「学習塾が教育を語るなと言う人もいるけれど」

lisa78_mbasawaru20141018102912_tp_v塾友だちのブログに、「学習塾が教育を語るなと言う人もいるけれど」という記事が上がっておりました。
「学習塾は生徒の成績を上げるのが仕事であって、
学習塾が教育を語るなと言う人もいる」
という前置きから文章が始まっております。
さて、私はここにいくつか疑問を感じます。
まず、第1に、学習塾は「成績を上げるのが仕事である」なんて、誰が決めたのでしょうか。
私は、私塾の良さというのは、公教育のように「文部科学省」や「指導要領」に左右されないことがあると思っております。
つまり、それぞれの塾がそれぞれの理念に基づいて運営できる点が素晴らしいと思っているのです。
「地域の一番高の合格を目指す」という塾があれば、「学力再生を目指す」という塾もあります。はなまるゼミナールのように、単に勉強ができれば良いというのではなく、「学力を生きていける力に」してほしいという願いを持っている塾もあります。
だからこそ、保護者、生徒の方々が、ご家庭の教育方針に合う塾を選ぶことができるのです。
そして、第2に、生徒の成績と教育は切り離せることができるのかという点です。
私は、今、複数種類の心理学の勉強会に通っております。その最大の理由が、保護者、生徒の「良き相談相手」になるという目的からです。
長年、子どもたちを指導していますと、子どもたちの成績が単純に勉強の内容や量だけで左右されるものではないとわかります。
突然、成績が下がったと思えば、その原因がお父さんとお母さんの夫婦仲の悪さだったり、いい感じに成績が上がったと思えば、単身赴任のお父さんが自宅に戻ってきたりと、子どもの成績はご家庭と直結していることがあります。
そういう現実からとらえますと、子どもの成績を上げるためには、勉強だけではないのです。やはり、教育的な側面がたくさん出てくるのです。
先に紹介したブログ記事においても、「本当に教育って何だろう? 勉強って何だろう?」という言葉が出てきますが、親や学校の子育てだけではなく、塾においても、とても大切な視点であると思います。
私は、創塾した6年前も今も、家庭、学校・地域に次ぐ、子どもたちが大きく育つ3番目の場を提供したいと思っております。
子どもは、社会の中で育っていく。
これからも、変わらずこういう立場で塾を運営していくつもりでおります。


明けましておめでとうございます。

New Year`s Morning明けましておめでとうございます。 はなまるゼミナールは、2011年に設立し、丸5年をむかえることができました。 これはひとえに、お子さまを預けてくださっている保護者の方々、そして地域の皆さまのおかげに他なりません。 狭い道の住宅街にポツリと建つ一軒家を改装し、塾としておりますが、毎年毎年、兄弟姉妹関係や友人、知人の方を紹介していただき、毎年、定員にほぼ近い状態になっております。したがいまして、本来使うべきチラシなどの宣伝広告費は、まったくかけることがなく、その分、様々な形で生徒に還元しております。 さて、2016年、はなまるゼミナールは5周年を迎え、6年目に突入します。この間、「学力を生きる力に。」をモットーに、生徒指導を行ってきました。しかし、まだまだ「生徒が主役の塾」と言えるには、ほど遠く、子どもたちの生きる力を伸ばしきっているとは言えないのが現状です。 しかし、5周年を迎えた今年、子どもたちが自主的・自立的に学習できるよう、一部の学年のおいて、指導形態をバージョンアップいたします。子どもたちの「意欲」を引き出し、自主的・自立的に学習できる指導へと発展いたします。 ご期待いただければ幸いです。

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新年度は3月16日から始めます。

2015年度、新学年の授業は、3月16日(月)から開始します。

15年度は、小学生の指導要領の改訂と、2020年の大学入試改革を見据え、教材や授業形態をバージョンアップいたします。


するなと言われればしてしまう、、、

Playing With Mud
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人というのは、面白いもので、するなと言われればしてしまったりするものです。たとえば、

真っ黒で大きなお化けが後ろから静かに近づいてくるなんて想像しちゃダメ

なんて言うと、やっぱり想像してしまったりします。一休さんの有名なとんち話で、和尚さんに「毒だから食べてはダメだ」と言われていたツボの中の水あめを、仲間の坊さんとみんな食べてしまった話は有名ですよね。

想像するだけだとまだいいのですが、頭に思い浮かぶと体が勝手に動いてしまうと、さらにやっかいです。こんなことはないでしょうか。

友だちとキャッチボールをしていたら、人が通りかかった。いつもだったらボールは外さないのに、そのときに限って、ボールが人に方に飛んでいってしまう、、、。危ないことです。頭の中で「あっ、人が。そっちにボールが行ったらダメだな」と思った瞬間、体が勝手に動いて、投げてはいけない方向に無意識に投げてしまうんですね。

人は、イメージしたとおりにしてしまう傾向があります。だから、教育コーチングでは、子どもたちに対しては、

「~してはダメ!」という言葉は極力使いません。

そうではなく

~をしよう

と言います。

「宿題を忘れてはダメ」ではなく「宿題をしよう」

「しゃべるな」ではなく「静かにやろう」という表現になります。

私も子ども時分は、学校の先生や親から「~してはダメ」とよく言われてきました。しかし、こうした注意の仕方が、とても不適切であることは簡単に証明できます。

たとえば、少年野球でピッチャーをしている子どもとコーチがいるとします。そして、コーチが彼に指示をします。

「外角低めに投げちゃ、ダメだ!」

さて、こうした指示はどうでしょうか。さらに言うと、これは本当に的確な指示、あるいは注意なんでしょうか。「外角低めに投げちゃダメ」ならどこに投げればいいのでしょう。外角高め? それとも内角に? さっぱりわからないんですね。優れたコーチなら、

「内角低めに集めろ!」

などと言うはずです。こうした言葉かけが的確であるのは言うまでもないでしょう。つまり、私たち大人は子どもに対しては、「ダメ」という言葉を投げかけるのではなく、できる限り子どもがその通りに動きやすい指示を出していきたいものです。

ご家庭でも、ぜひ活用してください。お子さんが少し変わるかもしれません。

 


放物線を描くように

artree #69, by ipad
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この夏、たくさんの生徒を教室に迎えることができ、紹介していただいた保護者の方や選んでいただいた保護者の方に本当に感謝する次第です。

さて、はなゼミの方針として、ゆっくり確実に成長を促すということがあります。テクニックで早急に結果を出すのではなく、「なぜか」を大切にしながら、ゆっくりと子どもたちに勉強を教えております。寓話的に表現すると、「ウサギとカメ」のカメの指導方法ではないかと思います。

たしかに、華やかさという意味では、ウサギのように走りぬける方がいいかもしれません。しかし、はなゼミではあえてカメのようにゆっくりしかし確実に歩んでもらいたいと思っております。これは、私の塾講師20年の中で、高校から大学に行った生徒たちをみていると、やはりそのほうがいいという結論からです。

さて、このカメのような学習方針、数学的に表現すると放物線を描くようにといった感じでしょうか。ゆっくりゆっくり、そして確実に上っていき、受験期には一気に駈けのぼり、勝利をつかんでいく。このような指導を心がけております。


文章をつくる

From a distance the River cherishes
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この夏、子どもたちには文章読解能力と文章作成能力をつけてもらいたいと思っております。

さて、文章作成ですが、文を書くのがきらいな子どもにどうすれば、文を書いてもらうことができるのか。きらいなものをさせることほど、難しいことはありません。

はなゼミでは、まず「箇条書き」短文を書いてもらっています。文章書きなさいと言われると、いやな顔をする子でも、箇条書きで短文と言われるとわりとサッと書いてくれます。次に、それを文章化してもらいます。こうした手順を踏むとけっこう書いてくれます。

つぎに、題材です。

小学生に、日記を書かせると、「何を書いていいか分からない」ということがあります。「昨日、何をしたの?」と聞いても、「普通」と答え、進まないこともままあります。日常の幸せはささやかであっても、当たり前の生活にあると思っていますが、それでもやはりその当たり前の生活をしっかり表現する必要があります。

この夏のはなゼミの読解の授業第1弾では、子どもたちに絵(普通の絵からちょっと意味不明の絵まで)を見せて、それを文章で表現する練習をしました。結構盛り上がりながら、いろいろ書いてくれました。文を書くのが好きな子はもちろんのこと、書くのが嫌いな子でさえ、10行くらい書いてくれ、子どもたちが本来持っている作文能力の大きさを実感いたしました。

さて、はなゼミに通わせていただいている保護者の方は、もし良ければ、子どもに箇条書き作文を見せてもらってください。どんなことをしながら、文章作成の練習をおこなっているのか分かっていただけると思います。


理科がもっと好きになる

La Recherche, l'Education et le Muséum
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小学生でもカメラ付きの携帯電話を当たり前のように持つ姿は、ほんの10年ほど前までは考えられないことでした。

これほどまでに科学技術が発展し、私たちの身近になってきているにも関わらず、理科嫌いの子どもが増えてきていると言います。日本は、資源のない国です。資源がない中で、戦後日本のあり方として、高い技術力を誇ってきたのは言うまでもありません。

はなまるゼミナールでは、9月から小学5年生、6年生対象に

理科がもっと好きになる

企画を月に1回の割合で、おこなっていく予定でいます。理科の好きな子どもはワクワクし、理科のきらいな子どもも面白そうと思ってもらえると思っております。

現在調整中ですので、盆明け後に発表したいと思っております。


ほめられるとテングになってしまう子ども?

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私の指導方針は、子どもを評価しつつ、自律的に学習してもらうためのコーチング理論に基づいております。

保護者の方にその旨を説明していると、ときどきこのようにおっしゃる方がおられます。

「うちの子は、ほめるとテングになるので、ビシビシ厳しく指導してください」

私は、ほめることとテングになることは全く別のことだと思っています。もし、本当にテングになっているのであれば、それはほめられたからではなくて、申し訳ありませんが、“ほめるとところ”が間違っているのです。

小学校や中学校の勉強などは、さほどむずかしいものではありません。すこしばかり勘の良い子であれば、そんなに勉強しなくても、けっこう点数がとれたりします。そんな子に

「うわあ、いい点とれたね。良かったね」

などとほめてもダメなのです。なぜなら、その子はさほどがんばらなくても、点数はとれるのであり、点数だけをほめてしまえば、それは同時にがんばらないことへの「評価」になってしまうからです。

あくまでも子どもを評価する場合、その過程を見なければなりません。どれだけがんばったのかということです。もちろん、がんばり具合の判断は、その結果である点数に関わってきますが、重要なのは、〈1〉がんばり具合 〈2〉結果としての点数であるべきです。

結果のみを「評価」=ほめていると、その子が高校、大学、あるいは社会に出たときにドロップアウトする危険性が出てきます。先にも書いたように、小中学校の勉強などさほど勉強しなくても、すこし勘のいい子ならできるのです。しかし、そんな子どもでも、高校の勉強は違います。しっかりと勉強しないと、やはり結果はついてきません。さらに、結果ばかりを重視していると社会に出たときにどうでしょうか。大人の世界は、結果といっても点数化されるわけではありません。社会からの評価はやはり努力した上で、しっかりとした結果を出すことにあります。努力もせずに、結果だけを求めることなどできませんし、その結果にしても学生時代のような「明らかな」ものではないことが多いからです。

子ども時代は、社会で通用するための訓練であると思っております。テストで100点取ることは確かに立派であると思いますが、大切なことはどのようにして100点をとったのかということではないでしょうか。

最後に、大学時代の苦い友人の思い出を披露しておきたいと思います。

とある友人がいたのですが、その彼がいつも口癖のように言っていたのが

「俺は灘中学校を落ちた」

ということでした。不合格を卑下しているのではありません。不合格ではあるものの、灘中学校を受験するほど、自分は偉かったのだと言うことを言っていたのです。大学では、地道な研究や調査、レポート活動などが問われます。明確な点数としての結果は出てきません。そんな中、彼は、ほとんど授業に出なくなります。2年ほど留年した後、アパートにこもりっきりになりました。母親は息子の手帳を調べて、私の下宿先の電話番号を調べては、私に授業に出るよう頼んでくれと何度か懇願してくるようになりました。そして、ついには卒業せずして親に引き取られていきました。

彼は、小学校時代に灘中学校の受験資格が得られるくらい、勉強をがんばったんだと思いますが、すべりどめの中学、高校ではどう過ごしてきたのでしょうか。彼の問題はやはりその過程ではなかったのかと思わざるを得ません。


ドラッカーの『マネジメント』から教育を見る

Magenta Rising
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『毎日新聞』(6月7日付)の余録に、ドラッカーのマネジメントについて引用されている部分がありました。

引用されているのは、『マネジメント』の一節で、次の文です。

アメとムチによるマネジメントはもはや有効ではない。……マネジメントの手に、もはやムチはない。アメさえ人を動かす誘因となりえなくなった

私自身は、ドラッカーについては、何年か前から、一度よんでみたいと思っているのですが、まだ手をつけていません。しかし、この一節はとても気に入りました。
マネジメントとは、英語そのままでは管理、経営と訳されますが、そこから、目標、そして目的を達成するために手を打っていくことと解されます。ドラッカーのこの一節がまさに文字通りであれば、目標を達成するためにはムチはもはや有効ではないし、アメさえ人を動かせなくなったということでしょう。
これは、まさにはなゼミがめざす教育のあり方そのものです。
教師の中には、できなければ子供を怒るというスタイルと取っておられる方がたくさんいます。しかし、ドラッカーの言葉を借りると、もやは教育においてもムチはなく、アメすら子供を動かす原動力になり得ないと言うことでしょう。
では、何が子供を動かすのか。
子どもを動かすのは、私は、夢と希望であると思います。
夢と持つ子どもは、その夢に安心して突き進めるよう、教師がバックアップに回るし、夢がない子どもには夢を持たせる授業を展開し、さらに「わたしにも、ぼくにもやればできるんだ」「勉強って、けっこう楽しい」と希望を持たせるということではないかと思うのです。
はなゼミでは、コーチングの技術で子どもたちの指導に当たります。まさに、ドラッカーのマネジメントそのものではないかと思うのです。


定期テスト対策~~期末テストに向けて

niagara rain
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梅雨の真っ最中ですので、しとしと雨がよく降ります。一雨ごとに、木々の緑が濃くなっていくのは、とてもうれしいのですが、雑草も一雨ごとに伸び盛り。困ったものです。。。

さて、中間テストの結果が返ってきたばかりですが、今度は6月15日から期末テスト2週間前に入ります。

生徒たちには、期末テスト対策が始まるこの2週間のうちに、中間テストの自己分析・評価シートを完成してもらい、今度はその思いを期末テストへ向けた勉強にぶつけてほしいなと思っています。

ちなみに、中間テスト2週間前からの対策をした生徒たちは、まずそこそこの点数をとってくれたのではないかと思っています。子どもたちへは私から80点くらいあげたいと思います。しかし、「ここは出るよ」「ここは間違えやすいよ」と言っていたにもかかわらず、ポツポツとミスも目立ちました。しかし、そうしたことは、当の子どもたち自身がよく分かってくれていると思いますし、しっかり自己分析してくれると思っております。私としては、詰めの甘さをなくしていくよう、私自身がもっともっと工夫し、努力しないといけないと強く心に思っている最中です。

中間テスト前後から、新たに一緒に勉強するようになった子どもたちにも、期末テストでは大いに良い点をとってもらうべく、がんばっていきます。