がんばれば、いつか開く扉

はなまるゼミナールでは、国語の授業で、作文指導もしております。
先日、中1生に作文を書いてもらい、添削をしました。すると、ある中1女子がこんなことを書いていました。
「私は、あるアーティストの歌詞に感動しました。その歌詞は、これです。
 『目の前をふさいでいるのは壁じゃなくて、扉なんだ』c855_kusarigatuitakousi_tp_v
 私は、この詩を聞き、今、目の前にふさいでいるのは壁じゃなくて、扉なんだ、だからがんばったら、開くんだと思い、感動しました。」
私たち、大人はよく「壁を乗り越える」という言い方をします。しかし、子どもたちにとって壁というのは、乗り越えるものではないのかもしれません。
そうではなく、目の前の困難は、重い扉であり、がんばって押すことで、その扉は開く。こういうイメージの方が分かりやすいのかもしれません。
ここ数年、指導要領が変わるたびに、教科書が分厚くなり、勉強しづらい生徒には、勉強が本当に大変になってきました。しかし、その重い扉は、努力によって、いつか開く
子どもたちには、そうした希望を持ってもらいたいと思います。


涙腺が緩くなってきました。

el140095240_tp_v先日、友人と「年をとってきたせいか、涙腺が緩んできた」という話になりました。
私もずいぶんと涙腺が緩み、若い頃は何が楽しいのか分からなかったマラソン中継ですら、感動で涙することがしばしばあります。
ところで、はなまるゼミナールでは、年に3回(中3生は10回近く)面談をおこないますが、子どもたちとの面談でも、目が潤んでしまうことがあります。
はなゼミには、本当に学校生活がしづらい、勉強がしづらい生徒が多く通ってくれております。そして、そうした子どもたちは、本当に熱心に勉強しております。
がんばっているからこそ、自分の理解が深まっていることが実感できます。私から見ても、力がついてきたなあと心から思うことがしばしばあります。
しかし、それでもなかなかテストでは点数が上がらないことがあります。彼らの特性にテストという審査方法が合わないことも大きな原因だとおもいます。
そうした子どもたちと面談していますと、彼らの
「自分はがんばってきた。そして、その実感もある。しかし、思うように点数や偏差値が上がらない。悔しい。なんでやろ。。。」
という気持ちが痛いほど伝わってくるのです。
もちろん、点数が上がれば幸せになれるのか、偏差値が高いという学校に通うことが立派なことなのかというと、決してそうではありません。
しかし、そうは言っても、学校での成績が無視できるわけではありません。成績が悪ければ、居心地が悪くなりますし、自分を否定的にとらえたくもなることもあるでしょう。
彼らと面談していていつも言うのは、
「君の努力はよく分かっているし、力がついてきたというのも分かっている。そして、思うように点数が取れなくて悔しいだろうなあとも思う。でも、僕がもっとも素晴らしいなと思うのは、君に努力することが身についたこと。それが将来に必ず役に立つと思うよ。」
ということです。
こうした話をしながら、やはりつい涙腺が緩んできます。
しかし、努力は裏切らない。いつに日か、必ず花を咲かせる。これは事実だと思います。
悔しさもエネルギーに変えて、あきらめずに、そして明るく前を向いて歩いて欲しいと思っています。


「人の気持ちがよく分かる」生徒はよく伸びる

Heartful4月10日(金)から、新学年1学期授業が開始します。
新中学3年生は、彼らが小学5年生の時に、はなまるゼミナールを自宅で開校し、ホワイトボードと机やイス以外何もない塾に来てくれました。その彼らも、もう受験生。全員、志望校に合格できるよう、1年を切りましたが、がんばって勉強してもらおうと思っております。
ところで、寝屋川の個人塾友だちのブログが更新されました。
「素直な子は成績が上がると言うけれど」
素直な子は良く伸びる、しかしその上で、「人の気持ちが分かる」子どもではないかという記事です。
同僚や同業者の先生と話をしていると、「あるある」はよくあります。
もちろん、力のつく子は「素直」であるというのもそのうちの1つです。この特徴は、勉強だけではないと思います。野球やサッカーのコーチの話、ピアノや書道の先生の話、素直に聞いて努力する子どもが伸びるのは、当然のことだと思います。
そして、「人の気持ちがよく分かる」生徒は、自分のために言ってくれる人の気持ちが分かるため、その人の思いを裏切らないように努力する、だから力がつくというのです。
本当に、なるほどなという感じです。
こうした優しい気持ち、そして自分を愛してくれる者のために努力できる強い心、こうした姿勢は、「見えない学力」として伸ばしていき、将来の「生きる力に」必要なものであると強く思います。
はなまるゼミナールでも、こうした子どもたちを育てていきたいと思っております。

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夢を実現するために

以前、夢を実現するためには、努力しなければならない、そして努力するには我慢しないといけないという記事を書きました。

Playing young snow leopards定期テストが終わって、点数がふるわなかった生徒と話すと、よくこういうことを言う子がいます。

「がんばったのに」

がんばったのは、がんばったのでしょう。しかし、結果が出るようにがんばらないと、それは残念ながら、「がんばった」うちには入りません。2時間机の前に座っていても、教科書を眺めているだけでは、時間の無駄です。そんなことをするなら、10分でも教科書を音読した方がはるかに良いに決まっています。

さて、多くの子どもたちを教えていると、プロ野球の選手になる夢を持っている子どもやJリーガーになることが夢の子どもがおります。もちろん、夢を持つことは良いことですし、夢を叶えるためにがんばってもらいたいと思います。では、どの程度、「努力」すれば良いのでしょうか。

たとえば、2014年に、阪神タイガースに入団した新人選手は、6名いるようです。これは、1年に6名しか、タイガースの選手になれないということです。12球団になおすと、1年で7~80名ほどしか、プロ選手になれないことになります。

一方で、2014年の京都大学の入学者は、3024名おります。

子どもたちと話していると、「京大なんて、ムリやあ。どれほど勉強しないとあかんの~」なんて、彼らはいいます。しかし、プロ野球選手になることを思えば、40倍近くもなりやすいのです。同年の大阪大学入学者は、3434名いますので、京大か阪大のどちらかを目指すのであれば、プロ野球選手になるより80倍以上なりやすいと言えます。

京大や阪大が云々と言っているわけではありません。「入学するなんて、難しいだろう、ムリだろう」とつい思いがちな難関大学合格よりも、はるかに門戸が狭いのが、プロ選手の道だということを知ってもらいたいのです。

逆に言うと、もちろん単純には言えませんが、本当にプロのスポーツ選手を目指すのであれば、京大や阪大に合格するための努力よりも、100倍あるいはそれ以上の努力が必要だということです。そして、そうするためには、あらゆるものを我慢しないといけないでしょう。
夢を実現するためには、それ相応の努力(そして、そのために様々なことを切り捨てること)が必要だということです。そして、それは、「なりたい、なりたい」と言っているだけでは、やはり実現されません。

1学期も間もなく終わります。中間テストも期末テストも終わりました。
どれだけ努力できていなかったのか、どれだけ努力していたのか、自分の結果とがんばりを比べ、反省を活かして、夏休みの学習から2学期の学習、そして受験へとつなげて欲しいと思います。

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中3の志望校面談を終えて

UP Oblation第1回目の塾内模試を終え、その結果を元に、子どもたちと個人面談をおこないました。
まず、この模試の結果でうれしかったのは、それぞれにこの2年の間に、実力をつけてくれたということです。はなまるゼミナールでは、少人数クラス指導のため、はやければ小学4年で満席に、遅くても中1では満席になり、そのまま学年が上がっていきます。したがって、現中3生のほとんどは小6、あるいは中1から見ている子どもたちです。さらに、入塾試験で振り落とすことはありませんから、ありのままの学力で入塾してくれております。今回の模試の結果を見ると、彼らのこの2年間のがんばりが脳裏に浮かぶのです。

そして、次にうれしいことは、彼らが志望校を上げることを考えているということです。「○○高△△名合格!」と打ち出すような大手塾では、各教室責任者にノルマが与えられ、子どもたちを誘導するといった場面が、どこでもあると思います。

しかし、はなまるゼミナールでは、そういった「誘導」は一切おこないません。その中で、子どもたちが、自信をつけて志望校を上げてくるというのは大変うれしいことです。

以前の「秋からの特別講座」という記事で、特別講座について書きました。通常授業においては、1クラス10名以下の少人数でやっておりますが、さらに2つに分割した「特別講座」を開きます。そして、子どもたちと面談を終え、ますます「奈良・畝傍・郡山・平城・一条・奈良北」を目指す【新傾向・難問克服講座】、「生駒・登美ヶ丘・西ノ京」を目指す【必ず解きたい入試問題講座】の2講座を開くのが楽しみになってきました。
中学3年生は、志望校合格に向けて大いに努力してもらいたいですし、中1、2年生は、その姿から、いろいろと学んでもらいたいと思います。

 


努力で乗り越えるということ

School bus ただいま、中間テスト対策で子どもたちには、たくさんの問題を解いてもらっております。
新学期が始まって、授業をおこない、宿題を家でやってもらい、最後に小テストで確認します。すると、すいすい解く生徒となかなか厳しい生徒がおります。
当然のことながら、子どもたち1人ひとり個性がありますし、得意分野があります。漢字や単語を覚えるのが得意な子どもがいれば苦手な子どももいます。計算が得意な子どももいれば、どうしてもまちがえてしまう子どももいます。
授業では、そうした苦手な子どもたちを見ていると、「定期テストは大丈夫だろうか」とかなりヒヤヒヤします。
しかし、中間テスト目前になり、最終的な確認テストをさせていると、高得点を取れるようになっていたりします。そうした状況に遭遇すると、涙が浮かんできます。
先にも書きましたが、やはり能力的に厳しいなと思える生徒はおります。なかなかテストで高得点を取るのは、しんどいだろうなと思ったりします。
しかし、そんな生徒がテスト直前の確認テストで高得点が取れるようになったということは、それだけ努力をしたということに他なりません。スッと頭に入る生徒に比べても、1・5倍とか2倍とかの努力をしているのです。そして、実際に、そういう生徒は、家で深夜まで勉強していたり、自習室で黙々とがんばっていたり、できなかった問題を何度も何度も繰り返して解いていたりしています。
現在、ソフトバンクホークスの球団会長である王貞治さんは、次のようなことをいっておられます。

努力しても報われないことがあるだろうか。
たとえ結果に結びつかなくても、努力したということが必ずや生きてくるのではないだろうか。
それでも報われないとしたら、それはまだ、努力とはいえないのではないだろうか。

報われるまで努力し続けるというのは大変なことです。まして、スポーツ界や芸術界においては、努力が必ずしも報われるとは限らない厳しい世界だと思います。
しかし、勉強は違います。努力すれば、かならず報われます。単語が覚えなければ、人の2倍3倍努力すれば、かならず覚えられます。計算が間違うのであれば、何度も繰り返せば必ず正解するようになります。
そして、今、はなまるゼミナールに通ってくれている生徒の中にも、そうやって、人の2倍3倍努力して、能力的な厳しさを乗り越えてくれる生徒がいます。
「限界」を「限界」としてあきらめるのではなく、力強く乗り越えていってほしいと思います。

photo by: kevin dooley

人に迷惑をかけないこと

最近、アルバイトが店内でおこなったイタズラをTwitterなどに流し、それが問題になり、ひどい場合には店舗が閉鎖されるなどの問題が話題になっています。
イタズラをしてみたい、面白い写真を撮って、仲間内で楽しみたいという気持ちはたいへんよく分かります。しかし、店内でイタズラをして問題になった場合、オーナーや店長、あるいは同僚などにかける迷惑はたいへん大きなものになります。
はなまるゼミナールでは、入塾時に、子どもたちに「塾内ルールブック」を配り、確認します。そのルールの中で、私が子どもたちに訴えたい1つが「勉強している友人の邪魔をしない」ということです。
以前働いていた教場で、集中力のない子が、まじめにやっている子どもに物を投げたりして邪魔をすることがたまにありました。塾は、小学校や中学校と異なり、義務ではありませんし、自主的に勉強しに来るところです。そういう場で、勉強に集中せずに、さらに他人の勉強の邪魔をするなど、言語道断です。勉強する気がないのであれば、わざわざ月謝を払って、塾に来る必要などないと私は思います。
さらに積極的に言うなら、今自分は何のために勉強しているのか、将来どんな人間になるのか考えた上で、自分の成長のためにがんばってもらいたいと思います。そして、社会に貢献できる人間になってもらいたいと思います。
自分の成長のためという意味では、はなゼミでも少しずつではありますが、次に、同じミスをしないよう、家や自習室でまちがえたところやわかりにくいところをしっかりと復習できる生徒が増えております。そういう地道なことの積み重ねで、半年経ち、1年経ったとき、めざましい進歩を遂げている生徒もおります。
他人の邪魔をして自己の存在を確認するようなことではなく、自己を高めるために努力し社会から認められることで自己の存在が確認される、そんな人間になってもらいたいと思っております。


生駒中学、光明中学の中間テストが終わりました

Fotheringhay castle footprint from the past, where a Queen was beheaded今日で、生駒中学、光明中学の中間テストが終わりです。
今年入学した中学1年生を始め、本当によく勉強してくれました。
テスト1週間前からは、毎日4時過ぎから10時まで、自主的に自習室でずっと勉強している生徒もいて、本当に頼もしい限りです。テスト直前の土日には、複数名のチューターも参加し、両日合わせて10時間以上の対策授業もおこないました。はなまるゼミナールでは、普段は、1クラス10名以下の少人数クラスで授業をおこなっていますが、土日のテスト対策では、生徒5~6名に1人の割合でチューターを配置し、よりきめ細かく対策をおこなっております。
この1週間、自習室は、塾生の6割くらいの生徒が常に勉強している状態でした。この努力をずっとずっと続けてもらいたいと思います。
さて、努力ですが、本当ならば、報われる方がいいに決まっていますし、もっと言うと、努力は報われるように努力すべきです。
しかし、なかなかそんなにうまくはいきません。もちろん、中学校程度の学習であれば、比較的努力は報われやすいとは思いますが、努力に比例して点数が取れるかというと、そう甘くはありません。
私は、子どもたちには努力しなさいとは言います。しかし、その結果がついてきていなくても、叱ることはありません。点数が悪いことで、一番ショックなのは、当の本人であって、そこでまたダメ出しする必要はないと思っております。
子どもたちがこれから、大人になっていく上で何が大切かというと、あきらめずに努力することであって、一瞬の結果(子どもの人生と考えると、ほんの一瞬と思いますが)だけをとらえて、一喜一憂することではないと考えます。スポーツ界でも芸術の世界でも、努力すれば誰もが一流の選手やアーティストになれるわけではありません。仕事にしても、そうです。がんばったから、いい仕事ができて、評価されるとは限りません。しかし、それでも、努力はし続けないといけません。
このテストに向けて、子どもたちの多くは、本当によく勉強していました。かなりの部分で報われることはあると思います。しかし、たとえ報われなくても、次のテストに向けて、努力することを促していきたいと思います。
そのようにしながら、一歩一歩、成長し、世の中を渡っていけるようたくましく育ってもらいたいと思います。


努力の結晶の通知表

Electric Slide今、はなまるゼミナールでは、冬期講習会をおこなっております。

はなゼミの講習会は、基本的に復習しかいたしません。「基本の学習は学校でおこなうこと」を柱にしているため、塾で先に進み、学校の授業をおろそかにしてしまわないようにするためです。

さて、終業式が終わり、小学生が通知表の報告をしてくれます。

「先生、『よくできた』が増えた!」「『よくできた』が○○個になった!」

と、評価が上がったことを報告してくれます。そして、私も一緒に喜びます。

しかし、実は、私は子どもたちの評価が上がったことを喜んでいるのではありません。子どもたちががんばって評価が上がったと喜んでいる姿を喜んでいます。

確かに、『よくできた』という評価が増えることはいいことであると思います。しかし、逆に言えば、それだけのことです。ですので、子どもたちは『よくできた』という評価の数を報告してくれるのですが、子どもたちに『よくできた』の数を増やしなさいとは言ったことはありません。

子どもたち自身ががんばって、評価され、それが喜びとなる、その過程こそがすばらしいと思っております。

長い人生の中で、いくらがんばっても評価されない、あるいは結果が出ないことなど、山ほどあります。まず、最初に経験するのは、受験でしょう。

ソロバンや英検、漢検などは、がんばって力がつけば必ず「合格」できます。しかし、受験はちがいます。定員がある以上、自分より優秀な人間が多くいれば、自分がいくらがんばっても「合格」できるとは限らないのです。

今年はオリンピックがありましたが、オリンピックも然りです。日本で一番だからといって、オリンピックでも一番になるとは限りません。

それでは、それまでの努力は意味が無いのか。

私は決してそうは思いません。しっかりと努力していれば、かならずどこかでその成果が現れるはずです。いや、現れるような人生を送るべきなのです。

先日も、ニュースで柔道のメダリストが破廉恥な事件で逮捕され、その判決が出ると報道されておりましたが、様々なものを我慢して柔道を続けてきて、メダルを取って終わりではなく、その努力の過程、メダルを取った経験を人生に生かすことができなければ、努力もメダルもまさに水泡に帰すると言わざるを得ません。

受験はある種、先にも書いたように必ず報われるとは限らない厳しい世界ですが、今やっている学習が、子どもたちの人生において、何があってもたくましく生きていける堅い基礎となることを願ってやみません。

 

photo by: kretyen

努力は報われる

私は、幼少の頃から、野球はほとんど見ませんでした。変わり者の父の方針で、「大勢の人が夢中になっているものに、興味を持っても仕方ない」という理由で、見せてもらえなかったのです。ですので、近所の子どもたちと空き地で野球をしたりすると、ルールが分からないということがしばしばありました。それくらい、野球は知らなかったのです。

そんな私でも、プロ野球選手の王貞治さんの名前はよく知っております。通算のホームラン数868本は、今なおプロ野球界の記録として輝いているわけですから、私みたいなものでも知っていて当然なのかもしれません。
そんな、王貞治さんが、こんな言葉を言っておられるようです。
努力は必ず報われる。もし報われない努力があるのならば、それはまだ努力と呼べない
「努力は必ず報われる」~~こういうことを言って、本当に「必ず」報われるのかと聞き返されたら、やはり躊躇すると思います。成功のためには、自分の努力以外にも、様々な要素があるからです。
しかし、そうした外的な様々な要素も含めて、「努力」によってそれらに打ち勝つ、そこまで「努力」すれば報われると言われれば、説得力があります。
テニスの松岡修造さんも似たようなことを言っておられます。
100回叩くと壊れる壁があったとする。でもみんな何回叩けば壊れるかわからないから、90回まで来ていても途中であきらめてしまう

自分のこれまでの半生を振り返ってみると、とてもよく分かります。当時は、それなりに「努力」していたつもりなんですが、今から考えてみると、やはり「70回、あるいは80回」くらい壁を叩いた時点であきらめてしまっているんですね。結果が出るまで、努力し切れていなかった自分がいるわけです。

王さんにしても、松岡さんにしても、成功するところまで努力してこられた、だから、結果が出るまで努力し続ける大切さを言っておられるのではないかと思います。
先にも書きましたが、「結果」は自分の努力だけで100%表れるものではありません。時には、運の善し悪しなどもあろうかと思います。「100回壁を叩いた」からといって、だれもが王貞治や松岡修造、あるいはイチローのようになれるわけでは無いと思います。つまり、努力する者が「必ず」成功するとは限りません。しかし、言えることはあります。
成功する者は必ず努力している。

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