放物線を描くように

artree #69, by ipad
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この夏、たくさんの生徒を教室に迎えることができ、紹介していただいた保護者の方や選んでいただいた保護者の方に本当に感謝する次第です。

さて、はなゼミの方針として、ゆっくり確実に成長を促すということがあります。テクニックで早急に結果を出すのではなく、「なぜか」を大切にしながら、ゆっくりと子どもたちに勉強を教えております。寓話的に表現すると、「ウサギとカメ」のカメの指導方法ではないかと思います。

たしかに、華やかさという意味では、ウサギのように走りぬける方がいいかもしれません。しかし、はなゼミではあえてカメのようにゆっくりしかし確実に歩んでもらいたいと思っております。これは、私の塾講師20年の中で、高校から大学に行った生徒たちをみていると、やはりそのほうがいいという結論からです。

さて、このカメのような学習方針、数学的に表現すると放物線を描くようにといった感じでしょうか。ゆっくりゆっくり、そして確実に上っていき、受験期には一気に駈けのぼり、勝利をつかんでいく。このような指導を心がけております。


のびのびと学習するということ


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数学の教師にありがちなのですが,計算の仕方やノートの取り方に,かなり細かく指示だしし,強力に守らせようとする先生がおられます。結論から言うと,私は,子どもたちに一定のルールは説明し,この通りにやってみようと促しますが,あまり強力に従わせようとはいたしません。
もちろん,ベテランの教師のいうとおりに解いていくのが,まちがいやミスが少なくて済む“最良の方法”であると思います。
しかし,私は,いくつかの疑問を感じるのです。
まず,第一に,きちんと先生の解き方を学んでまちがいを一切しないというので本当に良いのかということです。もちろん,繰り返しになりますが,先生のいうとおりに解くというのとても合理的なことです。しかし,それは本当に“学び”なのでしょうか。
私は,つねに子どもたちに成功の喜びとともに,失敗もまた経験して欲しいと思っております。むしろ,失敗から学ぶことは多いのではないかととも思っております。自分自身の過去を振り返ってみると,思い出すと穴に入りたくなるようなこともありますが,しかし,それが恥ずかしければ恥ずかしいほど,あるいは悔しければ悔しいほど,自分を振り返り,自分を変えてきたような気がします。
子どもたちには,親や教師,さまざまな大人な先輩から,素直に学んでもらいつつ,それを金科玉条のように守るのではなく,大いに失敗し,発展させていってもらいたいと願います。
私が,解き方や勉強の仕方にあまり縛らせない2つめの理由は,のびのびと学習してもらいたいということです。
これは,確かにむずかしい側面があります。絶対に間違わない解き方を子どもたちに強力に守らせれば,短時間でテストの点数を上げることができます。とくに中学生くらいには,非常に効果があります。優秀な教師があみだしたテクニックはやはり優れているのです。
逆に,一定程度,子どもたちに解き方や学習方法などを任せ,失敗の経験をさせるとなると,そうはいきません。テストの点数がぐっと上がる子もいれば,良くなるのに1年くらいかかる子もいます。また,上がったと思えば,次は下がったりしたりします。私は,そこで,油断をすれば,点数は下がるのだということを学んで欲しいわけですが,親御さんからすると,やはり心配ですし,おもしろくないということになりがちです。
ただ,多くの生徒を見ていると,
・成績は上がってうれしいけど,細かいところまで指示されるのはいやだ
・言うとおりにしないと怒られるので怖い
などと,かなり萎縮しているのも事実なのです。
小学校も高学年になってくると,子どもたちには,自我が芽生えてきます。まわりの大人からすると,「えらそうに」ということでもありますが,しかし,それは成長の証です。そういう子どもたちに,細かく指示だしし,守らせようとすると,やはり緊張感のある授業になりがちなんですね。
そういう授業においては,子どもたちは,問題を解くことに頭を使うことよりも,怒られないようにすることに頭を使いがちになります。そして,いろいろな側面から疑問を持ったり,解き方を工夫することよりも,覚えさせられたことを忠実に実行するだけになってしまいがちなのです。
私は,勉強するということだけに,彼らの能力を使い切るような,他に何も心配することなく,一生懸命に考えることのできる教室をつくっていきたいと思っています。


勉強に励む美しさ

Graham at Work
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小学生,中学生の間にしっかりとした国語力をつけることは,とても大切です。

それは,英語を勉強する上でも,算数や数学を勉強する上でも,理科でも,社会でも大切なことです。

書いてある日本語が正確に,そして主観でなく客観的に理解することができなければ,どのような教科であっても学習することはできません。いや,教科学習だけではありません。サッカーを習っていて,コーチからのアドバイスがしっかりと言葉通りに理解できなければ,上達しないでしょう。

はなゼミでは,子どもたちにできるだけ多くの文章を読んでもらいたいと思っており,授業でもたくさんの文を読んでもらっています。1コマ55分の授業で,5つ以上は読んでいるのではないでしょうか。そのことにより,文章読解の力だけでなく,いろいろな知識や感受性なども豊かにしてほしいと願っているからです。

さて,先日,小学5年生の接続語の学習に,高田敏子さんの「詩の世界」という本の中の一節を読みました。

テーマは「美しさの意味」であり,何をもって,私たちは美しいと感じるのかということが書かれてありました。

その中で,高田さんは,「働く人を美しい」とし,「どんなにどろんこでも,汗みどろでも働く姿は美しい」といいます。それは,働くという行為が役立つ使命を果たすことであり,どろんこや汗がそれにつながっているので,美しく見えるのだというのです。

私は,生徒に「使命」の意味とそれを果たす美しさについて,お父さんが一生懸命仕事をしているのは,家族や子どもたちを守り育てるためであり,お母さんがご飯をつくってくれたり掃除や洗濯をしてくれたりするのも,そういう使命を果たしているから,美しいのだよと説明しましたが,実は,心では少し違うことも考えていました。

それは,この20年の塾講師生活の中で,一生懸命に勉強する子どもたちを見ていると,やはり「美しいなあ」と感じて,感動してしまうことを考えていたのでした。子どもたちが一生懸命に勉強する姿になぜ感動するのか,それは,高田さんの言葉を借りると,使命を果たしている姿に感動を覚えているのでしょう。

親からの期待もあるかもしれません,または自分の夢や希望をかなえるためにがんばっているのかもしれません,いずれにせよ,しっかりと努力をし,学力を身につけ,社会に貢献している人間へと成長するために訓練であることは間違いないのです。当の子どもたちは,感じていないと思いますが,こうした子どもたちが社会に役立つ“人としての”使命を果たす姿を,心のどこかで想像し感動していたのかもしれません。

 


もっと勉強ができるようになるために!

私の基本方針は、明白です。

塾は勉強ができるようにするためにある

当たり前なのですが、いろいろな塾や教師をみているとそう当たり前でもないのです。

たとえば、入塾テストを難しくして、すでに勉強をできる生徒を集める塾というのがあります。当然、進学実績もいいのです。そういう塾では、できる子をきたえる授業を行います。勉強ができない子ができるようになるという授業は行いません。

塾の講師の中には、そうした塾の方針と自分の指導方針を整理できていない人がいます。塾自体は、勉強が苦手な生徒も集めているが、教師はできない生徒をできるようにする指導をしない、、、残念ですが、そういうことはよくあることです。

はなゼミでは、入塾テストはもうけておりません。それは、個別指導にちかい少人数クラスであるので、入塾テストは必要ないということと、どんな生徒でも集団の中で伸ばしていく授業をおこなうため、あらかじめ学力を見る必要がないからです。

塾は勉強ができるようになるためにある、だから「できない」ことには徹底的につきあいます。「できない」ことを叱ることは絶対にありません。もちろん、「やらない」ことにはきびしく叱りますが。。。