子どもの学習と親の関わり方【2】

3つめのグラフは《「勉強しなさい」という声かけと子どもの学習時間の関係》となっています。
ここで、確認したいのは、小学校低学年までは、「勉強しなさい」という声かけをした方が、勉強時間が長くなる傾向にあるのに対して、中学生においては「勉強しなさい」と声かけをしない方が勉強時間が長いということです。

私は、これを子どもの自立の問題と考えます。
つまり、小学生低学年は、まだまだ親御さんが「育てる」という側面が強いのに対して、中学生くらいになると自立心が出てくるので、むしろ子どもの自立心を信用するくらいの方が子どもは自律的に学習するということではないかと思うのです。

さて、問題は、子どもが自律的に学習できるようになるのはいつ、そしてどのようにしてかということではないでしょうか。
グラフを見ると、小5~小6あたりが「我が子を信頼して手を離していく」時期なのではないかと思います。とすると、小4あたりから「なぜ勉強するのか」など、子どもが自律的に勉強できるような話をしていくと良いのかも知れません。

4つめは《子どもと将来や進路について話をする》グラフです。
はなまるゼミナールでは、コーチングに基づき、授業を進めております。したがって、「なぜ、勉強しなければならないのか」「宿題はなぜあるのか」などを適宜、子どもたちに話しながら、子どもたちの自立を促しております。先日も、小学6年生に「中学生に進学するにあたって」という講義をしました。子どもたちが、緊張感とともに顔つきが締まっておりました。また、保護者の方からも、「家に帰ってからいろいろと話をしてくれ、中学生になったらついて行けるかと心配だったが、少し安心した」などと言ってもらっております。

私は、子どもたちには、その段階に応じて、「将来や進路」の話はかならずする必要があると思っております。
さて、グラフにおいては、小5、小6においては8割近くの親御さんが子どもと「将来や進路」の話をしておられます。中3生では9割を越える方が話をしておられるのですが、中3になってからでは少し遅いのではないかと私は思います。

というのも、どこの高校に行くかで一定程度、人生の幅が決まってきます。当然、高校で人生のすべてが決まるわけではありません。しかし、高校によって合格する大学はだいたい決まっていることから考えると、中3までには一定の目標を設定した方が良いのではないかと思います。中3で「将来や進路」の話をし、「それなら大学に行かなきゃね、じゃあ○○高校に通おう」となったとしても、その時点で実力や成績が間に合っていれば良いですが、間に合っていなければ、なんのために「将来や進路」の話をしたか分かりません。まるで、「無理である確認」をしたかのようになってしまいます。

理想を言うと、小6あたりから段階を経ながら、中2くらいまで少しづつ「将来や進路」について話し合いながら、学力をつけていき、最終的に中学3年生では「夢や希望」に見合う高校を受験するという形が良いのではないかと思います。

最後のグラフは、《子どもと将来や進路について話す割合と学習時間との関係》です。
大変興味深いのは、若干の変動はあるものの、小学1年生~中学3年生において、すべての学年で「将来や進路」について話をしている子どもほど、学習時間が多いということです。

とりわけても注目すべきは、小4~小6にかけては「将来や進路」について話をすれば、子ども自身がきちんとそれを理解し、学習に励んでいる様子がうかがえます。うまく子どもたちが自律的に行動している証拠でしょう。

しかし、よく考えてみると、当たり前のことかも知れません。人間は、本来、みずからの頭で考え、行動する動物ですから、「頭ごなしにやりなさい」と言われるよりも、「理由が分かった上でみずからやる」方が人間の特性に合っていると思います。

ただ、中1、中2においては、学習時間は下がっています。この辺りで、さきに書いたように「勉強しなさい」と親御さんが言わざる得ない状況が分かります。本来なら、自分の「夢や希望」に向かって、さらに学習に励まないといけないのですが、なぜだか下がっております。

この原因の1つは、「話す内容」にあるのではないかと思っております。中学生というのは、義務教育が終わる学年であり、いわば「大人になるための練習期間」でもあります。ほとんどの中学生が高校進学する時代であるとは言え、希望すれば、就職することだってできるわけですし、実際にしょうなりといえども社会人になる子どももおります。周りの大人はそうした中学生を「大人への訓練生」として見る必要があります。

つまり、小学生に話す内容に比べ、中学生に話す内容は「子供だまし」のようなものではなく、現実的でないといけないと思うのです。しかし、むずかしいことは、あまりにも現実的すぎるのも良くありません。子どもたちは、まだまだ磨けば磨くほど光る原石なわけですから、「夢や希望」を残しつつ、リアルな「将来や進路」についての話をしてやる必要があるのではないでしょうか。ここで、「小学生のときに言っていた内容と変わらないこと」を言っていると、子どもたちに見透かされてしまい、逆効果になってしまうかも知れません。

ただ、中学生は思春期でもあり、むずかしい年頃です。親がいくら良いことを言っても、子どもは聞く耳を持たない年頃です。むしろ、こうした時期には、学校や塾の教師、あるいは親戚など、ちょっと距離の離れた人に「少し将来や進路」について話をしてもらった方が良い時期かも知れません。

ですが、グラフを見る限り、中学3年生になると、また、学習意欲に燃え、勉強するわけですから、中1、中2で「反抗的になった」と嘆くのではなく、もう少し長い目で見ていく必要があると思います。

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本気でやるときもちいい

Free Four Teens Jumping in Parking Lot Creative Commons
相田みつをさんの詩です。

なんでもいいからさ
本気でやってごらん
本気でやれば たのしいから
本気でやれば つかれないから
つかれても つかれが さわやかだから
相田みつを

本当にいい詩だと思います。

私は、もう20年以上、塾講師をやっておりますが、年々、子どもたちが「用心深く」なり、「本気で」なにかにとりくめる子が減っているような気がしてなりません。もちろん、子どもたちをそのように育ててしまっているのは、私たち大人がそういう社会を作ってしまっているのが原因であることも忘れてはなりません。

しかし、一方では「社会が問題だ!」ともいっていられません。それとは別の問題として、子どもたちには、何をするにも「本気で」やってほしいと思います。

何事も、本気でやれば、けっこう面白かったりします。また、なんらかの成果があったりします。もちろん、その成果はすぐに出るものもあれば、数年後に気づくこと、気はつかないけれど、子どもの成育において実は影響があったりすることもあります。

本気でやるということは、そういうことじゃないかなと思ったりします。

もちろん、勉強にせよ、スポーツにせよ、本気ですれば、疲れます。しかし、こうした「疲れ」は、けっしてイヤなものではなく、むしろ爽快だったりします。といっても、勉強の場合は、多くの子どもが「いやな疲れ」としてとらえるかもしれません。勉強をがんばって、「爽快な疲れ」にしていくためには、いろいろ方法があると思います。

主体的にいうと、「なぜ勉強しているのか」ということが子どもの中にはっきりしていれば、みずから学習をおこなえるようになり、やり終えたときには達成感をもった疲れになるでしょう。客体的にいうと、やはり親御さんがほめてあげることだと思います。大変集中してがんばったら、「よくがんばったね」といってあげることで、「学習の疲れ」が癒やされるのではないでしょうか。

子どもが子どものうちに、勉強もスポーツと同じように「本気でやるときもちいいんだ」ということを学ばせたいところです。


【とある校長先生の言葉】善行の訳はとことん聞いてあげる

Atlas, it's time for your bath
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善行の訳はとことん聞くがいい。その子にも周囲の子にも良い影響があるから。しかし悪行の訳は聞かないほうがいい。訳があれば悪行も許されるとの、間違ったメッセージを送ることになる

子どもがいいことをしたときには、とことんその理由を聞いてあげるといい。聞いてもらえれば、その子にとってもうれしいし、聞くときには兄弟や他の子のいる前で聞いてあげると、それを聞いている他のこにとってもいい影響が与えられるのです。「あ、こんなことをしたら、ほめてもらえるんだ。注目してもらえるんだ」と気づかせることは大切なことです。
また、悪いことをしたときには、理由は聞かない。理由があれば、悪いことをしてもいいと思わせてしまうかもしれない。このこともとても大切なことのように思います。とりわけ、子どもが幼いうちは、「理由」よりも、ことの善悪をしっかりと教えることの方が重要だからです。
子どもをほめる、あるいは叱るときにかならず覚えておきたいことだと思います。


【とある校長先生の言葉】「自分は悪い子」だと思わせないしかり方

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叩いてしまった手を叱ろう。悪口を言った口を叱ろう。叩いた心や悪口を言った心を叱ってはならない。「オレは悪い子どもだ」と自覚させれば悪者が生まれる。手足や口だけが悪いのだと思わせれば本性は救われる。

真の教育者というのは、こういう視点で子どもとの接し方を考えるのだと、感動いたしました。

子どもには、無限の未来があり、希望があります。子どもを叱る場面は、その子が親の手を離れるまでに数え切れないほどあると思いますが、叱る視点は「子の悪い点」であるということです。その子自信を叱ってしまえば、その子は「自分は悪い子」なんだという自覚が生まれ、その子の本性までゆがめてしまい、可能性を閉ざしてしまうかもしれない。だから、叱るときにはその子の「悪い点」にのみ焦点を当てて叱れば、感情的になってたとえ「ひどく」叱ったとしても、その子の本性は救われるのです。

友だちをたたいてしまったなら、その子の「たたいた手」を叱り、他人に対しひどいことを言ったりウソをついたら、その子の「悪い口」をしかる。そのことで、その子に「自分は悪い子」であると思わさない。その子の本性を守ってあげる。子どもを叱るときには、ぜひとも頭においておきたいことです。


学習の動機

Don't look until I'm done!
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はなまるゼミナールでは、自主的・自律的に学習できる子どもに育てることを目標にしています。親や教師に言われたことをきちんとすることも大切なことですが、言われなくても、自分で考え、行動するようになることが、これから子どもたちが成長していく上で、とても大切だと考えるからです。

さて、人の学習の動機はどんなものでしょうか。

たとえば、子どもが赤ん坊だったらどうでしょう。この子が、ちょっとした瞬間に立ち上がったら、大喜びしたのではないでしょうか。そして、立ち上がることしかできなかった赤ん坊が、つたえ歩きやよちよち歩きをしたら、親は当然のこと、それを見ていた周りの大人は、みんな喜んでくれます。

赤ちゃんは、立ち上がって歩くことを喜んでくれる親に、安心と勇気を得て、さらに挑戦をします。

学習の動機は、まさに安心と喜びから始まるのだと思うのです。

我が身を思い浮かべても、そういうことはあると思います。中学生の頃、高校生の頃、勉強や部活に打ち込んでいた。怖い先生もいたかもしれません。練習が辛かったこともあるでしょう。受験勉強が苦しかったこともあると思います。しかし、その中に、“喜び”も必ずあったはずです。コーチに評価される、監督に認められる、成果が出るなどなど、かならずあるはずです。決して、苦しいだけ、しんどいだけ、辛いだけではなかったはずです。

もちろん、学習は、そんなに楽しいことばかりではありません。しかし、学習の中に“喜び”がなければ、学習の動機には決してならないでしょう。子どもの指導においては、子どもを認める言葉がけをおこない、子どもが“喜び”や“安心”を感じられるように心がけたいものです。


するなと言われればしてしまう、、、

Playing With Mud
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人というのは、面白いもので、するなと言われればしてしまったりするものです。たとえば、

真っ黒で大きなお化けが後ろから静かに近づいてくるなんて想像しちゃダメ

なんて言うと、やっぱり想像してしまったりします。一休さんの有名なとんち話で、和尚さんに「毒だから食べてはダメだ」と言われていたツボの中の水あめを、仲間の坊さんとみんな食べてしまった話は有名ですよね。

想像するだけだとまだいいのですが、頭に思い浮かぶと体が勝手に動いてしまうと、さらにやっかいです。こんなことはないでしょうか。

友だちとキャッチボールをしていたら、人が通りかかった。いつもだったらボールは外さないのに、そのときに限って、ボールが人に方に飛んでいってしまう、、、。危ないことです。頭の中で「あっ、人が。そっちにボールが行ったらダメだな」と思った瞬間、体が勝手に動いて、投げてはいけない方向に無意識に投げてしまうんですね。

人は、イメージしたとおりにしてしまう傾向があります。だから、教育コーチングでは、子どもたちに対しては、

「~してはダメ!」という言葉は極力使いません。

そうではなく

~をしよう

と言います。

「宿題を忘れてはダメ」ではなく「宿題をしよう」

「しゃべるな」ではなく「静かにやろう」という表現になります。

私も子ども時分は、学校の先生や親から「~してはダメ」とよく言われてきました。しかし、こうした注意の仕方が、とても不適切であることは簡単に証明できます。

たとえば、少年野球でピッチャーをしている子どもとコーチがいるとします。そして、コーチが彼に指示をします。

「外角低めに投げちゃ、ダメだ!」

さて、こうした指示はどうでしょうか。さらに言うと、これは本当に的確な指示、あるいは注意なんでしょうか。「外角低めに投げちゃダメ」ならどこに投げればいいのでしょう。外角高め? それとも内角に? さっぱりわからないんですね。優れたコーチなら、

「内角低めに集めろ!」

などと言うはずです。こうした言葉かけが的確であるのは言うまでもないでしょう。つまり、私たち大人は子どもに対しては、「ダメ」という言葉を投げかけるのではなく、できる限り子どもがその通りに動きやすい指示を出していきたいものです。

ご家庭でも、ぜひ活用してください。お子さんが少し変わるかもしれません。

 


本が好きになるためには

Reading Room, Arnolfini
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このテーマは、まだ幼いお子さんをお持ちの保護者の方への1つの提案です。

字が読めないお子さんをお持ちであれば、読み聞かせをされると思います。お父さん、お母さんの時間があるときに、たくさん読んであげてください。 「3つ子のたましい、100まで」という言葉がありますが、これは最新の脳科学においても正しいそうです。ヒトの脳は3才までに急速に成長し、ある種の“天才”のような状態になるそうです。それまでに、本当にたくさんの知識を蓄えようとするのです。そして、自分に必要でない情報が成長とともに整理され、なくなっていくそうです。だから、幼いうちに、いろいろな情報を脳にインプットし、その子に必要な情報かどうかを、その子の脳自身が判断し、個性=その子らしさができていくわけです。

さて、読み聞かせなのですが、たくさん読み聞かせるといっても、忙しかったり、疲れていたりすることも多いと思います。そこで、字が少し読めるようになってからの本読みについて、面白いサイトがあったので、紹介したいと思います。

それは、

イヌに本読みを聞かせる

ということです。

ライブラリー・ドッグ!?本読みが苦手な子供をサポートする犬が話題

私は、2つの意味でこの方法をお薦めします。

第1に、親の手を離れるということです。やはり、お母さんもお父さんも忙しい。そして、いろいろと疲れておられる方も多いと思います。子どもは、字が読めるようになってきたうれしさから、聞いてほしいとせがんできても、親に気持ちの余裕がなければなかなか辛いものがあります。そんなときに、イヌが聞き役になってくれれば、親も手が離れますし、子どもも“誰か”が聞いてくれて満足します。

第2に、コーチングの側面からです。それは、親が聞くとどうしても読み間違えなど注意してしまいます。もちろん、字を学ぶという意味では教えるということは大切なのですが、字の覚え立ての時は「正しく読めること」より「読める楽しさ」を大事にしてあげてほしいのです。子どもの読んでいるのを聞いて、親御さんがいちいち注意をしていけば、子どもはいやになってきます。さらに、何度注意しても直らなかったりすると、イライラしてしまい、子どもがそれを感じて、もう読んでくれなくなるかもしれません。

しかし、イヌなら、大丈夫。間違いを指摘することもなければ、本読みが下手だとイライラすることもなく、“広い心”で子どもの本読みを聞いてくれます。そして、子どももじっと自分の本読みを聞いてくれる愛犬をますます好きになることでしょう。

もし、字をおぼえたてのお子さんがおられて、家にイヌを飼っている方がおられたら、やってみてはいかがでしょうか。


ほめられるとテングになってしまう子ども?

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私の指導方針は、子どもを評価しつつ、自律的に学習してもらうためのコーチング理論に基づいております。

保護者の方にその旨を説明していると、ときどきこのようにおっしゃる方がおられます。

「うちの子は、ほめるとテングになるので、ビシビシ厳しく指導してください」

私は、ほめることとテングになることは全く別のことだと思っています。もし、本当にテングになっているのであれば、それはほめられたからではなくて、申し訳ありませんが、“ほめるとところ”が間違っているのです。

小学校や中学校の勉強などは、さほどむずかしいものではありません。すこしばかり勘の良い子であれば、そんなに勉強しなくても、けっこう点数がとれたりします。そんな子に

「うわあ、いい点とれたね。良かったね」

などとほめてもダメなのです。なぜなら、その子はさほどがんばらなくても、点数はとれるのであり、点数だけをほめてしまえば、それは同時にがんばらないことへの「評価」になってしまうからです。

あくまでも子どもを評価する場合、その過程を見なければなりません。どれだけがんばったのかということです。もちろん、がんばり具合の判断は、その結果である点数に関わってきますが、重要なのは、〈1〉がんばり具合 〈2〉結果としての点数であるべきです。

結果のみを「評価」=ほめていると、その子が高校、大学、あるいは社会に出たときにドロップアウトする危険性が出てきます。先にも書いたように、小中学校の勉強などさほど勉強しなくても、すこし勘のいい子ならできるのです。しかし、そんな子どもでも、高校の勉強は違います。しっかりと勉強しないと、やはり結果はついてきません。さらに、結果ばかりを重視していると社会に出たときにどうでしょうか。大人の世界は、結果といっても点数化されるわけではありません。社会からの評価はやはり努力した上で、しっかりとした結果を出すことにあります。努力もせずに、結果だけを求めることなどできませんし、その結果にしても学生時代のような「明らかな」ものではないことが多いからです。

子ども時代は、社会で通用するための訓練であると思っております。テストで100点取ることは確かに立派であると思いますが、大切なことはどのようにして100点をとったのかということではないでしょうか。

最後に、大学時代の苦い友人の思い出を披露しておきたいと思います。

とある友人がいたのですが、その彼がいつも口癖のように言っていたのが

「俺は灘中学校を落ちた」

ということでした。不合格を卑下しているのではありません。不合格ではあるものの、灘中学校を受験するほど、自分は偉かったのだと言うことを言っていたのです。大学では、地道な研究や調査、レポート活動などが問われます。明確な点数としての結果は出てきません。そんな中、彼は、ほとんど授業に出なくなります。2年ほど留年した後、アパートにこもりっきりになりました。母親は息子の手帳を調べて、私の下宿先の電話番号を調べては、私に授業に出るよう頼んでくれと何度か懇願してくるようになりました。そして、ついには卒業せずして親に引き取られていきました。

彼は、小学校時代に灘中学校の受験資格が得られるくらい、勉強をがんばったんだと思いますが、すべりどめの中学、高校ではどう過ごしてきたのでしょうか。彼の問題はやはりその過程ではなかったのかと思わざるを得ません。


ドラッカーの『マネジメント』から教育を見る

Magenta Rising
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『毎日新聞』(6月7日付)の余録に、ドラッカーのマネジメントについて引用されている部分がありました。

引用されているのは、『マネジメント』の一節で、次の文です。

アメとムチによるマネジメントはもはや有効ではない。……マネジメントの手に、もはやムチはない。アメさえ人を動かす誘因となりえなくなった

私自身は、ドラッカーについては、何年か前から、一度よんでみたいと思っているのですが、まだ手をつけていません。しかし、この一節はとても気に入りました。
マネジメントとは、英語そのままでは管理、経営と訳されますが、そこから、目標、そして目的を達成するために手を打っていくことと解されます。ドラッカーのこの一節がまさに文字通りであれば、目標を達成するためにはムチはもはや有効ではないし、アメさえ人を動かせなくなったということでしょう。
これは、まさにはなゼミがめざす教育のあり方そのものです。
教師の中には、できなければ子供を怒るというスタイルと取っておられる方がたくさんいます。しかし、ドラッカーの言葉を借りると、もやは教育においてもムチはなく、アメすら子供を動かす原動力になり得ないと言うことでしょう。
では、何が子供を動かすのか。
子どもを動かすのは、私は、夢と希望であると思います。
夢と持つ子どもは、その夢に安心して突き進めるよう、教師がバックアップに回るし、夢がない子どもには夢を持たせる授業を展開し、さらに「わたしにも、ぼくにもやればできるんだ」「勉強って、けっこう楽しい」と希望を持たせるということではないかと思うのです。
はなゼミでは、コーチングの技術で子どもたちの指導に当たります。まさに、ドラッカーのマネジメントそのものではないかと思うのです。


きちんと覚えていくということ

Lovely Chaos @ New York City
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通わせてくださっている親御さんから、

「今まで、ほとんど勉強しなかったのに、帰ってきてすぐ宿題をやるようになりました」

「宿題をしなさいといわなくても、食事を終えたら、自ら進んで宿題をやっています」

とありがたいお言葉をちょうだいしています。小学生、中学生ともにです。

私は、記憶力の良い方ではありません。きっと頭の良い方でもないと思います。だから、「すぐに忘れてしまうねん」という子どもの気持ちはよく分かるつもりでいます。そもそも、人間の記憶、とりわけあまり興味のないことに関しては、24時間~48時間もすれば、忘れてしまうのではないでしょうか。エビングハウスの忘却曲線によると、自分にとって無意味な内容については

20分後には、42%を忘却し、58%を覚えていた。
1時間後には、56%を忘却し、44%を覚えていた。
1日後には、74%を忘却し、26%を覚えていた。
1週間後には、77%を忘却し、23%を覚えていた。
1ヶ月後には、79%を忘却し、21%を覚えていた。

と、24時間後には3/4忘れてしまっているのです。
これは、とてももったいないことです。せっかく、大切な時間を使って、塾に来て勉強しているのに、一晩ねたら、もう忘れてしまうなんて。
だから、子どもたちには、かならずいうのです。
忘れちゃったらもったいないから、今日中に宿題をやっておこう!
そして、ほとんどの子どもたちは、ちゃんと実践してくれているのです。
はなゼミでは、英語も数学も週に2回ありますから、その日のうちに宿題をやっていれば、次の授業(3日後)では確実に覚えているんですね。定着の具合が全く違います。“ああ、この子は、忘れないうちに宿題をやっているな”とすぐに分かるのです。
もちろん、それでも2週間、3週間と日が経つにつれて、記憶も薄くなってくるのですが、また復習すればすぐに記憶はよみがえってきます。こうした繰り返しが、子どもたちにとっては、学習が習慣になっていくおおきな練習ではないかと思っています。