ビシバシしごきません!

冬期講習会明けの模擬テストの結果を受けて、全生徒への面談が終わりました。
中3生では、もう受験間際ですが、ほとんどの生徒が自己ベストの偏差値を出してくれました。この時期であるにもかかわらず、中3生9名の内3名が偏差値70を越えてきました。彼らの努力が目に見えます。
こうした成果は、すべて子どもたちの努力にあります。
今日、小6生の面談で、ある女子が
「先生、私、算数が苦手なんです。できるようになりたいので、ビシバシしごいてください。」
と面談で訴えてきました。
私は
「いや、僕は、ビシバシしごきません。ガンバるのは君だし、君がガンバるなら、僕は、精一杯できる限り応援してしていくよ。」
と答えました。
はなゼミでは『させられる』勉強は、極力しないようにしております。「させられる」より「したい」勉強の方が楽しいですし、何より本当の力になると思うからです。
中3生は、これまでの努力を結果につないでもらいたいですし、後輩たちは、自らの希望や夢を叶えるため、努力してもらいたいと思っています。


志望校、将来を決めるために

Let's Fly!先日、中学2年生に「なぜ、高校に通うのか」というガイダンスをおこないました。

「みんなが行くから行く」という没主体的な姿勢ではなく、主体的に高校に通うことの目的意識を持って、あと1年半の勉強に励んで欲しいからです。

さて、このテーマでとても簡潔にまとめられているブログ記事があったので、紹介したいと思います。

志望校が定まらない高校2年生に「この1行」
Point1. どういう社会を創りたいかを考える。
Point2. 様々な年齢や立場の人とふれあって、お話を聞いてみましょう。
Point3. 生活を豊かにするチカラをつけるための受験勉強。

として、志望校を決めるための3つのポイントを上げておられます。

当然のことながら、私は、この第1のポイントがとても重要であると考えます。さらにいうなら、「自分は社会に役立つ」こととするんだということが大切であると思っております。

先に書いたガイダンスでは、子どもたちにリアルに感じてもらうために、仕事や収入という側面を中心に話をしました。しかし、「自分1人が金を稼いで裕福になればいい」というのはなく、社会の中で自分が位置づいて初めてやりがいや生きがいができてくるのではないかと思うのです。
また、みずからが社会の中で位置づいていくためには、多くの人々と話をして、「生の学習」をすることも大切であると思います。勉強は、何も教科書だけではありません。多くの「先輩」から、その経験を聞くことは、大変貴重な「学び」に他なりません。

そして、当然のことながら、自らの進むべき道を実現化していくためには、やはり「教科書」の勉強も必要になってきます。もちろん、この勉強は、絶対必要であるとは思いません。中学しか出ていなくても、社会に大きく貢献する人もおられます。しかし、だれもがそのようにできるということもまたないでしょう。そうであれば、勉強して、いろいろな知識や考え方を学び、応用できる力をつけることが「生きていく力」「世の中で貢献できる力」を養う近道になると思います。

5年後、10年後、社会に出て行く子どもたちに、一回りでも二回りでも、たくましく大きく育って欲しいと思っております。

photo by: Hamed Saber

理科教育の必要性 ~~義務教育はなぜ必要か

東京の丸ノ内線で、缶が破裂し、十数人の方がケガをされたというニュースを最初聞いたとき、「オウム真理教のテロ」を思い出しました。東京は、全世界でも有数の経済大国・日本の首都ですから、ある意味、何が起こるか分かりません。オウム真理教のような集団が、クーデターのようなものを企てることも十分あり得ます。
しかし、これは、事件ではなく、事故でした。26歳の乗客の女性が持っていたアルミ缶が電車内で破裂したようです。中に入っていた洗剤が容器のアルミ缶と反応し、中で水素ガスが発生、そして破裂したようなのです。
私は、以前からこのような事故があるたびに、義務教育、とりわけ理科教育の必要性を痛感します。
この洗剤は、水酸化ナトリウムが主成分だそうです。「水酸化ナトリウム」と聞くと、この時点で、彼女が持っていた洗剤がかなりの劇薬であり、慎重に扱わないといけないということが分かります。私は、授業において「水酸化ナトリウム」という言葉が出ると、枕詞のように「劇薬」と言うことも子どもたちに伝えます。劇薬であるということが分かっていれば、人間慎重に扱うものです。
また、普通、金属は酸に反応し、溶けて水素を発生させます。しかし、アルミニウムは、酸でもアルカリでも溶けて水素を発生させます。水酸化ナトリウムは、強アルカリですから、溶けて水素が発生する危険性は高校化学の知識があれば分かります。もちろん、先に書いたように、実は中学理科の知識、つまり水酸化ナトリウムは「劇薬」だというだけで注意して扱うはずなのです。
以前にも、洗剤や漂白剤を混ぜて使い、有毒ガスが発生し、人が亡くなるという事故が相次いだことがありましたが、基本的にこのような薬品を、なんの知識もなく「混ぜたり、金属の容器に入れたり」することは絶対にやってはなりません。
最近では、洗剤や漂白剤などには、「まぜるな、危険」などと大きな字で書いてありますが、本来なら義務教育を受けたものであれば、薬品は勝手に「混ぜたり、入れ物を変えたりしてはならない」ことは何となくでも分かるべきだと、私は思います。そのために、義務教育はあるのではないかと思うのです。
学校教育とは、「点数をとるために勉強する」のではなく、「よりよい生活を送るため」に受けるものではないでしょうか。
私は、塾の講師ですが、こうした視点を常に忘れずに、子どもたちに教えることを通じて、生きていく力をつけてもらいたいと思っております。


子どもの学習と親の関わり方【2】

3つめのグラフは《「勉強しなさい」という声かけと子どもの学習時間の関係》となっています。
ここで、確認したいのは、小学校低学年までは、「勉強しなさい」という声かけをした方が、勉強時間が長くなる傾向にあるのに対して、中学生においては「勉強しなさい」と声かけをしない方が勉強時間が長いということです。

私は、これを子どもの自立の問題と考えます。
つまり、小学生低学年は、まだまだ親御さんが「育てる」という側面が強いのに対して、中学生くらいになると自立心が出てくるので、むしろ子どもの自立心を信用するくらいの方が子どもは自律的に学習するということではないかと思うのです。

さて、問題は、子どもが自律的に学習できるようになるのはいつ、そしてどのようにしてかということではないでしょうか。
グラフを見ると、小5~小6あたりが「我が子を信頼して手を離していく」時期なのではないかと思います。とすると、小4あたりから「なぜ勉強するのか」など、子どもが自律的に勉強できるような話をしていくと良いのかも知れません。

4つめは《子どもと将来や進路について話をする》グラフです。
はなまるゼミナールでは、コーチングに基づき、授業を進めております。したがって、「なぜ、勉強しなければならないのか」「宿題はなぜあるのか」などを適宜、子どもたちに話しながら、子どもたちの自立を促しております。先日も、小学6年生に「中学生に進学するにあたって」という講義をしました。子どもたちが、緊張感とともに顔つきが締まっておりました。また、保護者の方からも、「家に帰ってからいろいろと話をしてくれ、中学生になったらついて行けるかと心配だったが、少し安心した」などと言ってもらっております。

私は、子どもたちには、その段階に応じて、「将来や進路」の話はかならずする必要があると思っております。
さて、グラフにおいては、小5、小6においては8割近くの親御さんが子どもと「将来や進路」の話をしておられます。中3生では9割を越える方が話をしておられるのですが、中3になってからでは少し遅いのではないかと私は思います。

というのも、どこの高校に行くかで一定程度、人生の幅が決まってきます。当然、高校で人生のすべてが決まるわけではありません。しかし、高校によって合格する大学はだいたい決まっていることから考えると、中3までには一定の目標を設定した方が良いのではないかと思います。中3で「将来や進路」の話をし、「それなら大学に行かなきゃね、じゃあ○○高校に通おう」となったとしても、その時点で実力や成績が間に合っていれば良いですが、間に合っていなければ、なんのために「将来や進路」の話をしたか分かりません。まるで、「無理である確認」をしたかのようになってしまいます。

理想を言うと、小6あたりから段階を経ながら、中2くらいまで少しづつ「将来や進路」について話し合いながら、学力をつけていき、最終的に中学3年生では「夢や希望」に見合う高校を受験するという形が良いのではないかと思います。

最後のグラフは、《子どもと将来や進路について話す割合と学習時間との関係》です。
大変興味深いのは、若干の変動はあるものの、小学1年生~中学3年生において、すべての学年で「将来や進路」について話をしている子どもほど、学習時間が多いということです。

とりわけても注目すべきは、小4~小6にかけては「将来や進路」について話をすれば、子ども自身がきちんとそれを理解し、学習に励んでいる様子がうかがえます。うまく子どもたちが自律的に行動している証拠でしょう。

しかし、よく考えてみると、当たり前のことかも知れません。人間は、本来、みずからの頭で考え、行動する動物ですから、「頭ごなしにやりなさい」と言われるよりも、「理由が分かった上でみずからやる」方が人間の特性に合っていると思います。

ただ、中1、中2においては、学習時間は下がっています。この辺りで、さきに書いたように「勉強しなさい」と親御さんが言わざる得ない状況が分かります。本来なら、自分の「夢や希望」に向かって、さらに学習に励まないといけないのですが、なぜだか下がっております。

この原因の1つは、「話す内容」にあるのではないかと思っております。中学生というのは、義務教育が終わる学年であり、いわば「大人になるための練習期間」でもあります。ほとんどの中学生が高校進学する時代であるとは言え、希望すれば、就職することだってできるわけですし、実際にしょうなりといえども社会人になる子どももおります。周りの大人はそうした中学生を「大人への訓練生」として見る必要があります。

つまり、小学生に話す内容に比べ、中学生に話す内容は「子供だまし」のようなものではなく、現実的でないといけないと思うのです。しかし、むずかしいことは、あまりにも現実的すぎるのも良くありません。子どもたちは、まだまだ磨けば磨くほど光る原石なわけですから、「夢や希望」を残しつつ、リアルな「将来や進路」についての話をしてやる必要があるのではないでしょうか。ここで、「小学生のときに言っていた内容と変わらないこと」を言っていると、子どもたちに見透かされてしまい、逆効果になってしまうかも知れません。

ただ、中学生は思春期でもあり、むずかしい年頃です。親がいくら良いことを言っても、子どもは聞く耳を持たない年頃です。むしろ、こうした時期には、学校や塾の教師、あるいは親戚など、ちょっと距離の離れた人に「少し将来や進路」について話をしてもらった方が良い時期かも知れません。

ですが、グラフを見る限り、中学3年生になると、また、学習意欲に燃え、勉強するわけですから、中1、中2で「反抗的になった」と嘆くのではなく、もう少し長い目で見ていく必要があると思います。

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子どもの学習と親の関わり方【1】

Benesse教育研究開発センターが、「第4回子育て生活基本調査」の結果から、「子どもの学習面と親の関わり方」をまとめています。興味深い内容ですので、少し考察したいと思います。(グラフはクリックで拡大します)

 まず、《子どもの勉強時間と、母親が子どもの勉強を見る時間のグラフ》からです。
このグラフから、私が注目した点は、小学5年生から学習量がグッと増えて、中学2年生まで、その学習量は変わらないということです。
小5といえば、中学受験生が本格的に学習を始めるということもあると思いますが、本質的には、小学5年生からの学習はかなり本格的になり、それなりに時間をかけないといけないということであると思います。

確かに、国語にしても、算数にしても、内容がより抽象的になり、むずかしくなります社会も理科も本格的な学習になります。小5と小6の学習がやはり重要なポイントであるということでしょう。

さらに、小学5年生から、しっかりと学習をつんでいれば、中学1年と2年はその延長で一定乗り切れるということでしょう。1日75分前後の勉強時間というのは、そう悪くはないと思います。ただ、小学校時代と比べ、教科も内容も増えることも考えると、もう少し学習時間があっても良いかなとも思いますが、大切なことは時間ではなく、内容・質ですから、きちんと計画的に毎日75分ほど学習していれば、かならず力になるはずです。

また、3つめに、中学3年生になると、学習時間がグンと増加しています。だいたい、毎日2時間くらいは勉強すると考えても良いのではないでしょうか。以前、教室責任者として勤めていた教室では、中学3年生は本当によく勉強していました。秋以降ですと、夕方から塾が閉まる22時まで、食事の時間はいったん帰るものの、4~5時間は勉強していたのではないでしょうか。

次に、母親が子どもの勉強を見る時間についてです。
小学1年~4年までは、ほぼ1日30分くらいは母親がついて子どもの勉強をみていることが分かります。当然のことながら、学年が進むにつれ、子どもの学習時間は増えますから、小学1年生では「子どもの学習時間」と「母親が見る時間」がほぼ同じなのに対して、小学4年生くらいになると、親が見る時間とほぼ同じ時間を子どもが1人で勉強しています。

さらに学年が上がるにつれて、母親が子どもの勉強を見る時間は減少していっています。

《学習面での母親の関わりのグラフ》を見てみましょう。

面白いことに、小学1年~6年と学年が上がるにつれ、「勉強しなさい」という声かけが減っていきますが、中学生になるとまた増えています。やはり、このあたりに母親の子どもに対する心配が現れています(右のグラフの青い線)。

しかし、逆に言うと、少し大人びてきた子どもたちの「親に対する反発」も見られるのではないでしょうか。
さらに、学校の宿題と夏休みの宿題を手伝うかどうかのグラフ(赤い線)がありますが、学年が上がるにつれ手伝う割合が減っているものの、中学3年生の夏休みの宿題を手伝う母親が2割以上おられるのが気にかかります。受験を控えた夏休みで、宿題の量はとても多いことは想像できるのですが、ここは親御さんとしてはグッとこらえて、子ども自身にやらせてみることが必要ではないかと思ったりします。というのも、宿題での苦労はやはりした方が良いと思うからです。無理に苦労する必要はないとは思いますが、それでも子どものうちに一生懸命頭を悩ましたり、同じ問題を何十分も考えたり、いろいろな方法でしらべたりする経験も、大人になっていく上で貴重な経験と考えます。

《つづく》


塾をサボる子について

Troy Historic Village
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以前の記事で、塾に遅刻する子、サボる子というのを書いたのですが、「塾をサボる」というキーワードで多くの方が検索されて、このブログを訪問してくださっているのに、大変驚いています。

保護者の方か、塾関係の方か分かりませんが、そんなに「塾をサボる子」が多いのでしょうか。

私は、基本的に「子どもは好奇心のかたまり」であると思っております。だから、学習を通じて、子どもたちが好奇心を刺激されれば、塾通いがイヤになることは基本あり得ないと思っております。また、子どもは大人と違い人間の本質がそのまま現れておりますから、その場所に自分の居場所があると感じたなら、いやがるどころか喜んできてくれると思っております。

では、なぜ、子どもが塾をサボるのか。それは単純に「面白くない」からでしょう。そして、自分が認められておらず「自分の居場所」を感じることができないからだと思います。

検索しておられる方が保護者でお困りなら、塾と子どもの相性が合っていないといわざるを得ません。それは塾の授業が難しく「面白くない」のか、その塾の講師やルールに合わなくて「面白くない」のか分かりませんが、その子にとって塾での学習が自分にとってはまったく「無味」なものとしか思えないのでしょう。塾の授業が自分の好奇心を刺激しないのであれば、その場にいる必要もありません。また、そうであるなら、親の方も無理にそんな塾に通わせる必要もないかもしれません。勉強は決して楽なことではありませんが、分かるようになると面白くなるものですし、その感覚が成長しても子どもにとって大変重要な経験になるのではないでしょうか。大人なら、自分がこの場にいる意味などを理解し我慢することができるかもしれませんが、子どもの年齢が下がれば下がるほど、場にいる意味を理解などできないでしょう。

検索してくれたどり着いてくれた方が塾の先生なら、これはいくらでも工夫ができる問題であると思います。授業が難しいと感じているなら、その子に分かるようにすればいいだけですし、あるいは補習をしてもいいでしょう。塾のルールになじめない子がいるなら、なじめるように「見える化」したり「ゲーム化」したりして、その子に入っていけるようにすればいいだけです。塾は公教育とは違い、親御さんや子どもからすれば、いくらでも「選ぶことができる」訳ですから、それくらいの工夫は当然すべきです。もちろん、塾の方針をねじ曲げたり、妥協する必要はないと思います。子どもが塾の方針を受け入れやすいように、敷居を下げるなど工夫してあげれば、子どもたちは柔軟性がありますから、すっと入ってくるでしょう。

いずれにせよ、塾に通うのは子どもであり、通う本人が「いやいや通う」というのは辛いことです。ただでさえ、学習というのは忍耐や困難がつきまといます。楽して勉強ができるようになるなどあり得ません。であれば、少なくとも子どもが通いたいと思える塾に通う、あるいはそういう塾にしていくことは当然なのではないでしょうか。


若いうちにいろいろなことを学んでおく

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長年、子どもたちを教えていると、時々、こんなことをいう子がおります。

「先生みたいに、かしこかったら良かった」

子どもから見ると、教師というのはそう見えるのでしょうが、決してそんなことはありません。

私の両親はほとんど学がありません。戦後、苦労して私と妹を育ててくれました。そんな中、私も「親がもっと頭が良ければ、僕も頭のいい子だったのに」と恨んだことも決して少なくありません。子どもの頃、父親にも母親にもほとんど学校の勉強を教えてもらった経験すらほとんどないのです。

だから、小学生の頃はよく図書館に調べ物に行きました。塾に通い出すと、塾の先生に質問ばかりしていました。

しかし、こうした経験は今思うと、大変良かったなあと思えるのです。

レオナルド・ダ・ヴィンチが次のような言葉を残しているそうです。

老いてからの欠乏を補うのに十分なものを青年時代に獲得しておけ。年寄りが食物として必要なのは「知恵」である。 そのことを知る者は(知恵の)栄養不足にならぬよう、若いうちに努力せよ。

30代、40代と年をとるに従って、物忘れがひどくなったり、新しいことを覚えることがおっくうになったりしてきます。つまり、「知恵の栄養不足」に陥りやすくなるのでしょう。

私は、子どもたちによく「今、こうして君たちに教えていることは、ほとんど10代に勉強した内容なのだよ」ということがあるのですが、若いうちにいろいろなことを学び、経験しておくことは、人が生きていく上で、とても貴重な財産になります。

以上のことは、今を生きている子どもたちに、なかなか理解できることではありませんが、しかし理解できなくても、「かならず自分のためになるんだ」と自信を持って、「学びなさい、努力しなさい、そしていろいろと経験しなさい」と言い続けています。


愚者は賢者に学ばず、賢者は愚者にも学ぶ

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イギリスのことわざにこんな言葉があるそうです。

愚者は賢者に学ばず、賢者は愚者にも学ぶ。

これまで20年あまり、本当に多くの子どもたちと出会ってきました。20代に教えた子どもの中には、芸能界で活躍している子もいたりします。
私は、授業中に「くだらない」話をしたりするのも結構好きなのですが、子どもたちを見ていると、その受け止め方に大きな違いがあります。
もっとも多いのは、(1)単純に笑ってくれる子ですね。そして、(2)真剣な顔をして「くだらない」話を聞いてくれる子(3)まったく相手にせずムシする子の大体3グループに分けられます。
第1グループの子どもたちは本当に子どもらしく、笑ってくれるので、こちらもたいへんにうれしくなります。
第2グループの子どもは、今にも「くだらない」話をメモしそうな勢いで真剣に聞いてくれます。もちろん、こちらも授業の流れとはまったく関係なく「くだらない」話をしているわけではありません。実は、流れの中で、意図してやっているわけですから、その意図を見ぬこうぐらいの迫力で聞いてくれるのはうれしい限りです。ただ、できればいっしょに笑って欲しいのが本音ですが。
さて、問題は第3グループです。こうした子どもは、あまり成績が伸びた記憶がありません。クールなんですね。
私は、勉強もできれば、楽しめたらと思っております。一生懸命にがんばって分かるようになってうれしいというのは正当ですが、「緊張と緩和」の授業で「緩和」の部分をもっとフランクに楽しめたら、勉強はますます楽しくなるんじゃないかと思っています。
「くだらない」話は、それはそれで楽しんでもらい、5年後、10年後、あるいは20年経ったときにふと「あっ、あの時のしょーもない話はこんな意味があったのか!」なんて思い出してくれれば、本当に教師冥利に尽きます。


学習の動機

Don't look until I'm done!
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はなまるゼミナールでは、自主的・自律的に学習できる子どもに育てることを目標にしています。親や教師に言われたことをきちんとすることも大切なことですが、言われなくても、自分で考え、行動するようになることが、これから子どもたちが成長していく上で、とても大切だと考えるからです。

さて、人の学習の動機はどんなものでしょうか。

たとえば、子どもが赤ん坊だったらどうでしょう。この子が、ちょっとした瞬間に立ち上がったら、大喜びしたのではないでしょうか。そして、立ち上がることしかできなかった赤ん坊が、つたえ歩きやよちよち歩きをしたら、親は当然のこと、それを見ていた周りの大人は、みんな喜んでくれます。

赤ちゃんは、立ち上がって歩くことを喜んでくれる親に、安心と勇気を得て、さらに挑戦をします。

学習の動機は、まさに安心と喜びから始まるのだと思うのです。

我が身を思い浮かべても、そういうことはあると思います。中学生の頃、高校生の頃、勉強や部活に打ち込んでいた。怖い先生もいたかもしれません。練習が辛かったこともあるでしょう。受験勉強が苦しかったこともあると思います。しかし、その中に、“喜び”も必ずあったはずです。コーチに評価される、監督に認められる、成果が出るなどなど、かならずあるはずです。決して、苦しいだけ、しんどいだけ、辛いだけではなかったはずです。

もちろん、学習は、そんなに楽しいことばかりではありません。しかし、学習の中に“喜び”がなければ、学習の動機には決してならないでしょう。子どもの指導においては、子どもを認める言葉がけをおこない、子どもが“喜び”や“安心”を感じられるように心がけたいものです。