勉強はなぜつらいのだろう

勉強の始まりはなんでしょうか。私は、

文章を字句通りにスラスラと読めること

だと思います。

はなまるゼミナールでは、国語の本文は音読を基本としております。スラスラ読める子もいれば、つまりつまり読む子もおります。それは良いのですが、聞いているだけでは「スラスラ」読めているようでも、実は「自分勝手な」読み方、つまり読み違いをしている子どもが少なからずおります。「読み違い」をしていれば、文章を「スラスラ」読んでるようでも、内容はまったく理解できてはいません

しかし、実際に、子どもたちに音読してもらい、きちっと字句通りに読めているかチェックしながら授業を進めていくと、数ヶ月語には、字句通りに読めていくようになります。時間も手間もかかりますが、やはりこれが基本だと思います。文章が字句通りに読めないと、国語はおろか、算数だって、理科だって、社会だって、本当の意味で理解はできません。もちろん、好きな教科であれば、「何となく分かる」ということはあります。しかし、それでは「真の力」とは言えません。

書いてあることが分からないと、勉強も苦痛です。いくら見直しても、間違えのやり直しをしても答えが合いません。ますます嫌になります。内容が分かっていないのですから、答えが分からなくて当然です。ですが、文章がスラスラと字句通りに読めてくると、勉強がかなり楽になるのです。

子どもがはじめて、コマ無しの自転車に乗ったときを思い出してみるとわかりやすいかも知れません。頭の中は倒れるのではないかと恐怖でいっぱいになり、手には余計な力は入り、ガチガチになったりします。しかし、なれると、まったくそんなことは気にせずに、楽に自転車をこぎます。

勉強もやはり同じことではないかと思います。はじめは、いろいろと考えたり、余計な力が入って疲れるかも知れませんが、一度なれてくると、そんなにも辛いものではありません。もちろん、自転車に乗って、さっそうと外に出かけるのと比べると、勉強はそんなに楽しいことばかりではありません。しかし、コツコツと練習をし続ければ、やがてさっそうと勉強の世界に入り込めるようになると思います。そうなっていくような学習の指導を目指しています。

photo by: billaday

【とある校長先生の言葉】今日の5分を惜しむと明日にはたいへんな困難が待つ

Touched by the Sky
Creative Commons License photo credit: Reckless Dream Photography

今日の5分を惜しむとが明日からの困難な数十時間になる

こういうことは、よくあることです。
たとえば、勉強していて分からないところがあった。本当は質問して解決した方がいいのに、つい質問しなかった。本当は、そのときに質問して解決しておけば良かったものの、「まあ、いいか」とやめてしまうと、その後、大変な困難が待ち構えることになります。いわゆる「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」というものです。
はなゼミでは、子どもたちに
「宿題はその日のうち、遅くても次の日にはやっておきなさい」
と指導しております。このルールを守ってくれる、あるいは守ろうとしてくれる子は比較的早く成績が上がります。実は、しごく当然なことです。
子どもたちには、この理由を次のように説明します。
僕たちの脳は、忘れるようにできている。すべて覚えていたら、大変やろ。道を歩いていて、「赤い服の人とすれ違った、アイスの袋が落ちていた、青い車が通ったなどなど」、目の前に見えたものをすべて覚えていたら、頭がパンクしてしまう。だから、僕たちの脳はすぐ忘れちゃう。でも、勉強した内容もすぐに忘れちゃったら、もったいないから、今日帰ったら、宿題をする。今日無理だったら、明日には終わらせてしまい、忘れないうちに復習することが大切なんだ

というのです。繰り返しますが、守ってくれる子は「習ったことの記憶の持ち」がいいのですが、忘れないうちに復習しているわけですから、成績が良くなって当然です。

「今日、宿題をしないといけないけれどめんどくさいな。明日でもいいか」と、今日の時間を惜しんでしまうと、せっかく習ったことを忘れてしまい、こんどするときにはずいぶん忘れており、また復習しなければならなくなったりします。また下手をすると、全く忘れてしまい「何これ! 難しい」なんてことにもなりかねません。

つまり、今日しないといけないことをサボってしまうと、実は後には大変に困ったことが待ち構えているのです。後で待ち構える困難を避けるためにも、今日やっておくべきことはやっておくという習慣を付けていきたいものです。


一夜漬けはもったいない!

- Despair
Creative Commons License photo credit: Juliana Coutinho

 

子どもたちには、試験の日は分かっているのだから計画的に勉強しなさいと繰り返し言います。しかし、それでもテスト前になって慌てて、午前1時や2時に勉強したりする生徒はおります。

しかし、当然のことながら、「一夜漬け」したり「徹夜」したりする学習は、とても褒められたものではありません。学習の本質から言うと、それは「学習ではない」と言い切っても良いと思います。

人が記憶していく過程は、段階を踏むそうです。まず、「短期記憶」し、その後、必要な情報のみを「長期記憶」するそうです。1日15時間ほど、起きていれば、様々なものを見たり、聞いたりします。そのほとんどをその瞬間には覚えています。これが短期記憶です。しかし、それらのほとんどは、次の瞬間には忘れています。いちいち覚えていたら大変です。道を歩いていて、目に前にいる人の人相や服装、走っている車や町の様子、見ても自分に関係のないことであれば自動的に忘れていきます。全部頭に入ってきたら、パンクしてしまうでしょう。

つまり、基本的に「短期記憶」は忘れていくのが当然なのです。しかし、学習は自分のこれからの人生を決めていくものですから、忘れてしまうと大変もったいないことになります。自分をつくっていく学習内容は、しっかり覚えていて、将来にわたって役立てなければなりませ。そのためには、いったん覚えた「短期記憶」を、なかなか忘れない「長期記憶」にしていかなければなりません。

「長期記憶」にするために大切なことはいくつかあります。

まずは、その学習が自分にとって必要なことであると思うということです。人は、関心のないことはどんどん忘れていきますから、学習については強く関心を持つと言うことが最も大切だと思います。「自分の将来にとって必要である」とか「夢を実現するために必要」とか、こじつけてでも学習が自分にとって必要であると思い込むことが重要なことです。

次に、重要なことは充分な睡眠です。夢を見ている最中は、記憶を整理しているそうですが、しっかりと睡眠を取ることにより、短期的な記憶が長期的な記憶に変換されます。つまり、忘れにくくなります。もちろん、自分にとって「必要な記憶」だけが、整理されて残るわけですから、勉強に意義を見いださずに寝ているだけで成績が上がるわけはありません。あくまで、「自分にとって勉強すること(成績を上げること)は必要なんだ」と心底思っていることが前提です。

さらに、反復することで、その記憶はますます強固なものになっていきます。ただ、反復しても〈短期記憶〉→〈忘却〉→〈短期記憶〉→〈忘却〉→…と繰り返すだけで、「こんなに努力しているのに、なんで覚えられないのだろう」ということになってしまいます。大切なことはあくまでも「学習の意義」「学習の目的」を自分なりに見いだすことで、反復練習がより効果を発揮していきます。

だから、「一夜漬け」や「徹夜」で、「昨日は3時間しか寝てない、こんなに勉強した」なんていうのは、「すぐに忘れるための努力」であり、自慢にもならないばかりか、まったく無駄な努力としかいいようがありません。子どもたちには、効率よく学習し、将来の自分をコツコツと作っていってもらいたいと思います。


愚者は賢者に学ばず、賢者は愚者にも学ぶ

DSC_3905
Creative Commons License photo credit: phil41dean

 

 

イギリスのことわざにこんな言葉があるそうです。

愚者は賢者に学ばず、賢者は愚者にも学ぶ。

これまで20年あまり、本当に多くの子どもたちと出会ってきました。20代に教えた子どもの中には、芸能界で活躍している子もいたりします。
私は、授業中に「くだらない」話をしたりするのも結構好きなのですが、子どもたちを見ていると、その受け止め方に大きな違いがあります。
もっとも多いのは、(1)単純に笑ってくれる子ですね。そして、(2)真剣な顔をして「くだらない」話を聞いてくれる子(3)まったく相手にせずムシする子の大体3グループに分けられます。
第1グループの子どもたちは本当に子どもらしく、笑ってくれるので、こちらもたいへんにうれしくなります。
第2グループの子どもは、今にも「くだらない」話をメモしそうな勢いで真剣に聞いてくれます。もちろん、こちらも授業の流れとはまったく関係なく「くだらない」話をしているわけではありません。実は、流れの中で、意図してやっているわけですから、その意図を見ぬこうぐらいの迫力で聞いてくれるのはうれしい限りです。ただ、できればいっしょに笑って欲しいのが本音ですが。
さて、問題は第3グループです。こうした子どもは、あまり成績が伸びた記憶がありません。クールなんですね。
私は、勉強もできれば、楽しめたらと思っております。一生懸命にがんばって分かるようになってうれしいというのは正当ですが、「緊張と緩和」の授業で「緩和」の部分をもっとフランクに楽しめたら、勉強はますます楽しくなるんじゃないかと思っています。
「くだらない」話は、それはそれで楽しんでもらい、5年後、10年後、あるいは20年経ったときにふと「あっ、あの時のしょーもない話はこんな意味があったのか!」なんて思い出してくれれば、本当に教師冥利に尽きます。


成果を上げる人は最も重要なことから始めしかも一つに集中する~~ドラッカー

big band practice
Creative Commons License photo credit: woodleywonderworks

 

 

算数、数学を指導する上で、もっとも注意している1つが、計算の仕方です。

計算間違いが多くて、なかなか点数が上がらない子どもの大多数は、2つ3つと手順を踏まないといけないところをとばして、一度にやってしまい、ミスを生じてしまうというパターンです。たとえば、方程式を解くとき、本来なら、左辺に文字の項を右辺に数字の項を集め、それぞれを計算し、最後に「x=○○」と出すところを、移行とxの係数を払うことを一度にやってしまい、結局計算が合わないなどです。

また、計算をしている最中に、集中力が途切れてしまい、別のことを考え、途中で数字などがおかしくなってしまうこと。これもまた、計算ミスの多い子によく見られます。

子どもたちに、いつも言うのは、

計算し始めたら、他のことは考えずに集中して一気に解く!

同時に2つ、3つのことをせずに、1つひとつ、ちゃんと計算する!

めんどくさがらずに途中式をちゃんと書いて正解を出す!

ということです。当たり前のことですが、やはり大切なことだと思っています。

そんなとき、ドラッガーのこんな言葉に出会いました。

「成果をあげる秘訣を一つだけあげるならば、それは集中である。成果をあげる人は最も重要なことから始め、しかも一度に一つのことしかしない」(『プロフェッショナルの条件』)

まさに、常日頃、子どもたちに言っているとおりです。やはり成果を上げるためには、自分の力を集中すること、そして最も重要なことだた1つ力を注ぐことなんですね。

また、こんなことも言っています。

「成果をあげる人は、多くのことをなさなければならないこと、しかも成果をあげなければならないことを知っている。したがって自らの時間とエネルギー、組織の時間とエネルギーを一つのことに集中する。最も重要なことを最初に行うべく集中する」(『プロフェッショナルの条件』)

多くのことをしなければならないことも知っているが、最も重要なこと1つに集中することが成果を上げる人であると。


文章をつくる

From a distance the River cherishes
Creative Commons License photo credit: juliejordanscott

 

 

この夏、子どもたちには文章読解能力と文章作成能力をつけてもらいたいと思っております。

さて、文章作成ですが、文を書くのがきらいな子どもにどうすれば、文を書いてもらうことができるのか。きらいなものをさせることほど、難しいことはありません。

はなゼミでは、まず「箇条書き」短文を書いてもらっています。文章書きなさいと言われると、いやな顔をする子でも、箇条書きで短文と言われるとわりとサッと書いてくれます。次に、それを文章化してもらいます。こうした手順を踏むとけっこう書いてくれます。

つぎに、題材です。

小学生に、日記を書かせると、「何を書いていいか分からない」ということがあります。「昨日、何をしたの?」と聞いても、「普通」と答え、進まないこともままあります。日常の幸せはささやかであっても、当たり前の生活にあると思っていますが、それでもやはりその当たり前の生活をしっかり表現する必要があります。

この夏のはなゼミの読解の授業第1弾では、子どもたちに絵(普通の絵からちょっと意味不明の絵まで)を見せて、それを文章で表現する練習をしました。結構盛り上がりながら、いろいろ書いてくれました。文を書くのが好きな子はもちろんのこと、書くのが嫌いな子でさえ、10行くらい書いてくれ、子どもたちが本来持っている作文能力の大きさを実感いたしました。

さて、はなゼミに通わせていただいている保護者の方は、もし良ければ、子どもに箇条書き作文を見せてもらってください。どんなことをしながら、文章作成の練習をおこなっているのか分かっていただけると思います。


学ぶことは、権利であり義務である

LA Orienteering  Course
Creative Commons License photo credit: vastateparksstaff

 

7月13日付けの『毎日新聞』で、奈良県夜間中学生徒会総会が開かれたという記事がありました。

私は、学ぶということには2つの側面があると思っています。

1つは権利としての側面です。日本国憲法を持ち出すまでもなく、教育を受けることができるというのは万人に認められた権利です。教育を受けなければ見えてこなかったものも、教育を受ければ見えてくるということがあります。そうすると、自分の人生もより可能性を開くことになります。お父さんやお母さん、あるいは学校の先生から星座の話を聞いて、夜空にうかび星が身近に感じることはけっこうあることではないでしょうか。また、逆に教育があるからこそ、人にだまされたりして悲しい思いをすることも少なくなるのではないでしょうか。そして、何よりも最低限の教育を受け、社会の一員として存在していくということがもっとも大きな意味であるように思います。

2つめに、義務としての側面です。子どもは、将来、社会に出て活躍していくために、義務教育を受けるわけですが、大人にも学ぶ義務があるように思います。それは、自分がより幸せになるために学ぶ、次世代の子どもによい社会を残していくために学ぶ、さらによい社会を建設していくために学ぶという側面です。学ぶことで、いろいろ発見することができ、人生もより楽しいものになるでしょう。

私は、子どもたちには、僕たちは死ぬまで学び続けるんだよといいます。学ぶということを「学校」に縮めてしまうと、たとえば高校入試がそれ自体が目的化してしまったりします。中3生と受験勉強をがんばり、合格したのち、「高校に入ってもがんばるんだよ」なんていうと、「え~、まだ勉強するの」なんていう生徒が時々います。しかし、当然のことですが、入試はひとつの区切りであり、目的ではありません。とりわけても、高校中退の割合が2%を超えると聞くと、やはり、高校に入学することが目的ではなく、そこから先を見据えていくことがとても大切であると思います。だから、子どもたちにははじめから、死ぬまで勉強なんだといっているわけです。

さて、何らかの事情が、困難な状況があって、学べなかった人たちが、「学びたい」と夜間中学校で学ぶ。すばらしいことであると思います。近年、夜間中学校の役割は終えた、あるいはきわめて小さくなってきたという風潮があるように思えます。しかし、私はそうは思いません。現代社会は、物質的にはとても豊かになっている反面、人間社会はより複雑になり、学べなかった人は存在し続けると思います。それを「教育を受けなかった」個人の責任として投げ捨てるのではなく、社会を建設する一員として包み込める「大人の義務教育」として、夜間中学校は必要だと思うわけです。

大人も子どもも、社会で暮らし、人との関わりの中で生きている以上、教育を受けることはなくてはならないことですし、だれもその権利を奪うことはできないと思っております。


栄光の勝利に向けて


はなゼミでは、中間テスト対策を先週から始めています。
そこで、中学生にはなまるメッセージを送りました。
“危険もなしに勝つというのは、栄光を伴わない勝利だ”

ピエール・コルネイユ(仏、劇作家)
小学校や中学校くらいのレベルであれば、少し“勘”のいい子であれば、あまり勉強しなくても、けっこうテストができたりします。もちろん、テストの点数がいいこと自体が悪いことではありません。それは、基本的な内容が理解できている証拠ですから、むしろいいことでしょう。
でも、はなゼミに通ってくれる子どもたちには、しっかりと努力した上で、いい点を取ってもらいたいと思っております。きちんと努力して、結果がそれについてきたなら、それこそ大いに賞賛されるべき“栄光の勝利”だといえると思います。

子どもたちには、来る中間テストに向けて、自らがたてた計画表通りに学習を進め、しっかりと結果を出し、成功体験を積み重ねてもらいたいです。

 


勉強に励む美しさ

Graham at Work
Creative Commons License photo credit: WellspringCS

小学生,中学生の間にしっかりとした国語力をつけることは,とても大切です。

それは,英語を勉強する上でも,算数や数学を勉強する上でも,理科でも,社会でも大切なことです。

書いてある日本語が正確に,そして主観でなく客観的に理解することができなければ,どのような教科であっても学習することはできません。いや,教科学習だけではありません。サッカーを習っていて,コーチからのアドバイスがしっかりと言葉通りに理解できなければ,上達しないでしょう。

はなゼミでは,子どもたちにできるだけ多くの文章を読んでもらいたいと思っており,授業でもたくさんの文を読んでもらっています。1コマ55分の授業で,5つ以上は読んでいるのではないでしょうか。そのことにより,文章読解の力だけでなく,いろいろな知識や感受性なども豊かにしてほしいと願っているからです。

さて,先日,小学5年生の接続語の学習に,高田敏子さんの「詩の世界」という本の中の一節を読みました。

テーマは「美しさの意味」であり,何をもって,私たちは美しいと感じるのかということが書かれてありました。

その中で,高田さんは,「働く人を美しい」とし,「どんなにどろんこでも,汗みどろでも働く姿は美しい」といいます。それは,働くという行為が役立つ使命を果たすことであり,どろんこや汗がそれにつながっているので,美しく見えるのだというのです。

私は,生徒に「使命」の意味とそれを果たす美しさについて,お父さんが一生懸命仕事をしているのは,家族や子どもたちを守り育てるためであり,お母さんがご飯をつくってくれたり掃除や洗濯をしてくれたりするのも,そういう使命を果たしているから,美しいのだよと説明しましたが,実は,心では少し違うことも考えていました。

それは,この20年の塾講師生活の中で,一生懸命に勉強する子どもたちを見ていると,やはり「美しいなあ」と感じて,感動してしまうことを考えていたのでした。子どもたちが一生懸命に勉強する姿になぜ感動するのか,それは,高田さんの言葉を借りると,使命を果たしている姿に感動を覚えているのでしょう。

親からの期待もあるかもしれません,または自分の夢や希望をかなえるためにがんばっているのかもしれません,いずれにせよ,しっかりと努力をし,学力を身につけ,社会に貢献している人間へと成長するために訓練であることは間違いないのです。当の子どもたちは,感じていないと思いますが,こうした子どもたちが社会に役立つ“人としての”使命を果たす姿を,心のどこかで想像し感動していたのかもしれません。

 


せっかくのゴールデンウィーク

ゴールデンウィークが始まります。

ご家族で,旅行やお出かけなど,おきまりでしょうか。

さて,せっかくのゴールデンウィークなので,苦手分野の克服を提案します。もちろん、忙しいお父さんやお母さんとのふれあう時間の確保が前提ですが。

1分野で,かまいません。どうしても苦手だという分野をこのゴールデンウィークにやっておきたいものです。

そのやり方ですが,どうしてもよく分からない,まったく分からないものを克服する上で大切なことは,

「習うより慣れろ」

ということです。

もちろん,理屈や論理が分かるようになれば,おもしろくなってきますし,応用にも強くなれます。しかし,どうしても苦手なものをはじめから,理屈で攻めてもやはり苦痛は増すばかりです。だから,最初は、ひたすら,慣れていく作業を行います。

一番良いのが,教科書や問題集の「例題」を写していくこと。ただ,教科書や問題集の例題なんて,そう数がありませんので,お困りでしたら,ご相談いただければ,提供させていただきます。どんどん,塾を利用していただければと思います。

また,このとき,かならず守ってほしいのが,時間です。だらだらと長時間やっても,効果は上がるどころか下がる場合が多いと思います。かならず時間を区切ることが大切です。できれば,1回の時間は40分とか60分とか短めに区切り,それを2回,3回と繰り返すのがよいと思います。

3時間勉強すると決めても(その決意はすばらしいことですが),一度に3時間もやっても,たぶんその半分はボーッとしているか,違うことを考えていることが多いと思います。そうではなく,たとえば,50分やっては10分休憩するという感じで3回繰り返せば,3時間の学習時間になります。

そして,時間を計るのは,時計で計るのではなく,できればキッチンタイマーか何かではかるのがよいでしょう。3時から3時50分まで勉強だと決めても,やはり集中できなかったりしますが,キッチンタイマーの数字が減っていくのを見れば,集中しないといけない雰囲気になってきます。それに,入試においては,時間内にしっかりと解いてしまうことも重要ですから,すこし緊張しながら勉強するのも良いことではないでしょうか。

短時間で,できるだけ効果を上げて,効率よく学習する習慣を自分なりに身につけることができれば,学校での試験勉強だけでなく,将来においてもかならず役に立つと思います。