【とある校長先生の言葉】今日の5分を惜しむと明日にはたいへんな困難が待つ

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今日の5分を惜しむとが明日からの困難な数十時間になる

こういうことは、よくあることです。
たとえば、勉強していて分からないところがあった。本当は質問して解決した方がいいのに、つい質問しなかった。本当は、そのときに質問して解決しておけば良かったものの、「まあ、いいか」とやめてしまうと、その後、大変な困難が待ち構えることになります。いわゆる「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」というものです。
はなゼミでは、子どもたちに
「宿題はその日のうち、遅くても次の日にはやっておきなさい」
と指導しております。このルールを守ってくれる、あるいは守ろうとしてくれる子は比較的早く成績が上がります。実は、しごく当然なことです。
子どもたちには、この理由を次のように説明します。
僕たちの脳は、忘れるようにできている。すべて覚えていたら、大変やろ。道を歩いていて、「赤い服の人とすれ違った、アイスの袋が落ちていた、青い車が通ったなどなど」、目の前に見えたものをすべて覚えていたら、頭がパンクしてしまう。だから、僕たちの脳はすぐ忘れちゃう。でも、勉強した内容もすぐに忘れちゃったら、もったいないから、今日帰ったら、宿題をする。今日無理だったら、明日には終わらせてしまい、忘れないうちに復習することが大切なんだ

というのです。繰り返しますが、守ってくれる子は「習ったことの記憶の持ち」がいいのですが、忘れないうちに復習しているわけですから、成績が良くなって当然です。

「今日、宿題をしないといけないけれどめんどくさいな。明日でもいいか」と、今日の時間を惜しんでしまうと、せっかく習ったことを忘れてしまい、こんどするときにはずいぶん忘れており、また復習しなければならなくなったりします。また下手をすると、全く忘れてしまい「何これ! 難しい」なんてことにもなりかねません。

つまり、今日しないといけないことをサボってしまうと、実は後には大変に困ったことが待ち構えているのです。後で待ち構える困難を避けるためにも、今日やっておくべきことはやっておくという習慣を付けていきたいものです。


【とある校長先生の言葉】善行の訳はとことん聞いてあげる

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善行の訳はとことん聞くがいい。その子にも周囲の子にも良い影響があるから。しかし悪行の訳は聞かないほうがいい。訳があれば悪行も許されるとの、間違ったメッセージを送ることになる

子どもがいいことをしたときには、とことんその理由を聞いてあげるといい。聞いてもらえれば、その子にとってもうれしいし、聞くときには兄弟や他の子のいる前で聞いてあげると、それを聞いている他のこにとってもいい影響が与えられるのです。「あ、こんなことをしたら、ほめてもらえるんだ。注目してもらえるんだ」と気づかせることは大切なことです。
また、悪いことをしたときには、理由は聞かない。理由があれば、悪いことをしてもいいと思わせてしまうかもしれない。このこともとても大切なことのように思います。とりわけ、子どもが幼いうちは、「理由」よりも、ことの善悪をしっかりと教えることの方が重要だからです。
子どもをほめる、あるいは叱るときにかならず覚えておきたいことだと思います。


【とある校長先生の言葉】違いを認めながら損得のないように扱う

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男の子と女の子とは明らかな違いがあるな。その違いを認めながら損得がないように扱うことが平等という事ではないかな。違いがない、違いを言ってはいけないというのは無理なことだ。それでも違いを見つけてはいけないというのなら、個別化なんて成り立たない

よく平等に扱うべきだということをいいます。しかし、何をもって「平等」というのでしょうか。私は、この先生が言われるように、子どもたちの違いを認めた上で、彼ら(彼女たち)に損得のないように扱うことこそが平等であると、私も思います。

公教育も同じだと思いますが、塾に通う生徒の中にも様々な子がおります。
かつて、私が教えた子どもにこういう子がおりました。彼女は小学6年生から通ってくれていたのですが、父親がおらず、母親が1人で彼女と弟を育てているのです。彼女の母親は、2人の子どもを育てるのに、パートを朝・昼・晩と1日に3回掛け持っていました。当然、ほとんど家にもおりませんでした。
当然にも家に親がいる家庭では、子どもの身の回りの世話から宿題のチェック、あるいは学校で困っていることがないかとか、日々確認することになるでしょう。しかし、彼女の場合は、家にはほとんど弟と2人きりですから、その時点で、家に親御さんがいる家庭と比べるとスタート地点で不利なわけです。この不利なところを少しでも、学校や塾が少しでもフォローすることができれば、彼女は他の子どもたちとともに学習に励むことができるでしょう。この役割を教育は果たさないといけないのではないかと思っております。

かつて教室長として働いていたときには、個別に通う生徒も含め、常時100人くらいの子どもたちの服装や態度、姿勢などを確認しておりました。服装といっても華美な格好をしているかとどうかというより、ご家庭での教育がどれだけ行き届いているのか、極端に言うと「家庭内虐待」を受けている子どもは服装で分かるといいますが、そういう確認です。

もちろん、私塾は学校ではありません。公教育ではありませんから、ご家庭の状況などに踏み込むことができませんが、それでもお月謝をいただいている以上、子どもの様々な状況を観察し、塾でできることはなるだけフォローしてあげられたら、それに越したことはありません。

先に書いた彼女のときには、崩れやすい中学2年の時がもっとも不安でしたが、なるだけ塾で勉強できる環境を整えてやり、寂しい我が家でよからぬことを考える時間を減らすことに注意を払いました。この子は、この春、無事高校に合格し元気に通ってくれております。
100人子どもがいれば、100人の性格があります。様々なご家庭がありますが、同じ家庭で育っていても、兄弟姉妹で性格が異なるということもあります。

男女の性差はもとより、さまざまな違いを認めてあげて、それぞれが損得のないよう、できるかぎり同じスタートを切れるために子どもたち1人ひとりを見てあげたいと思っております。


【とある校長先生の言葉】「自分は悪い子」だと思わせないしかり方

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叩いてしまった手を叱ろう。悪口を言った口を叱ろう。叩いた心や悪口を言った心を叱ってはならない。「オレは悪い子どもだ」と自覚させれば悪者が生まれる。手足や口だけが悪いのだと思わせれば本性は救われる。

真の教育者というのは、こういう視点で子どもとの接し方を考えるのだと、感動いたしました。

子どもには、無限の未来があり、希望があります。子どもを叱る場面は、その子が親の手を離れるまでに数え切れないほどあると思いますが、叱る視点は「子の悪い点」であるということです。その子自信を叱ってしまえば、その子は「自分は悪い子」なんだという自覚が生まれ、その子の本性までゆがめてしまい、可能性を閉ざしてしまうかもしれない。だから、叱るときにはその子の「悪い点」にのみ焦点を当てて叱れば、感情的になってたとえ「ひどく」叱ったとしても、その子の本性は救われるのです。

友だちをたたいてしまったなら、その子の「たたいた手」を叱り、他人に対しひどいことを言ったりウソをついたら、その子の「悪い口」をしかる。そのことで、その子に「自分は悪い子」であると思わさない。その子の本性を守ってあげる。子どもを叱るときには、ぜひとも頭においておきたいことです。


【とある校長先生の言葉】自分に必要のないところにとどまる意味はない

Drawing competition for school kids
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最近、SNSで小学校の校長先生に知り合うことができました。その先生の言葉にいろいろ考えさせられています。

子どもが来ない、あるいは脱走する。なぜか? 答えは至極簡単なんだ。面白くないのだ。必要のないところに留まる意味が無いと、頭というよりも体がそう判断している。

「学校が嫌」「塾が嫌」~~子どもが自分にとってそこにいる必要がないと体が判断する、本当にそうだと思います。

かつての職場で教室長になったときの頃です。

塾に来るのをとてもいやがる小学5年生がいました。私は、そのことをはじめは知りませんでした。ただ、ダラダラと遅れてくるんですね。しかし、私が室長になり彼の算数担当になると、だんだん遅刻の時間が短くなってきたのです。その時に、私の前からいた事務員さんが「実は、遅刻するのが治らなかったのですよ」と教えてくれたのです。きっと、自分の塾での「場」ができたのだと思います。

その数週間後、彼の母親が来て、「ありがとうございます! これで、中学受験用の学習ができます」と喜んでいただき、中学受験塾へ転塾しました。私は、事務員さんといつ退塾してもおかしくない生徒がちゃんと来るようになってくれたことを喜んでいたのですが、なんのことはない、むしろ感謝されながら退塾されたのです。

数年後、電車の中で、とある私立中学の制服を着た彼を見ました。「無事、中学受験が成功したんだな」と苦い思い出とともに、ほっとした気持ちになったことを今でも良く覚えています。

話がそれましたが、学校でも塾でも、子どもにとってそこが自分の「居場所」かどうかは、きっと体ですぐに感じることでしょう。はなゼミは、お互い手を伸ばせば当たってしまうほどの、ほんとうに小さな塾ですから、私の子どもたちへの愛情、それは個々の個性にたいする愛情だけでなく未来への希望を持つ子ども一般への愛情でもあるのですが、そうしたものを感じてくれていると思っております。

だから、通ってくれている子どもたちは、きっと例外なく、はなゼミを「自分の居場所」と感じてくれていると思っております。成績が伸びてきた子もおりますし、残念ながらまだ伸ばせてない子もおりますが、「安心」して学んでくれていると思っております。ただ、お金をいただいている学習塾である以上、「安心の学習場」の提供だけでなく、しっかりと学力も付けなければなりません。成績が伸び悩んでいる生徒に対しては知恵を絞りなんとか基礎学力をつけてもらうため、努力をしていきたいと思っております。