アルバイト~~塾か郵便局か

なにげなくネットを見ていると、年始年末のアルバイトで塾か郵便局か悩んでいるといった相談を見かけました。

相談者曰く

「塾は拘束時間が長く、良い評判を聞かない」

とのこと。報酬や仕事内容などを考えて決めたいのでアドバイスがほしいという書き込みでした。

私は、20歳の時から塾講師のアルバイトしておりました。当時は、個別指導という形態は現在のように多くはありませんでしたから、当然のように十数人の前で授業を行っておりました。また、当時はバブル真っ最中でしたので、時給も今とは比較できないくらいよかったように思います。

しかし、「報酬や仕事内容」で考えるくらいなら、塾講師は止めた方がいいと思います。人と関わり、人にものを教えるという仕事は、けっして「報酬や内容」では割り切れないことが多いからです。

子どもたちとふれあい、一生懸命に説明する、そして分かってくれたときの喜び。また、子どもたちが分かったと目を輝かせる瞬間、そういったことがやはり「やりがい」とならないと、学校にせよ、塾にせよ、仕事としてはおもしろくないのではないでしょうか。

先の相談者の回答にもありましたが、予習時間も多くとられます。1人ひとりの子どもを措定すると、予習には多くの時間を費やすことになります。しかし、その分、「良い」解説を行うことができ、子どもたちが理解してくれる可能性が増えます。そういった作業はけっして「報酬や仕事内容」に割り切れない問題としてあります。私自身も、若い頃は、授業時間の倍の時間をかけて予習をしておりました。90分の授業をするのに、自宅で3時間予習していたのです。当然、その分の報酬はありません。

また、先の相談者の回答には保護者対応のことにも触れておりました。しかし、私は、ここでも教師としての「存在」が問われる、非常なやりがいを感じます。

塾が教育機関かというと、かなりの違和感がありますが、しかし教育的な側面は数多く存在します。つまり、保護者-子ども-教師という密接な関係が、塾においても存在するのです。学校の先生は当然だと思いますが、塾教師でも子どもを教えながら、背後にいる保護者やご家族を感じることがよくあります。子どもを教えるということは、その子だけをとりだして「教える」だけには納まらないのです。やはり、保護者の方と話をしながら、そのこと向き合っていくという作業が必ず必要なのです。

私のこれまでの二十数年の塾講師を振り返っても、「お父さん、お母さんが仲が悪い」「お父さんの仕事がうまくいっていない」「家族が重い病気で」など、家庭内のさまざまな原因で子どもの様子がおかしくなっていったということはけっして少ないことではありません。

もちろん、アルバイト講師に保護者対応をさせるということはありえませんが、基本的に教師は子どもと保護者とともに進んでいくという自覚を持ち、そのことを「やりがい」としていかなければ、やはり大変な仕事でしょう。逆に、こうしたことを喜びとできれば、こんなすばらしい仕事はないと言えます。


大学入試の現状~推薦入試を狙う

【私立大46%が定員割れ 酒井法子入学の私大は今春入学者ゼロ】

大学全入時代と言われておりますが、上記の記事によると、現時点での最新の調査では「私立大学の46%が定員割れ」だそうです。

しかし、こうした状況は、すでに高校入試においても、中学入試においても「当然」のようになっております。それは、子どもの数が年を追うごとに減っている上に、学校が新しくできているということがあります。先月も、西大和学園が吹田市に4年生大学を新設すると発表したばかりです。

入学者がいない大学や募集停止をする大学がある一方で、新設の大学があるというのは、なんとも理解できませんが、いろいろと事情もあるのでしょう。

さて、保護者の立場として、この記事の中に、興味深い1文があります。  「実は今、関東や関西の上位校といわれる大学でも、推薦枠が余っています」  という内容です。  激しく定員割れを起こしている中で、推薦枠すら満たさないというのは、想像に難くありません。

2011年度の選抜方式別の大学入学者のグラフが次のようになります。

大学入学者のうち、推薦入試とAO入試で44%の生徒が入学していることが分かります。つまり、まじめに高校に通ってさえいれば、比較的楽に大学に合格し、通えるわけです。

国立、公立、私立大学別に、見てみると、次のようになります。

国立大学では、推薦+AOで15%ですから、まだまだ一般入試による入学者が多いことが分かります。しかし、それでも親御さんの世代からすると、入学者の1/7が推薦入試で入学というのは驚きなのではないでしょうか。

また、公立でも、一般入試の割合が多いものの、国立大学に比べると、推薦+AOの割合が増えており、25%つまり入学者の1/4が一般入試を受けずに入学しているのです。(グラフはクリックで拡大します)

さらに、私立大学では、入学者の半数以上が推薦+AOで入学していることが分かります。つまり、私立大学では、半数以上の生徒が一般入試を経ずに、推薦またはAO入試で早々と大学入学を決めているのです。こうした傾向は、まだまだ増加していくものと思われます。(グラフはクリックで拡大します)

その根拠は、(1)定員割れしている私立大学が半数近くある、(2)大学の数は年々増えている、(3)大学受験予定者はまだまだ減っていくことにあります。

こうしたことを考えると、これから大学入試を迎えるためには、早めに行きたい大学や学部を決めていくこと、そしてまじめに高校に通い、推薦に必要な「評定」をしっかりととっておくこと。そうしておけば、比較的楽に、春の入試より早く志望大学に合格できるかもしれません。


しあわせには絶対にひとりではなれない

「もじのちから」さんが、暖かいメッセージと文字を公開されておられるのですが、その中で、感じるものがあったものを、紹介させていただきたいと思います。

しあわせは

絶対に

ひとりではれないんだよ

仲間が必要だよね

子どもが母親のおなかから生まれ落ちる。両親を始め、多くの人々から祝福される。しかし、人間の赤ちゃんというのは、生まれてきた段階では何もできない存在です。お母さんやお父さん、兄弟姉妹、あるいは親戚や近所の人から、さまざまな援助を受けながら、大きく育っていきます。

いや、周りの人々から支えながらという意味では、子どもの時だけではありません。大人になってからも、本当にいろいろな人たちの手を借りています。

小学生高学年くらいになってくると、親の手を借りずに「なんでも」できるようになり、ともすれば「自分1人で生きていける」錯覚を覚えがちです。こうした意識は高校生くらいが絶頂ではないかと思います。しかし、そこから年をとるにつれて、実は自分1人では何にもできないことが痛感させられるのです。

こうして書いている私も、京都で始めた1人暮らしの大学生活で、初めて痛感したのは、「インフルエンザ」にかかったときでした。布団の上から起きられない、食事も食べることができない、このまま死ぬんじゃあないかと思ったことがありました。また、この春に実母を亡くし、通夜から葬儀、その後のさまざまな儀式や事務処理などをする過程で、本当に多くの人たちにいろいろなことを教えてもらい、「まだ、この年になっても知らないことがあるのか」と痛感させられました。また、同時期に教室拡張をしましたが、やはり知らないことがいっぱいで、やはり多くの人に助けていただきました。

実は当たり前のことなのですが、私たちは、やっぱり多くの人たちの関係の中で生きているんですよね。けっして、ひとりきりで生きているのではありません。

そして、大切なことは、私たちは他人の役に立つために生きているのではないかと思います。

はなまるゼミナールでは、「学力を生きる力に」ということを根本に指導を行っていますが、そのことは実は「社会の中で役立つ人」になってほしいという思いでもあります。世の中で生きていける、あるいは自分らしく生きていけるということは、社会から必要とされているということと、同じ意味ではないでしょうか。

しあわせは、絶対にひとりではなれない。家族の中、社会の中で、自分がしあわせになれるということを、これからも子どもたちと感じていきたいと思います。


廊下の黒板(^^)

小学生の書いたラクガキ

長年、塾教師をやっていて、さまざまな子どもたちを見てきました。みんながみんな、元気だったらいいのですが、いろいろな理由で「気持ちが病んでいる」子どももいました。

教えている子どもの心が病んでいると、やはり心配です。

しかし、明るく元気な「ラクガキ」を見ると、私もそのエネルギーをもらって元気になります。
子どもは、未来のかたまり、いつまでも明るく元気で、一日いちにちをがんばってほしいと思います。


努力は報われる

私は、幼少の頃から、野球はほとんど見ませんでした。変わり者の父の方針で、「大勢の人が夢中になっているものに、興味を持っても仕方ない」という理由で、見せてもらえなかったのです。ですので、近所の子どもたちと空き地で野球をしたりすると、ルールが分からないということがしばしばありました。それくらい、野球は知らなかったのです。

そんな私でも、プロ野球選手の王貞治さんの名前はよく知っております。通算のホームラン数868本は、今なおプロ野球界の記録として輝いているわけですから、私みたいなものでも知っていて当然なのかもしれません。
そんな、王貞治さんが、こんな言葉を言っておられるようです。
努力は必ず報われる。もし報われない努力があるのならば、それはまだ努力と呼べない
「努力は必ず報われる」~~こういうことを言って、本当に「必ず」報われるのかと聞き返されたら、やはり躊躇すると思います。成功のためには、自分の努力以外にも、様々な要素があるからです。
しかし、そうした外的な様々な要素も含めて、「努力」によってそれらに打ち勝つ、そこまで「努力」すれば報われると言われれば、説得力があります。
テニスの松岡修造さんも似たようなことを言っておられます。
100回叩くと壊れる壁があったとする。でもみんな何回叩けば壊れるかわからないから、90回まで来ていても途中であきらめてしまう

自分のこれまでの半生を振り返ってみると、とてもよく分かります。当時は、それなりに「努力」していたつもりなんですが、今から考えてみると、やはり「70回、あるいは80回」くらい壁を叩いた時点であきらめてしまっているんですね。結果が出るまで、努力し切れていなかった自分がいるわけです。

王さんにしても、松岡さんにしても、成功するところまで努力してこられた、だから、結果が出るまで努力し続ける大切さを言っておられるのではないかと思います。
先にも書きましたが、「結果」は自分の努力だけで100%表れるものではありません。時には、運の善し悪しなどもあろうかと思います。「100回壁を叩いた」からといって、だれもが王貞治や松岡修造、あるいはイチローのようになれるわけでは無いと思います。つまり、努力する者が「必ず」成功するとは限りません。しかし、言えることはあります。
成功する者は必ず努力している。

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