塾をサボる子について

Troy Historic Village
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以前の記事で、塾に遅刻する子、サボる子というのを書いたのですが、「塾をサボる」というキーワードで多くの方が検索されて、このブログを訪問してくださっているのに、大変驚いています。

保護者の方か、塾関係の方か分かりませんが、そんなに「塾をサボる子」が多いのでしょうか。

私は、基本的に「子どもは好奇心のかたまり」であると思っております。だから、学習を通じて、子どもたちが好奇心を刺激されれば、塾通いがイヤになることは基本あり得ないと思っております。また、子どもは大人と違い人間の本質がそのまま現れておりますから、その場所に自分の居場所があると感じたなら、いやがるどころか喜んできてくれると思っております。

では、なぜ、子どもが塾をサボるのか。それは単純に「面白くない」からでしょう。そして、自分が認められておらず「自分の居場所」を感じることができないからだと思います。

検索しておられる方が保護者でお困りなら、塾と子どもの相性が合っていないといわざるを得ません。それは塾の授業が難しく「面白くない」のか、その塾の講師やルールに合わなくて「面白くない」のか分かりませんが、その子にとって塾での学習が自分にとってはまったく「無味」なものとしか思えないのでしょう。塾の授業が自分の好奇心を刺激しないのであれば、その場にいる必要もありません。また、そうであるなら、親の方も無理にそんな塾に通わせる必要もないかもしれません。勉強は決して楽なことではありませんが、分かるようになると面白くなるものですし、その感覚が成長しても子どもにとって大変重要な経験になるのではないでしょうか。大人なら、自分がこの場にいる意味などを理解し我慢することができるかもしれませんが、子どもの年齢が下がれば下がるほど、場にいる意味を理解などできないでしょう。

検索してくれたどり着いてくれた方が塾の先生なら、これはいくらでも工夫ができる問題であると思います。授業が難しいと感じているなら、その子に分かるようにすればいいだけですし、あるいは補習をしてもいいでしょう。塾のルールになじめない子がいるなら、なじめるように「見える化」したり「ゲーム化」したりして、その子に入っていけるようにすればいいだけです。塾は公教育とは違い、親御さんや子どもからすれば、いくらでも「選ぶことができる」訳ですから、それくらいの工夫は当然すべきです。もちろん、塾の方針をねじ曲げたり、妥協する必要はないと思います。子どもが塾の方針を受け入れやすいように、敷居を下げるなど工夫してあげれば、子どもたちは柔軟性がありますから、すっと入ってくるでしょう。

いずれにせよ、塾に通うのは子どもであり、通う本人が「いやいや通う」というのは辛いことです。ただでさえ、学習というのは忍耐や困難がつきまといます。楽して勉強ができるようになるなどあり得ません。であれば、少なくとも子どもが通いたいと思える塾に通う、あるいはそういう塾にしていくことは当然なのではないでしょうか。


【とある校長先生の言葉】自分に必要のないところにとどまる意味はない

Drawing competition for school kids
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最近、SNSで小学校の校長先生に知り合うことができました。その先生の言葉にいろいろ考えさせられています。

子どもが来ない、あるいは脱走する。なぜか? 答えは至極簡単なんだ。面白くないのだ。必要のないところに留まる意味が無いと、頭というよりも体がそう判断している。

「学校が嫌」「塾が嫌」~~子どもが自分にとってそこにいる必要がないと体が判断する、本当にそうだと思います。

かつての職場で教室長になったときの頃です。

塾に来るのをとてもいやがる小学5年生がいました。私は、そのことをはじめは知りませんでした。ただ、ダラダラと遅れてくるんですね。しかし、私が室長になり彼の算数担当になると、だんだん遅刻の時間が短くなってきたのです。その時に、私の前からいた事務員さんが「実は、遅刻するのが治らなかったのですよ」と教えてくれたのです。きっと、自分の塾での「場」ができたのだと思います。

その数週間後、彼の母親が来て、「ありがとうございます! これで、中学受験用の学習ができます」と喜んでいただき、中学受験塾へ転塾しました。私は、事務員さんといつ退塾してもおかしくない生徒がちゃんと来るようになってくれたことを喜んでいたのですが、なんのことはない、むしろ感謝されながら退塾されたのです。

数年後、電車の中で、とある私立中学の制服を着た彼を見ました。「無事、中学受験が成功したんだな」と苦い思い出とともに、ほっとした気持ちになったことを今でも良く覚えています。

話がそれましたが、学校でも塾でも、子どもにとってそこが自分の「居場所」かどうかは、きっと体ですぐに感じることでしょう。はなゼミは、お互い手を伸ばせば当たってしまうほどの、ほんとうに小さな塾ですから、私の子どもたちへの愛情、それは個々の個性にたいする愛情だけでなく未来への希望を持つ子ども一般への愛情でもあるのですが、そうしたものを感じてくれていると思っております。

だから、通ってくれている子どもたちは、きっと例外なく、はなゼミを「自分の居場所」と感じてくれていると思っております。成績が伸びてきた子もおりますし、残念ながらまだ伸ばせてない子もおりますが、「安心」して学んでくれていると思っております。ただ、お金をいただいている学習塾である以上、「安心の学習場」の提供だけでなく、しっかりと学力も付けなければなりません。成績が伸び悩んでいる生徒に対しては知恵を絞りなんとか基礎学力をつけてもらうため、努力をしていきたいと思っております。


塾に遅刻する子、サボる子

Fourth-graders attending class
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研鑽の一環として、多くの教師や塾経営者のメールマガジンを購読しています。いろいろと工夫をされていたり、いろいろなご苦労を読むと本当に勉強になります。

さて、ある個人塾の先生のメールマガジンで、ここ数年、生徒の様子が変わってきたというのがありました。

あいさつはしないし、遅刻を平気でしてくる、授業中でも“休み時間のように”大騒ぎする、休み時間になるとコンビニに出て行き授業が始まるのも気にせず食べ始める、、、

これが事実なら、本当に大変なことです。
そして、この先生はこの原因を「ゆとり教育と平成不況」「競争がない、叱らない、自由放任」にあると見ておられます。
これだけでは、言葉の羅列だけなので、正確な意味は分かりませんが、私はこうした立場はとりません。
「なぜ、子どもたちが平気で遅刻するのか」「なぜ、授業中大騒ぎするのか」「なぜ、休み時間に教室から抜け出すのか」「なぜ、帰ってきて授業に入れないのか」を、外部に原因を見いだすのではなく、内部つまり塾=自分に原因を見いださないと根本的に解決しないと考えるからです。
私は、学生時代に塾講師をはじめてもうかれこれ20年以上やっております。ここ10年くらいは、遅刻や無断欠席しても、怒ることをあまりしなくなりました。なぜなら、子どもたちが塾で勉強することに意味を見いだし、授業を受けて自分の役に立つと思えば、遅刻や無断欠席などしないんです。「この先生の授業を聞き逃したら、もったいない!」と思わせる授業をすれば、よっぽど出ない限り休みません。むしろ、こちらが「体調大丈夫? 休んだ方がいいんじゃない?」と言わなければならなくなります。
つまり、塾側が子どもたちに本当にいいものを提供していれば、子どもたちは注意しなくても進んで塾に来るようになるのです。
はなまるゼミナールでは、1コマ55分という短い時間で区切りおこなっています。他塾から移ってきた小学生などは、この55分という時間がとても短く感じるらしく、いつも「ええ~、もう終わりなん! もうちょっとやろうよ」って言ってくれます。もちろん、塾の初めての子にとっては55分は学校の授業より長いはずですが、学校より短いと言ってくれます。
時間というのは不思議なもので、面白ければ早く過ぎるし、面白くなければひたすら長いんですね。
塾の授業が面白ければ、子どもたちはどんどん勉強してくれます、どんどん勉強すれば成績も良くなり気分もいい、するとますます勉強するようになるといういい循環が生まれます。
すると、塾に対する信頼が生まれ、帰属意識が芽生えてきます。いい塾には、熱心なファンになる生徒がいます。あいさつや礼儀なども、こうしたところから生まれてくるのではないでしょうか。もちろん、あいさつや礼儀を教えるということも大切ですが、塾やその塾の先生にそうしようと思う気持ちはもっと大切です。自分が、その塾の一員であることを誇れる子どもは、自然と塾やその先生に「あいさつや礼儀」が守っていけるのではないかと考えます。

子どもたちの学習姿勢や挨拶や礼儀などは、まさに塾や教師を表す「鏡」ではないかと思います。