集団で技を学ぶには不揃(ふぞろ)いな子がいたほうがいい

『東京新聞』に興味深いコラムが載っておりました。

「集団で技を学ぶには不揃(ふぞろ)いな子がいたほうがいいと思っています。年齢も経歴も性格も育ちもさまざまな子が、たがいを見ながら、自分の道を歩んでいくことができるからです」

「鵤(いかるが)工舎」を設立した宮大工・小川三夫さんの言葉だそうです。
巨大な木造建築である法隆寺や薬師寺が、画一化されていない「ふぞろいの材木」から作られていることは、当然のことです。このふぞろいの材木を組み合わせ、その1本1本がお互いを支え合い、1つの巨大な木造建築が築かれているのです。
しかし、このことはよくよく考えてみると、不思議で大変なことです。
現在の建築物は、ビルであれば、鉄骨とコンクリート製で、計算して作られます。住宅でも、ツーバイホームなどは工場で部品を作り上げてから、現場で組み立て、それはやはり計算されて作られています。
しかし、法隆寺や薬師寺は、様々な木材、生き物である以上、1本1本個性を持った木材を組み合わせて、1つの建築物として作られているのです。
続けて、小川さんは言います。

「急いだら人は育たんで。不揃いの中で育つのが一番や」

私も、全くその通りだと思います。
まず、人が成長するためには、成功体験とともに失敗体験も必要であると思います。よく「失敗は成功の母」と言ったりもしますが、人はやはり失敗から苦い経験を経て、大きく成長するのではないでしょうか。そして、こうした苦い経験を積み重ねることにより、他人への思いやりの心も育まれるように思います。
こうした失敗体験は、ともすれば「時間の無駄」のように感じられることもあります。とりわけ、現代社会においては、「時は金なり」「スピード感を持って」と何事においても、せかされる世の中です。しかし、子ども時代くらいは、遠回りもしながら、ゆっくり自分の足で一歩一歩歩んでもらいたいと思います。
そして、次に「ふぞろいさ」ですが、いろんな人間の中で子どもは大きく育つのではないかと思います。
もちろん、子どもの周りにいる大人も大切な存在です。しかし、子どもはやはり同年代の子どもから多くを学びます。この子どもの個性が豊かであればあるほど、他の子どもが学べる内容は、深く広くなるのではないでしょうか。
もちろん、いろんな子どもがいれば、ちょっかいをかける子、かけられる子、騒がしい子、おとなしい子、いろんなことをよく知っている子、精神的に幼い子が入り交じるわけですから、いやな思いや悔しい思いをすることもあります。しかし、あえて言うと、そのいやな思い、悔しい思いすらバネにして、大きく育って欲しいのです。
年に3回、保護者懇談会をしておりますと、親御さんから「うちの子、迷惑かけておりませんか」と言われることが多々あります。はなまるゼミナールでは、入塾テストによる「ふるい」にはかけておりませんから、当然いろいろな子どもがいるわけです。親御さんもそのことをよく分かっておられるので、自分の子どもの「迷惑」が気にかかるのです。
しかし、むしろ「迷惑」をかけられる子どもの方が、学ぶ機会が多いと思っています。
勉強に少し遅れ気味の子がいたとします。その子に説明すると、他の子も聞きますから、何度も説明を聞くことができます。
騒がしい子がいたとします。度が越えると、私から叱られますから、周囲の子どもたちは「どの程度で叱られるか」分かります。
宿題をつい忘れてしまう子がいるとします。宿題忘れがたび重なると、私のしかり方もひどくなり、しだいに「おそろしい」ことになってきます。周りの子どもたちは、「ああ、何度も何度も宿題を忘れると、こんなにおそろしい怒られ方をするのか」と学べるのです。もちろん、私からすると「ひどくおそろしい怒られ方をさせないで欲しい」と思っておりますが。
大手塾勤務から独立して丸2年をまもなく迎えようとしていますが、本当に多くの「ふぞろい」の子どもたちとともに学ぶことができて、幸せでおります。その中で、子どもたちは、たくさんのことを学んで欲しいと思っております。