困難に直面するのは、とっても素晴らしいこと!

Heart
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我が子を困難に直面させたくないというのが、親心ではないでしょうか。そのため、親は予防線を張り、我が子が困難に直面しないようにあらかじめ注意をしたりします。
しかし、どうでしょうか。私は、一定程度、子どもは困難に直面すべきであると思うのです。それは、成長したときに「真の困難」に出会ったときの訓練として、また親がいる、まわりに大人がいる間に「困難」に対する耐性を今のうちに身につけておいた方がいいのではないかと思うのです。
私は、子どもたちによく言うことがあります。

テスト勉強なんて、簡単なんだ。テストに出ることなんて決まっているんだから。でも、君たちが大人になってから出会う様々な問題には「答え」がない。その答えが書いてある教科書なんてない。だから、今、いろいろ勉強したり、経験したりして、学んでいるんだ

できれば、子どもたちには、いろんな「困難に直面」してもらい、できれば自力で解決していってほしいと思っております。そうした経験が、子どもたちを大きく強く鍛え上げ、将来、大変な困難に直面しても乗り越えていける力になると信じております。


十代の頃の趣味~スキー

Polar fox
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小さい頃から、母親からよく言われていたことがあります。

「まじめなだけでもアカン」

しかし、すこし不真面目になれといわれても、なかなか難しいものがあります。

さて、今少し反省しているのが、趣味のないことです。いつも教えている子どもたちのことを考えたり、カリキュラムなどを考えたりはするのですが、そのほか何をしているかと聞かれたら、「何もしていない」と答えざるをえません。

それでも、小学生から高校生までずっとやっていたことがありました。それがスキーです。毎年、かかさず数回は行っていました。高校生のときは、スキー部に属しており、近畿地区新人戦に出たこともあります。大学生になり、生活費のほとんどを自活するようになり、スキーには行かなくなりましたが、それまでは「親のお金で」本当によく行っていました。

この冬、教えている子どもがスキーに行くと聞き、ひさびさに思い出しました。子どもたちが休みのときが、塾が子どもたちに勉強させる絶好の機会なので、なかなか行けるものではありませんが、機会を見つけてみようかなと思ったりしています。


国文法に力を入れています!

Samurai in Rice Field. 5,000 visits to this photo. Thank you.
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はなゼミの国語学習の方針の軸は、多読です。外国語ならいざ知らず、母国語である日本語は、少し難しめの文章をたくさん読むことで、読解力を付けてもらいたいと思っているからです。

その上で、国文法をしっかりと理解していくことを国語学習の第2の軸にしております。

それは、

〈1〉文法は読解と違い、ある程度理論的に理解することができる

〈2〉文法を理解することで難解な文章が理論的に理解しやすくなる

〈3〉さらに、文法を意識すれば文章をきっちり書くことができる

という点にあります。

また、英語を学習していく上でも、文法の基本的な用語=主語や述語、修飾語、形容詞、副詞を知っておかないと、学習におくれを取ることになります。たとえば、英作する際に「主語を先頭にもってくるんやで」と説明しても、「主語」という言葉の意味が分からなければ、それは英語の学習以前の部分でつまづきを生じてしまいます。英語の苦手な子の英作などを見ていると、主語や述語や目的語などがグチャグチャと並べられていることが多々あります。それは、英語が苦手だとかいう問題以前に、実は国文法が全く理解されていないことが原因であることも多いのではないでしょうか。

はなゼミでは、できるだけ小学生の間に、国文法を理解してもらうために、かなりの時間を割いております。文の構造を小学生のうちから、感覚的であったとしても、飲み込めていければ、中学の文法で少々難しい内容が出てきても、「思考停止」することはないと思いますし、英語の文法説明もスムーズに入ってくると思うからです。


子どもへの評価

Free Child Buried in The Sand Creative Commons
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保護者の皆様にとっては、つい我が子と周りの子と比べてみたりしてしまうことがないでしょうか。往々にして、「隣の芝は青く」見えるものですし、回りの子と比較してみても、自分も我が子も救われないのが現実です。

そこで、子どもへの評価基準を作ってみてはいかがでしょうか。

(1) 半年前より(あるいは昨年より)、どれだけ進歩したか

他人の子を預かっておりますと、つくづく「子どもは、日々成長し、その成長速度は大人と比べるととても早い」といつも感じるのですが、これが親子ですと、なかなか「日々の成長」に気づかないことが多かったりします。

そこで、すこし時間をおいて、「半年前どうだったかな」「1年前は?」と振り返ってみて、その間の成長の度合いを見てあげてはいかがでしょう。そして、「けっこう、成長してるな」と感じたのであれば、ぜひそれをお子さんに伝えてあげてください。保護者の方々も、「自分の子育てへの評価がない、あるいは少ない」と思われることがあると思いますが、子どもも同じです。親御さんから、評価されれば、子どもはもっと勢いづきます。

(2) 人のいうことを素直に聞き、行動に移せる子になっているか

素直さというのは、とても大切であると、最近よく実感いたします。

私の名刺に、「学力を生きる力に」と刷り込んでありますが、日々の勉強やテスト勉強、志望校選びや受験勉強、そして合否、その1つひとつを通して、将来子どもたちが立派に独り立ちしていけることを意識しております。

昨年まで、大手塾で教鞭を執っておりましたが、毎年、新人講師が入ってきます。新人の特権として、様々な学ぶ機会が与えられますし、失敗する機会も与えられます。近年、大手企業では「新人教育」が省かれ、即戦力として実力のある新人を求める傾向にありますが、それでも新人は多くを学び、失敗も経験しながらたくましくなっていきます。

しかし、新人の中には、あまりにもプライドが高く、多くのことから学ぶことを拒否し、失敗を繰り返す人がいます。最初の1~2年は、先にも書いたように「学びの猶予」があるにもかかわらず、それを無視するのです。こうした人は、基本的に「仕事ができない」です。すべてにおいていえると思うのですが、「素直に学ぶ」という姿勢がなければ、その者に経験値が積み重なることはありません。逆に、自分1人の人生で経験できることなどたかだかしれていますが、周囲の先輩や上司から学べば、自分の人生経験以上の「経験」が積み重ねられることになります。

まさに、「素直さ」というのは「学び」そのものであると思うのです。

親や教師、大人のいうことを素直に受け止め、実行にうつし、つねに自分を高めていける、こうした子どもは不安定な将来といえどもたくましく生きていけるのではないかと思います。

(3) 我慢強く、ていねいに物事に取り組める子になっているか
「ゆとり教育」下のカリキュラムにおいて、私が最大の問題のひとつだと考えるのが、「ガマン強く丁寧に解かせる」問題がなくなったことです。

たとえば、国語においては、指導要領では「鑑賞する国語」と位置づけました。その結果、小学国語にしても中学国語にしても、各学年において子どもたちが「普通に読める」作品だけを教科書に載せたのです。すると、いくら教科書を読んでも、「ちょっと難しい言い回し」や「ことわざや故事成語」などほとんど出てきません。今、お子さんをお持ちの保護者の方は、「自分もそんなの勉強しなかったが、これくらいの言葉は自然と知っていた」と、我が子を見て思うことはないでしょうか。しかし、それはまったく仕方ないことなのです。教科書には「生活する上で必要最低限のことば」しか載っていないのですから。

「ゆとり」前には、漢語表現や文学的表現などが教科書に使われていて、子どもたちは理解するのに苦労していました。しかし、そうした苦労を伴いながら、子どもたちは頭の使い方を自然と学び、言葉を覚えてきたのです。

算数・数学においてもいえます。「ゆとり」下では3ケタの計算などすべて排除しました。あるいは図形などで、「どうやってみたらいいのだろう」と苦労するような問題はなくなったのです。

こうして教科書がかんたんになり、子どもがさほど苦労しなくても、解けるし理解できるようになったのです。その結果、子どもたちから「いろいろ考えてみたらできた」という喜びや悩み苦労するという経験を奪い、忍耐強くものごとを考え、行動することを奪っていったのです。

はなゼミでは、小学生に、ときどき20ケタほどの足し算をさせたりしますが、大概の子は「うわ! めんどくさい」といいます。しかし、これが「頭の体操」であり、自分の頭を鍛えてくれると感じてくると、パズルを解くような感覚になってきてけっこう楽しくなるのです。子どもというのは、好奇心のかたまりですから、当然のことでしょう。自分が「かしこくなる」ことを否定する子など、本来はいないはずなのです。

さて、たくましく生きていく子どもに育ってもらうための3つの視点で、ぜひ我が子を評価してあげてください。ひょっとすると、すこしちがった姿が見えるかもしれません。


「久保先生2号」

小学生の女子から、プレゼントをもらいました!
「久保先生2号」だそうです(^^)


ふくよかな顔に、メガネ、めっきり広くなった額、恥ずかしいほど、よく観察してくれています。

また、台の部分には、「久保先生」と漢字で作ってくれています。歯の部分も細かく表現してくれています。きっと、時間がかかったでしょう。本当にうれしい限りです。
彼女にとっては、私は笑っている印象が強いのでしょうか。でも、彼女が中学生になったら、ちょっと厳しくすることもあると思いますが、基本は笑顔で授業をしたいのだということを忘れないで欲しいものですicon_biggrin.gif

それにしても、教えている子どもから、こうしたものをもらうのは、何年やっていてもうれしいものです。感謝!


ふところの広い子どもに育って欲しい

Niños de Tilcara saliendo del cole
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授業をしておりますと、ときおり外から少年の奇声が聞こえることがあります。
すると、小学生が「あっ、○○(名前)や」と笑い出したりすることがあるのです。

そういう場面を何度か見てきた私は、疑問に思い、

「その子は学校の授業中でも叫んだりするの?」

と聞いたところ、そうだと答えます。で、子どもたちの話題は彼の話で盛り上がります。

そんな中、生徒の1人がその「奇声の彼」を否定するようなことをいったので、私がいさめると、他の子が

「なあ、先生、文化やんな」

と私の意見をフォローしてくれたのです。私は思わず「その通り!」と叫んでしまいました。

かつて国語の授業で「個々の文化」についての問題を解いたことがあったのですが、その時に、

「相手の文化を好きになれなくても、認めなくてはいけない。それぞれの家、家族、地域、民族、国家、さまざまな文化が存在する。たとえば、君たちの家では当たり前にやっていることでも、他の人からすると《そんなの変だ》ということもある。自分の家でよく食べるものでも、他の人は食べたことのないものだってある。それを頭から『おかしい!』といわれたら、腹が立つやろ。だから、たとえ自分が理解できなくても、相手の文化は尊重してあげないとね」

という話をしたことがあったのです。 この話を覚えていてくれたのでしょう。とてもうれしくなりました。

世界の経済はますます国際化していくでしょう。先にタイでたいへんな洪水がありましたが、その報道を見ていると、本当にたくさんの日本企業と日本人がタイで働いているんですね。大企業だけでなく、中小企業もタイに工場を持っていたりします。この洪水をきっかけに、一部の生産を日本に持ってくる企業もあるそうですが、そうするとその生産に関わる日本人技術者がいないために、タイ人技術者を日本に連れてきて、日本人に技術を伝えていく必要があるそうです。

今後、ますます国内に外国人が増え、ふれあう機会、あるいはともに学んだり、仕事する機会が増えるでしょう。ひょっとすると、上司が外国人だってこともあるかもしれません。

拡大する国際化社会の中で、子どもたちには、自らの文化を大切にしながら、他の人の文化も大切にできるような「ふところの広い」心を持ってもらいたいと思っております。


クリスマスのトップスター☆

今年も終わりに近づいております。そして、クリスマスがやってきます。

この時期になると、小学生は「サンタさんのプレゼント」を待ち望み、そして「サンタさんはいるのか」という話題で持ちきりになります。

そして、街には大きなクリスマスツリーが飾られたり、ご家庭でもクリスマスツリーが飾られるでしょう。私も子どもの頃、ツリーの飾り付けをするのが大好きでした。

さて、このクリスマスツリーのてっぺんの大きな星、これをトップスターというそうですが、この星は「東方にいた賢者をキリストが生まれた場所へ導いた星」を表しているそうです。

教育は、まさに子どもたちを導く「輝く大きな星」でないといけないと思います。教育を受けることにより、子どもたちの未来が輝き、希望で満ちていかなければなりません

はなまるゼミナールも、通ってくれている子どもたちを導く「輝く大きな星」であろうと思っております。ただ、1つの大きな星ではなく、子どもたちそれぞれを導く「たくさんの輝く星」を見せてあげたいと思っております。10人いれば、10人の頭上で輝く星、赤い色の星もあれば、黄色い星もあり、大きく輝く星もあれば、小さくても魅力的に輝く星もある。それぞれの子どもたちが「これが自分の星」なんだと思える星を見せてあげられれば、塾講師として本望です。


【とある校長先生の言葉】今日の5分を惜しむと明日にはたいへんな困難が待つ

Touched by the Sky
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今日の5分を惜しむとが明日からの困難な数十時間になる

こういうことは、よくあることです。
たとえば、勉強していて分からないところがあった。本当は質問して解決した方がいいのに、つい質問しなかった。本当は、そのときに質問して解決しておけば良かったものの、「まあ、いいか」とやめてしまうと、その後、大変な困難が待ち構えることになります。いわゆる「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」というものです。
はなゼミでは、子どもたちに
「宿題はその日のうち、遅くても次の日にはやっておきなさい」
と指導しております。このルールを守ってくれる、あるいは守ろうとしてくれる子は比較的早く成績が上がります。実は、しごく当然なことです。
子どもたちには、この理由を次のように説明します。
僕たちの脳は、忘れるようにできている。すべて覚えていたら、大変やろ。道を歩いていて、「赤い服の人とすれ違った、アイスの袋が落ちていた、青い車が通ったなどなど」、目の前に見えたものをすべて覚えていたら、頭がパンクしてしまう。だから、僕たちの脳はすぐ忘れちゃう。でも、勉強した内容もすぐに忘れちゃったら、もったいないから、今日帰ったら、宿題をする。今日無理だったら、明日には終わらせてしまい、忘れないうちに復習することが大切なんだ

というのです。繰り返しますが、守ってくれる子は「習ったことの記憶の持ち」がいいのですが、忘れないうちに復習しているわけですから、成績が良くなって当然です。

「今日、宿題をしないといけないけれどめんどくさいな。明日でもいいか」と、今日の時間を惜しんでしまうと、せっかく習ったことを忘れてしまい、こんどするときにはずいぶん忘れており、また復習しなければならなくなったりします。また下手をすると、全く忘れてしまい「何これ! 難しい」なんてことにもなりかねません。

つまり、今日しないといけないことをサボってしまうと、実は後には大変に困ったことが待ち構えているのです。後で待ち構える困難を避けるためにも、今日やっておくべきことはやっておくという習慣を付けていきたいものです。


塾をサボる子について

Troy Historic Village
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以前の記事で、塾に遅刻する子、サボる子というのを書いたのですが、「塾をサボる」というキーワードで多くの方が検索されて、このブログを訪問してくださっているのに、大変驚いています。

保護者の方か、塾関係の方か分かりませんが、そんなに「塾をサボる子」が多いのでしょうか。

私は、基本的に「子どもは好奇心のかたまり」であると思っております。だから、学習を通じて、子どもたちが好奇心を刺激されれば、塾通いがイヤになることは基本あり得ないと思っております。また、子どもは大人と違い人間の本質がそのまま現れておりますから、その場所に自分の居場所があると感じたなら、いやがるどころか喜んできてくれると思っております。

では、なぜ、子どもが塾をサボるのか。それは単純に「面白くない」からでしょう。そして、自分が認められておらず「自分の居場所」を感じることができないからだと思います。

検索しておられる方が保護者でお困りなら、塾と子どもの相性が合っていないといわざるを得ません。それは塾の授業が難しく「面白くない」のか、その塾の講師やルールに合わなくて「面白くない」のか分かりませんが、その子にとって塾での学習が自分にとってはまったく「無味」なものとしか思えないのでしょう。塾の授業が自分の好奇心を刺激しないのであれば、その場にいる必要もありません。また、そうであるなら、親の方も無理にそんな塾に通わせる必要もないかもしれません。勉強は決して楽なことではありませんが、分かるようになると面白くなるものですし、その感覚が成長しても子どもにとって大変重要な経験になるのではないでしょうか。大人なら、自分がこの場にいる意味などを理解し我慢することができるかもしれませんが、子どもの年齢が下がれば下がるほど、場にいる意味を理解などできないでしょう。

検索してくれたどり着いてくれた方が塾の先生なら、これはいくらでも工夫ができる問題であると思います。授業が難しいと感じているなら、その子に分かるようにすればいいだけですし、あるいは補習をしてもいいでしょう。塾のルールになじめない子がいるなら、なじめるように「見える化」したり「ゲーム化」したりして、その子に入っていけるようにすればいいだけです。塾は公教育とは違い、親御さんや子どもからすれば、いくらでも「選ぶことができる」訳ですから、それくらいの工夫は当然すべきです。もちろん、塾の方針をねじ曲げたり、妥協する必要はないと思います。子どもが塾の方針を受け入れやすいように、敷居を下げるなど工夫してあげれば、子どもたちは柔軟性がありますから、すっと入ってくるでしょう。

いずれにせよ、塾に通うのは子どもであり、通う本人が「いやいや通う」というのは辛いことです。ただでさえ、学習というのは忍耐や困難がつきまといます。楽して勉強ができるようになるなどあり得ません。であれば、少なくとも子どもが通いたいと思える塾に通う、あるいはそういう塾にしていくことは当然なのではないでしょうか。


座右の銘~~硬派に生きる

Hope for the planet
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塾講師も20年以上やっていると、いろんな事があります。

若い頃とちがって、最近よくあるのが、かつての教え子がアルバイトや仕事などで行き詰まったときに、相談に来てくれることです。私と話すと、何か得るものがある、あるいは安心できるとでも思ってくれているのでしょうか。大変光栄に思います。

さて、そうした相談事に乗っていると、ときおり「先生の座右の銘は何ですか」と聞かれることがあります。しかし、私自身、普段小中学生と過ごしているせいでしょうか、自分がとても若いような気持ちでおります。そんなときに、「座右の銘」などとという年配の人間が口にするようなことを聞かれるなんてことは、ほとんど予期しておりません。

そんなときに、とっさに答えるのが、「硬派に生きる」という言葉です。

私には、尊敬する先生はたくさんおります。それだけで、誇らしく自分の財産であると感謝しておりますが、中でも大変影響を受けた先生が2人います。1人は、小学校6年生の時に担任をしていただいた先生。もう1人が同じ頃に通い始めた塾の先生です。

先の言葉は、恩師としたっている塾の先生から教えていただいた言葉です。

今でも忘れられません。中学3年生のとき、塾の教務室でのことでした。私は、その先生が大好きだったもので、授業が終わっても教務室でその先生にいつもいろいろと話を聞いておりました。あるとき、先生が言うのです。「くーやん、硬派に生きなあかん」。当時、私は友人から“くーやん”と呼ばれており、また先生も20代の後半で若かったこともあり、私のことをこう呼んでおりました。

私は、何のことやろという顔をしていたのだと思いますが、先生は諭すように

人は軟派で生きていたら、いざというときに硬派になることができへん。

しかしな、硬派に生きとったら、いつでも軟派になれるんや

私は、とてもうれしくなりました。「そうなんや!」という感じでした。

というのも、私は幼少の頃から人からまじめそうに見られるものの、内面には「人を笑わせる」のが好きな自分がいたりしました。先生の「硬派に生きなさい」という言葉はまさにそういう自分にぴったりとはまったのです。

しかし、教え子から座右の銘を聞かれ、ふとこの言葉をつたえるのは、何も自分に当てはまったからだけではないと思います。普段は、硬派にしっかりと生きて、遊ぶとき、気を緩めるときには軟派になる、人間としても堅実であり、魅力的ではないでしょうか。残念ながら、私はそんなに堅実に硬派に生きてきたわけではありませんし、その分、遊び方もあまり上手くはありません。

ですが、生き方の軸として、

硬派に生きる

という言葉を守りながら生きていきたいと思っております。