《続》子どもの要望をどう考えるか

以前の記事「子どもの要望をどう考えるか」で、テスト直前の授業でやってほしい内容を子どもたちに聞くと書いたところ、次のようなご意見をいただきました。

自分の意見の言える子どもは良いが、言えない子どもはおいてけぼりではないか

こうした保護者の方の気持ちはよく分かります。また、以前の記事の中での保護者からのクレームの内容も、私は上記のようなものではなかったかと思っております。

しかし、子どもの教育を考える場合、10年後、20年後を考えていかないといけないと思うのです。

たとえば、どうしても人前で意見や要望を言うのが苦手であるという子どもがいたとしましょう。その子は、できることなら、中学、高校、大学と年を経るにつれ、しっかりと発言できるようになっていくのが望ましいと私は思います。しかし、どうしてもできなければダメなのか。私は、そうは思いません。中学、高校、大学と経るに従い、「意見や要望を言うのが苦手な自分でもやっていける能力」を身につけていけば良いだけのことだと思います。しかし、自己を表現するのが苦手な子どもが「苦手でもやっていける術」を身につける前に、親が「うちの子はそういうのが苦手なのだから、そういう場をつくるのは止めてほしい」と出てきて、教師がその通りに従えば、その子は、「自己を表現するのが苦手でもやっていける術」を身につけずに終わってしまいます。

しかし、そうした子どもでも、いつかは社会に出るのです。社会に出たとき、あるいは結婚して新たな家庭を築いたときに、「自己を表現するのが苦手でもやっていける術」がなければ、その子はどうなのでしょうか。やはり、他者との関係を築きにくくなり、生きにくくなるのではないでしょうか。

私は、子どもはいろいろな失敗をしながら、たくましさを覚えると思っております。私自身も今思えば、幼少の頃、思い出すだけでも赤面するようなことをたくさんしてきました。そのたびに、親が謝罪してくれたりして、「親としての責任」を果たしてくれていたのだと思うと、申し訳ない限りです。しかし、一方でそのようにしてさまざまな経験を蓄積したと思っております。

子どもがつまずく前に、親が先に出てきて支えてしまえば、子どもは「なぜつまずくのか、どうすればつまずかないですむのか」学ぶことができません

私は、時々、親御さんにこういうことがあります。

自分が会社の経営者、あるいは責任者だとして、自分の子どもを雇いたいと思いますか?

自分の子の成長を見るのに、ひとつの尺度にはなるのではないでしょうか。つまり、雇いたいと思える、あるいはそういう側面があれば、その子は社会で通用できるのです。能力的な側面、人格的な側面、いろいろと判断材料はあると思います。一概には言えないと思いますが、少なくても、つまずいたときにあるいはつまずきそうなときに、自分で判断し、立ち上がっていくような子どもが、この厳しい社会の中でも乗り切っていけるのではないかと思うのです。


子どもの要望をどう考えるか

もう5~6年前に、教えていた教場の教室責任者に叱られたことがありました。

私は、定期テスト直前の最終確認段階で、子どもたちに「どの分野をもう一度やってほしい?」と聞くことがあります。そのことが、ある保護者からのクレームになったというのです。内容は、「何をすると子どもに聞いているらしいが、教師が主導権を持っていないのか」というものだったそうで、責任者から「子どもに聞くな」と注意を受けたのです。

私は、基本はカリキュラムに沿って、教師が主導しておこなうのが筋だと思います。しかし、1から10まで主導しなければならないことはないのではと思っております。

たとえば、先の例で言うと、

テスト直前にテスト範囲のAという内容とBという内容、どちらももう一度確認しておきたい、しかしどちらもする時間がない。ただ、経験上、Aの方が子どもたちの理解が浅い。だから、Aをやろうという腹で、子どもたちに『どっちがいい?』と聞くと、Bが分からないからBの方がいい

と言われるケースがやはりありました。子どもたちの判断にあわせ、その要望に応えるのも大切なのではないかと思うのです。さらに言うと、ときには子どもたちの判断に依拠するということがあっても良いのではないかと思います。

教師の主導権という意味では、親御さんとの関係においてもいえると思います。親御さんのご要望をどうとらえるかという問題です。古いタイプの教師であれば、親の要望などは「私には私のやり方がある」といって、一切受け付けない人もいます。逆に、子どものことをあまり考えない教師であれば、親の要望通りに進めるかも知れません。

集団指導であれ、個別指導であれ、子ども1人ひとりに目標設定がなされていれば、自然と教師主導になります。しかし、だからといって、親や生徒の要望を一切無視するというのもやはりちがうと思います。親であれば、子どもが理解できていないことに不安を感じるのは当然でしょうし、子どもにしてみれば分かるようになりたいと思うのは当然です。

生徒1人ひとりの目標を実現するために、流れが当然あるわけですが、その流れに沿うような形でなるべく要望を取り入れていければと思っております。


「本人の前を保護者が歩いていて困る」

ベネッセの教育情報サイトに安田理さんという方が、「本人の前を保護者が歩いていて困る」という記事を書いておられました。

日本社会のあり方がかなりのスピードで変化し、将来の社会像も不透明になっています。そんな中、さまざまな場面で格差も広がってきております。それだけに、保護者の方々は、いろいろとしらべたり、考えたりして、我が子の将来を少しでも安定したものにしてあげるためにご苦労をされています。

しかし、そうしたご苦労が、実は「子どもたちがその成長に合わせて、苦労したりする機会を奪っていく」現実を危惧されています。安田さんはこう言います。

こうして保護者のかたが前を歩き、保護者のかたが決めて、お子さまがその敷かれたレールの上を素直に歩いた時に、下のような大学生になってしまうことが多いのです。

・履修届けを一人では出せない
・友達づくりも大学がお膳立てしないとできない
・課題研究では、何をやっていいかわからない
・個人では優秀でも、グループで協力することが苦手で、グループ研究ができない
冒頭に述べたような社会状況から、つい心配して手を出したくなります。しかし、それはこれまでにお話ししたように、お子さまを一人前の大人にするうえではまったく逆効果なのです。

現代の大学生の現状であると思いますが、やはりこうした学生が多いことには危惧せざるを得ません。私も大学生になった教え子と話をしていて驚いたことがありました。それは、大学側が学生に自己紹介カードを書かせて、冊子をつくり、それを元に「友だちをつくる」お膳立てをし、さらにはコンパまで決めるというのです。それを教えてくれた彼女は、「なんで、こんなことして、友だちをつくらなあかんねん」と言っていましたが、本当にそうです。しかし、逆に言うと、大学側がこうした工夫をしてあげないと、友だちすら作ることができない、あるいは同級生とのコミュニケーションがとれなくなってきた学生が増えてきたということなのでしょう。

しかし、大変なのは、この学生は数年後、就職して社会に出るわけです。大学に「友だちづくり」までお膳立てされてきた学生に、本当に会社勤めが勤めるのでしょうか。はなはだ疑問です。いったん、就職をすることはできても、会社が「使い物にならない」と判断した人間は「みずから辞めざるえない」ような仕事をさせて退職に追いやります。退職に追いやられた者は、「崖から突き落とされたライオン」のようにみずから這い上がってこなければなりません。しかし、目の前にある崖が見えることができれば、苦労しながらも這い上がってこれるでしょうけれど、「なぜ、突き落とされたか分からない」場合は、次の会社でも同じように「突き落とされる」かも知れません。

子どもたちには、中学、高校くらいの間で、できるだけ多くの社会経験、とりわけ様々な苦労や失敗などを繰り返しながら、社会に出て失敗したには、自力で解決していけるような人間へと成長してもらいたいものです。

そうあるためには、お子さまの前を歩いていくことよりも、そっと脇道で見守ってあげる方が良いかもしれません。

photo by: fakelvis

ハーバード大学図書館にある「21の教訓」

アメリカ、ハーバード大学の図書館に以下のような「20の教訓」が書かれてあるとネットで見つけました。

1. 今、居眠りすれば、あなたは夢をみる。
 今、勉強すれば、あなたの夢はかなう。
2. あなたがムダにした今日はどれだけの人が願っても
 かなわなかった未来である。 
3. 勉強にはげむ苦しさは今だけであり、勉強しなかった苦しさは一生続く。 
4. 明日やるのではなく今日やろう。
5. 時間は絶えず去りつつある。 
6. 学習は時間がないからできないものではなく、
 努力が欠くからできないものである。
7. 幸福には順位はないが、成功には順位がある。
8. 学習は人生の全てではないが、人生の一部として続くものである。
9. 学習する事が人生の全てとは言わないが、
 学習すらできぬものに何ができるのであろうか。
10. 人より早く起き、人より努力して、
 初めて成功の味を真に噛みしめる事ができる。
11. なまけものの人が成功する事は決してない、
 真に成功を収める者には徹底した自己管理と忍耐力が必須である。
12. 時間が過ぎるのはとてもはやい。
13. 今の涎は将来の涙となる。
14. 犬の様に学び、紳士の様に遊べ。
15. 今日歩けば、明日は走るしかない。
16. 一番現実的な人は、自分の未来に投資する。 
17. 教育の優劣が収入の優劣 。
18. 過ぎ去った今日は二度と帰ってこない。
19. 今、この瞬間も相手は読書をして力を身につけている。
20. 努力せずして結果はない。

とても面白い「教訓」です。

しかし、この「20の教訓」、ネット上でとても有名だそうなのですが、実は全くのデマだそうで、ハーバード大学も公式に否定しています。たしかに、よくできてはいるのですが、ちまたにあふれている「自己啓発本」のたぐいによく書かれているものばかりです。

デマであっても、この「20の教訓」から学ぶことはあると思います。そして、もうひとつの教訓は「ネットでのデマ」を鵜呑みにしてはならないということでしょう。

photo by: jojo nicdao

三上でものを考える

中国の古い言葉に、「三上(さんじょう)」というのがあるそうです。文字通り、「3つの上」ということなのですが、それは、「枕の上、鞍の上、厠の上」を表し、物事を熟考する場所として、言われる言葉だそうです。

確かに、布団の中やトイレでものを考えるというのはよく分かります。鞍の上というのは、今で言うと、自動車や電車に乗りながらという感じでしょうか。自分で運転しながらというのは、いささか危ない気もしますが、分からないではありません。

この「厠の上」というのを聞いて、もうひとつ思い出したことがありました。

私が中学生の頃、通っていた塾の塾長先生が、「徳田虎雄という人がいて、若い頃、苦労して勉強した。その極意は『早飯、早グソ、貧乏ゆすり』」という話を教えてもらい、翌日早速本屋に行き、徳田虎雄さんの自叙伝を買って読んだのを思い出したのです。徳州会病院の設立者です。

徳田虎雄さんは、大阪大学医学部に合格するために、食事やトイレをさっさと済ませ、勉強時間に回し、勉強中はずっと貧乏ゆすりをして、集中力を維持するという学習法をしていたのです。

しかし、私は、どちらかというと、食事やトイレ、あるいは風呂や布団の中では、「早く済ませて時間を稼ぐ」というよりも、「じっくりと考える時間にあてる」方が合っているような気がします。高校生の頃、数学のむずかしい問題がずっと気になっていて、ふと電車の中で解法がひらめき、メモしたりしておりました。ガツガツと勉強するよりも、そっちのほうが性に合っているような気がします。

「世界に1つだけの花」ではありませんが、子どもたち1人ひとりは、個性があり、唯一の存在です。私が預からせていただいている間に、いろいろと試行錯誤してもらい、自分に良い勉強方法、思考方法を確立していってもらいたいと思います。

photo by: Dainis Matisons

高校でも「脱ゆとり」~~学力重視へ

いよいよ2012年春、今年から中学校では「脱ゆとり」が完成します。私は、いわゆる「白表紙本」を見たことがありますが、なかなか内容もハードになっております。

以前にも書きましたが、この「脱ゆとり」は、これからの日本の社会を支えていく若い人を幅広く作らないといけないという、政府の危機感から来ていると、私は思っています。ですので、当然のことながら、「脱ゆとり」教育は、中学校だけではおさまりません。『毎日新聞』のサイトで、以下のような記事がありました。

重要なところで言うと、数学で27%増、英語で25%増、理科で17%増と、英語教育と理系教科に重点が当てられて、大幅に教科書内容が増加していることが特徴です。取り分けても、今後高校英語では、日本語を使わない授業がおこなわれる予定であり、ますます国際化が進む中で、英語を使いこなせる若い人を作るという目標の表れですし、また、理系教科の教科という点では、資源の乏しい技術国日本としては、理数系の優れた人材がほしいというあらわれであると考えます。

いずれにしても、現在、中学生においては、しっかりと中学校で学習を積み、高校で習う内容が大幅に増えたとしても、何ら困ることないような学力を養っていく必要があります。

高校教科書:ページ数増加で学力重視 検定結果公表

文部科学省は27日、来春から主に高校1年生が使う教科書の検定結果を公表した。教育内容を増やした新学習指導要領に基づいた教科書で、現行の教科書(11年度供給)と比べたページ数は全教科平均の合計で12%増となった。教育内容を絞り込んだ99年の指導要領に基づく05年度供給分に比べると16%増で、小中学校に続き高校でも学力重視の教科書に塗り替わった。

今回の検定には、高校の共通と専門を合わせた17教科について、36社から275点の申請があり、274点が合格。不合格は理科の新科目「科学と人間生活」の1点。共通教科で合格した218点について、文科省が記述の不備を指摘した検定意見は計7743件だった。今春から先行実施される数学と理科の一部教科書は10年度に検定が済んでいる。

教科別の1点当たりの平均ページ数は、数学206ページ(11年度供給分比27%増)▽英語154ページ(同25%増)▽理科650ページ(同17%増)--など増加が目立った。数学と理科は、理数教育の充実に伴い復活や新たに盛り込まれた内容が多く、英語は指導する単語数が1300語から1800語に増えたことなどが理由とみられる。

東日本大震災については、地理歴史と公民を中心とした53点に記述があり、このうち16点が津波を記述。東京電力福島第1原発事故も16点が記し、7点が放射能にも言及した。今回は申請時期が5~6月と、震災発生の3月から間がなく、年表に追加する程度の教科書が多かった。検定済みの教科書でも事情の変化などによる内容の修正は可能で、今後の訂正申請が見込まれる。【木村健二】


子どもの学習と親の関わり方【2】

3つめのグラフは《「勉強しなさい」という声かけと子どもの学習時間の関係》となっています。
ここで、確認したいのは、小学校低学年までは、「勉強しなさい」という声かけをした方が、勉強時間が長くなる傾向にあるのに対して、中学生においては「勉強しなさい」と声かけをしない方が勉強時間が長いということです。

私は、これを子どもの自立の問題と考えます。
つまり、小学生低学年は、まだまだ親御さんが「育てる」という側面が強いのに対して、中学生くらいになると自立心が出てくるので、むしろ子どもの自立心を信用するくらいの方が子どもは自律的に学習するということではないかと思うのです。

さて、問題は、子どもが自律的に学習できるようになるのはいつ、そしてどのようにしてかということではないでしょうか。
グラフを見ると、小5~小6あたりが「我が子を信頼して手を離していく」時期なのではないかと思います。とすると、小4あたりから「なぜ勉強するのか」など、子どもが自律的に勉強できるような話をしていくと良いのかも知れません。

4つめは《子どもと将来や進路について話をする》グラフです。
はなまるゼミナールでは、コーチングに基づき、授業を進めております。したがって、「なぜ、勉強しなければならないのか」「宿題はなぜあるのか」などを適宜、子どもたちに話しながら、子どもたちの自立を促しております。先日も、小学6年生に「中学生に進学するにあたって」という講義をしました。子どもたちが、緊張感とともに顔つきが締まっておりました。また、保護者の方からも、「家に帰ってからいろいろと話をしてくれ、中学生になったらついて行けるかと心配だったが、少し安心した」などと言ってもらっております。

私は、子どもたちには、その段階に応じて、「将来や進路」の話はかならずする必要があると思っております。
さて、グラフにおいては、小5、小6においては8割近くの親御さんが子どもと「将来や進路」の話をしておられます。中3生では9割を越える方が話をしておられるのですが、中3になってからでは少し遅いのではないかと私は思います。

というのも、どこの高校に行くかで一定程度、人生の幅が決まってきます。当然、高校で人生のすべてが決まるわけではありません。しかし、高校によって合格する大学はだいたい決まっていることから考えると、中3までには一定の目標を設定した方が良いのではないかと思います。中3で「将来や進路」の話をし、「それなら大学に行かなきゃね、じゃあ○○高校に通おう」となったとしても、その時点で実力や成績が間に合っていれば良いですが、間に合っていなければ、なんのために「将来や進路」の話をしたか分かりません。まるで、「無理である確認」をしたかのようになってしまいます。

理想を言うと、小6あたりから段階を経ながら、中2くらいまで少しづつ「将来や進路」について話し合いながら、学力をつけていき、最終的に中学3年生では「夢や希望」に見合う高校を受験するという形が良いのではないかと思います。

最後のグラフは、《子どもと将来や進路について話す割合と学習時間との関係》です。
大変興味深いのは、若干の変動はあるものの、小学1年生~中学3年生において、すべての学年で「将来や進路」について話をしている子どもほど、学習時間が多いということです。

とりわけても注目すべきは、小4~小6にかけては「将来や進路」について話をすれば、子ども自身がきちんとそれを理解し、学習に励んでいる様子がうかがえます。うまく子どもたちが自律的に行動している証拠でしょう。

しかし、よく考えてみると、当たり前のことかも知れません。人間は、本来、みずからの頭で考え、行動する動物ですから、「頭ごなしにやりなさい」と言われるよりも、「理由が分かった上でみずからやる」方が人間の特性に合っていると思います。

ただ、中1、中2においては、学習時間は下がっています。この辺りで、さきに書いたように「勉強しなさい」と親御さんが言わざる得ない状況が分かります。本来なら、自分の「夢や希望」に向かって、さらに学習に励まないといけないのですが、なぜだか下がっております。

この原因の1つは、「話す内容」にあるのではないかと思っております。中学生というのは、義務教育が終わる学年であり、いわば「大人になるための練習期間」でもあります。ほとんどの中学生が高校進学する時代であるとは言え、希望すれば、就職することだってできるわけですし、実際にしょうなりといえども社会人になる子どももおります。周りの大人はそうした中学生を「大人への訓練生」として見る必要があります。

つまり、小学生に話す内容に比べ、中学生に話す内容は「子供だまし」のようなものではなく、現実的でないといけないと思うのです。しかし、むずかしいことは、あまりにも現実的すぎるのも良くありません。子どもたちは、まだまだ磨けば磨くほど光る原石なわけですから、「夢や希望」を残しつつ、リアルな「将来や進路」についての話をしてやる必要があるのではないでしょうか。ここで、「小学生のときに言っていた内容と変わらないこと」を言っていると、子どもたちに見透かされてしまい、逆効果になってしまうかも知れません。

ただ、中学生は思春期でもあり、むずかしい年頃です。親がいくら良いことを言っても、子どもは聞く耳を持たない年頃です。むしろ、こうした時期には、学校や塾の教師、あるいは親戚など、ちょっと距離の離れた人に「少し将来や進路」について話をしてもらった方が良い時期かも知れません。

ですが、グラフを見る限り、中学3年生になると、また、学習意欲に燃え、勉強するわけですから、中1、中2で「反抗的になった」と嘆くのではなく、もう少し長い目で見ていく必要があると思います。

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子どもの学習と親の関わり方【1】

Benesse教育研究開発センターが、「第4回子育て生活基本調査」の結果から、「子どもの学習面と親の関わり方」をまとめています。興味深い内容ですので、少し考察したいと思います。(グラフはクリックで拡大します)

 まず、《子どもの勉強時間と、母親が子どもの勉強を見る時間のグラフ》からです。
このグラフから、私が注目した点は、小学5年生から学習量がグッと増えて、中学2年生まで、その学習量は変わらないということです。
小5といえば、中学受験生が本格的に学習を始めるということもあると思いますが、本質的には、小学5年生からの学習はかなり本格的になり、それなりに時間をかけないといけないということであると思います。

確かに、国語にしても、算数にしても、内容がより抽象的になり、むずかしくなります社会も理科も本格的な学習になります。小5と小6の学習がやはり重要なポイントであるということでしょう。

さらに、小学5年生から、しっかりと学習をつんでいれば、中学1年と2年はその延長で一定乗り切れるということでしょう。1日75分前後の勉強時間というのは、そう悪くはないと思います。ただ、小学校時代と比べ、教科も内容も増えることも考えると、もう少し学習時間があっても良いかなとも思いますが、大切なことは時間ではなく、内容・質ですから、きちんと計画的に毎日75分ほど学習していれば、かならず力になるはずです。

また、3つめに、中学3年生になると、学習時間がグンと増加しています。だいたい、毎日2時間くらいは勉強すると考えても良いのではないでしょうか。以前、教室責任者として勤めていた教室では、中学3年生は本当によく勉強していました。秋以降ですと、夕方から塾が閉まる22時まで、食事の時間はいったん帰るものの、4~5時間は勉強していたのではないでしょうか。

次に、母親が子どもの勉強を見る時間についてです。
小学1年~4年までは、ほぼ1日30分くらいは母親がついて子どもの勉強をみていることが分かります。当然のことながら、学年が進むにつれ、子どもの学習時間は増えますから、小学1年生では「子どもの学習時間」と「母親が見る時間」がほぼ同じなのに対して、小学4年生くらいになると、親が見る時間とほぼ同じ時間を子どもが1人で勉強しています。

さらに学年が上がるにつれて、母親が子どもの勉強を見る時間は減少していっています。

《学習面での母親の関わりのグラフ》を見てみましょう。

面白いことに、小学1年~6年と学年が上がるにつれ、「勉強しなさい」という声かけが減っていきますが、中学生になるとまた増えています。やはり、このあたりに母親の子どもに対する心配が現れています(右のグラフの青い線)。

しかし、逆に言うと、少し大人びてきた子どもたちの「親に対する反発」も見られるのではないでしょうか。
さらに、学校の宿題と夏休みの宿題を手伝うかどうかのグラフ(赤い線)がありますが、学年が上がるにつれ手伝う割合が減っているものの、中学3年生の夏休みの宿題を手伝う母親が2割以上おられるのが気にかかります。受験を控えた夏休みで、宿題の量はとても多いことは想像できるのですが、ここは親御さんとしてはグッとこらえて、子ども自身にやらせてみることが必要ではないかと思ったりします。というのも、宿題での苦労はやはりした方が良いと思うからです。無理に苦労する必要はないとは思いますが、それでも子どものうちに一生懸命頭を悩ましたり、同じ問題を何十分も考えたり、いろいろな方法でしらべたりする経験も、大人になっていく上で貴重な経験と考えます。

《つづく》