとんど見ませんでした。変わり者の父の方針で、「大勢の人が夢中になっているものに、興味を持っても仕方ない」という理由で、見せてもらえなかったのです。ですので、近所の子どもたちと空き地で野球をしたりすると、ルールが分からないということがしばしばありました。それくらい、野球は知らなかったのです。

そんな私でも、プロ野球選手の王貞治さんの名前はよく知っております。通算のホームラン数868本は、今なおプロ野球界の記録として輝いているわけですから、私みたいなものでも知っていて当然なのかもしれません。
そんな、王貞治さんが、こんな言葉を言っておられるようです。
努力は必ず報われる。もし報われない努力があるのならば、それはまだ努力と呼べない
「努力は必ず報われる」~~こういうことを言って、本当に「必ず」報われるのかと聞き返されたら、やはり躊躇すると思います。成功のためには、自分の努力以外にも、様々な要素があるからです。
しかし、そうした外的な様々な要素も含めて、「努力」によってそれらに打ち勝つ、そこまで「努力」すれば報われると言われれば、説得力があります。
テニスの松岡修造さんも似たようなことを言っておられます。
100回叩くと壊れる壁があったとする。でもみんな何回叩けば壊れるかわからないから、90回まで来ていても途中であきらめてしまう

自分のこれまでの半生を振り返ってみると、とてもよく分かります。当時は、それなりに「努力」していたつもりなんですが、今から考えてみると、やはり「70回、あるいは80回」くらい壁を叩いた時点であきらめてしまっているんですね。結果が出るまで、努力し切れていなかった自分がいるわけです。

王さんにしても、松岡さんにしても、成功するところまで努力してこられた、だから、結果が出るまで努力し続ける大切さを言っておられるのではないかと思います。
先にも書きましたが、「結果」は自分の努力だけで100%表れるものではありません。時には、運の善し悪しなどもあろうかと思います。「100回壁を叩いた」からといって、だれもが王貞治や松岡修造、あるいはイチローのようになれるわけでは無いと思います。つまり、努力する者が「必ず」成功するとは限りません。しかし、言えることはあります。
成功する者は必ず努力している。

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人生をよりよいものにする十訓

 ネットを見ていると、次のような十訓がありました。

1,人を大切にする人は人から大切にされる

2,友だち関係は相手の長所とつきあうもの

3,人は何をしてもらうかより何が人にできるかが大切

4,勉強では頭を使い、人間関係では心をつかえ

5,あいさつはされるものではなくて、するものだ

6,勉強は言われてするものではなく、探してするものだ

7,分かるだけが勉強ではなく、できることが勉強だ

8,美人より美心

9,言葉で話すのでなく、心で話そう

10,良い人生は、良い準備から始まる

私なりに、子どもたち向けに解きほぐしたいと思います。

 1つ、他人から大切にされたければ、まず自分が他人を大切にしよう。

親から大切にされていない、友だちから大切にされていないと不満に思ってはいないだろうか。

もし不満に思っているのであれば、相手を不満に思うのではなくて、自分を見てみよう。

お母さんを無駄に困らせたりしていないか? わがままばかり言っていないか?

友だちに悪口を言ったり、いじわるをしていないか? 友だちを大事にしたり、やさしくしたりしているか?

もし、心当たりがあるなら、気をつけてみよう。人を大切にする人は、人からも大切にされるのだ から。

2つ、友だち関係や人間関係では、相手の長所をよく見てつきあおう。

友だちの悪いところばかりを見て、不満に思っても仕方が無い。なぜなら、相手の悪いところは、 その相手が「自分が変わろう」と思わない限り、変わることはない。

だから、相手といい友だち関係でいたいのなら、相手の長所とつきあっていけばいい。その方が、 お互い気持ちよくつきあえるよね。

3つ、何かしてもらうことばかり考えるのではなくて、何をしてあげられるかを考えよう。

幼いうちは、お父さんやお母さんにいろいろと「してもらう」ばかりだ。でも、大きくなっても、 「してもらうこと」ばかり考えていては、赤ん坊と同じ。

僕たちは、大きくなったら、世の中、社会の中で働くことになる。そのとき、世の中で「僕の役割 」「私の役割」が大切のだ。けっして「してもらう」のではなく、「何ができるか」が大切だ。

4つ、今僕たちは将来に向けて、勉強している。それは、一生懸命頭を使うことだ。

でも、頭が良くて、頭を使っていれば、世の中で役立つ人間になれるわけではない。

周りに人たちに「心」を使いながら、生きていこう。

5つ、あいさつは心と心をつなぐもの。まずは、自分からあいさつをしていこう。

自分があいさつしないのに、他人からあいさつを求めるなんて、おかしいよね。

6つ、人から言われてする勉強なんて、身につくものじゃあない。

勉強だけでないよね。野球にしても、サッカーにしても、ピアノにしても、何をするにしても、人 から言われてやっているようじゃあ、上達なんかできない。

君は、将来の自分のために今勉強している。そして、大人になったとき、社会で役立つんだ。その ための勉強なんだ。今、一生懸命している勉強が、君の人生を作る。そう考えてみよう。

7つ、そして勉強は当然分かることが大切だけれど、頭で「分かった」と思うだけではない。ちゃ んと「できる」ことが大切だ。自分でしてみる。そして、できるかどうか確認すること。

 ちゃんとやってみよう。

8つ、顔がいいより、心が良いほうが良いに決まってる。

9つ、口先ばかりで、話していても、心がこもっているかどうかは分かるもの。話すときは、ちゃ んと心を込めて話そう。

10つ、君たちのすばらしい人生は、今、その準備がなされている。

今、サボれば、将来の自分はそのサボった分だけの人生を送ることになるだろう。

今、がんばれば、君の将来はその分光り輝くものになるはずだよ。

 10年後、20年後、君たちにすばらしい人生が訪れるように。


勇気を持って行動しよう

Ballet 3
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子どもたちを見ていると、じっ~~と問題を見て動かない子がいたりします。また、授業中に当てても、何も答えない子がいたりします。それぞれにはいろいろな原因があるのだと思いますが、1つには

まちがうのがイヤだ

という気持ちが強く働いている場合が多いのではないかと思います。

子どもたちには、いつも

大いにまちがえばいい

といっていますが、それでも自分が「まちがえる」のに戸惑う子どもが多いのです。

確かに、何もしなければ、「まちがう」ことはないでしょう。しかし、それでは何の発展もありません。まちがうことは、確かにイヤなことですし、人前でまちがうと恥ずかしかったりしますが、そういう経験もまたとても大切なことです。「まちがう」のがイヤなら、次にまちがわないように、注意深く行動したり、工夫をしたりすればいいだけのことです。それが、次の自分へとレベルアップさせるのです。

また、私はこうも思います。

まちがうのが恥ずかしいって? 君はそんなに完璧な人間なの?

日々、成長であり、自分の成長を目標にしていると、まちがうことの恥ずかしさよりも、「成長する楽しみ」のウエイトが高くなります。そもそも、まだまだ成長中、発展中であれば、間違いは当然です。学んでいる最中に、「完璧な自分」など存在しないのです。

子どもたちには、大いに開き直ってもらいたいと思っています。

自分はまだまだ成長途中だ! だから、いっぱいまちがうし、いっぱい学ぶ。それでいいんだ!


迷うことなく努力を積み重ねる

Portugal Beja Sunshine
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「自分はなぜ、こんなにできないんだろうか」「もっと能力が高ければ良かったのに」なんて思うことは、きっと誰しもあると思います。

私は、野球にはほとんど興味がありませんが、それでも米大リーグで活躍するイチロー選手の記録の偉大さを知っています。それほど、すばらしい活躍と記録を打ち立てているイチロー選手はけっして能力の「高さ」だけで、乗り切ってきたわけではありません。小学生から、他の人には負けないくらいの練習量をつんで、今のイチロー選手があるのです。

現、パナソニックの創業者の松下幸之助さんが、次のような言葉を残しておられます。

能力は六十点でもいい。しかし誰にも負けない熱意がなければいけない。そして、努力することである。昨今の一部の風潮にまどわされてはいけない。こつこつ努力を積み重ねていくことが基本であり、大事なことである。汗を流す。迷うことなく、それを先行させることである。松下幸之助

問題は、「能力」ではないのです。「努力」なんですね。むしろ、努力こそが「能力」を作っていくといってもいいと思います。

そして、努力を積み重ねるためには、「迷うことなく、先行させること」であるといいます。

私たちは、がんばって何かを目指しているときでも、つい「これでいいのだろうか」と迷ってしまったりします。しかし、目標があるなら、夢があるなら、けっして「迷うことなく、先行させること」が大切でしょう。ここがぶれていては、集中して努力できなくなってしまいます。

夢を持ち、目標を立て、迷うことなく先行して努力する

これがまさに夢を果たしていく基本的な姿勢なのでしょう。


座右の銘~~硬派に生きる

Hope for the planet
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塾講師も20年以上やっていると、いろんな事があります。

若い頃とちがって、最近よくあるのが、かつての教え子がアルバイトや仕事などで行き詰まったときに、相談に来てくれることです。私と話すと、何か得るものがある、あるいは安心できるとでも思ってくれているのでしょうか。大変光栄に思います。

さて、そうした相談事に乗っていると、ときおり「先生の座右の銘は何ですか」と聞かれることがあります。しかし、私自身、普段小中学生と過ごしているせいでしょうか、自分がとても若いような気持ちでおります。そんなときに、「座右の銘」などとという年配の人間が口にするようなことを聞かれるなんてことは、ほとんど予期しておりません。

そんなときに、とっさに答えるのが、「硬派に生きる」という言葉です。

私には、尊敬する先生はたくさんおります。それだけで、誇らしく自分の財産であると感謝しておりますが、中でも大変影響を受けた先生が2人います。1人は、小学校6年生の時に担任をしていただいた先生。もう1人が同じ頃に通い始めた塾の先生です。

先の言葉は、恩師としたっている塾の先生から教えていただいた言葉です。

今でも忘れられません。中学3年生のとき、塾の教務室でのことでした。私は、その先生が大好きだったもので、授業が終わっても教務室でその先生にいつもいろいろと話を聞いておりました。あるとき、先生が言うのです。「くーやん、硬派に生きなあかん」。当時、私は友人から“くーやん”と呼ばれており、また先生も20代の後半で若かったこともあり、私のことをこう呼んでおりました。

私は、何のことやろという顔をしていたのだと思いますが、先生は諭すように

人は軟派で生きていたら、いざというときに硬派になることができへん。

しかしな、硬派に生きとったら、いつでも軟派になれるんや

私は、とてもうれしくなりました。「そうなんや!」という感じでした。

というのも、私は幼少の頃から人からまじめそうに見られるものの、内面には「人を笑わせる」のが好きな自分がいたりしました。先生の「硬派に生きなさい」という言葉はまさにそういう自分にぴったりとはまったのです。

しかし、教え子から座右の銘を聞かれ、ふとこの言葉をつたえるのは、何も自分に当てはまったからだけではないと思います。普段は、硬派にしっかりと生きて、遊ぶとき、気を緩めるときには軟派になる、人間としても堅実であり、魅力的ではないでしょうか。残念ながら、私はそんなに堅実に硬派に生きてきたわけではありませんし、その分、遊び方もあまり上手くはありません。

ですが、生き方の軸として、

硬派に生きる

という言葉を守りながら生きていきたいと思っております。


自省と研鑽

先の記事に書いたように、9月には心理カウンセラーの資格を取ろうと思っています。さらには、教育コーチングをもう一度学び直し、できればコーチングで指導するだけだなく、コーチングの指導者にもなれるようにがんばりたいと思っています。また、今の子ども、大人もそうですが、メンタルヘルスも大切な要素でないかと思っており、その研修も数年の内には受けたいと思っております。子どもたちに必要な技術をいろいろとものにして、可能な限りベストな指導ができればと思っているしだいです。

ところで、人を教える教師という仕事には、とうぜん研鑽が必要です。子どもたちに理解してもらうために、自分がまず研究していくという姿勢が大切です。そして、研鑽だけでなく、さらには自省もとても大切だと思っております。学校の先生にしても、塾の講師にしても、教室内においては、「唯一の権力者」です。「先生」を振りかざして、子どもに無理難題を押しつけることも可能です。さらに、恐ろしいことに教室の中の教師を誰も監視しておりません。多数の生徒を前にした教師が1人、いったい誰が、この教師の過ちをただすことができるのでしょうか。だからこそ、教師は常に自らを確認し、チェックするという「自省」という作業が必要だと思うのです。
この「自省と研鑽」という言葉は、尊敬する師の言葉です。
その師が、あるサイトにこうした言葉を載せています。

私は弊社の社員に常々言っていることがあります。それは「個人塾に対して敬意を持て」ということです。実は今でも私は、塾の理想は個人塾にあると信じています。オーナーシェフが営む隠れた名店のように、信念を持って「手づくりの教育」を実践する喜び…かつて弊社もそうであったように、そこには、たくさんのドラマがありました。塾経営はロマンそのものです。

「塾の理想は個人塾にあり」
というのです。もし、私が大手塾にいたときであれば、あまり関心はなかったでしょう。なぜなら、自分が所属する塾の決められたルールの中で、自分なりに工夫し、指導に当たっていくとが大切だからです。しかし、今はちがいます。私の理想や理念に触れて、保護者の方々が私の塾に問い合わせをしていただき、子どもを通わせてくれます。そして、そうした営みは、保護者の方やや子どもたちに伝わり、すぐに反応が返ってきます。
開塾して5ヶ月ほどで生徒数はまだまだ少ないですが、ありがたいことに通ってくれている生徒の7割方は紹介で来てくれております。私は、サイトでも書いておりますように、規模を大きくするつもりはまったくありません。しかし、ありがたいことに、何人かの親御さんに「高校生のクラスも作ってもらって、自分の子を大学入試まで面倒を見てもらいたい」と言っていただいております。機会があれば、あまり大きくならない程度に高校生の指導ももいいかなと思ったりもしています。
しかし、こうしたありがたいお言葉をいただいている最中でも、いやそういう時だからこそ、いっそう、自省しなければならないと思っております。
たくさんの生徒が通い出してくると、周りが見えなくなってきて、どうしても自己中心的になり、横柄になりがちです。しかし、つねに初心に返り、我が身を省みていかなければならないと思うばかりです。規模が大きければ大きいほど、謙虚に自省するという姿勢が大切だろうと最近強く思っております。

最後に、「自省と研鑽」の気持ちをわすれず、子どもたちの指導をさらに発展させ、よりよい授業を提供していきたいと考えております。