子どもの可能性を追求する

以前の記事で、かつて私が学習障害の家庭教師をした経験について書きました。幼少の頃に、「大きくなっても言葉も話せない」と医者に診断された子どもの家庭教師を中3~高3までおこない、のちに薬剤師になったことです。
私は常々、このときの経験を反芻いたします。今でも、私の指導原理の「教本」ともなる経験だからです。
彼の母親は、医者に「言葉すら話せるようにならない」と診断されながらも、希望を失わず、可能性を追求し、さまざまな教材や教具を使って、我が子に言葉を教えていきます。私は、彼の母親からそういった苦労話を涙抜きに聞くことはできませんでした。本当に、大変な苦労をされていました。しかし、今、思うのは、彼の母親が常に「我が子の自立」を見据えて努力されていたことです。
彼が幼少の頃、「言葉の獲得」に大変ご尽力なさっておられたのですが、私が家庭教師として雇われたときには、「この子が大人になったときに困らないよう、医歯薬系の大学に入れて、手に技術を付けて欲しいと思っている」と強く言われました。
彼と始めてあったときは、中学3年生の時、当時で彼は自分の住所の漢字すら書くのが怪しい状態でした。しかし、お母さんははっきりと「将来困らないように医歯薬系の大学」とおっしゃられました。
私もその母親の気持ちは痛いほど分かりましたし、そもそも「この子にはムリだ」と子どもの可能性を勝手に決めつけたくありませんでしたから、大変な苦労をしました。もちろん一番大変だったのは、教えられる彼だったと思います。
私が最も気を遣ったのは、彼への「負荷の度合い」でした。体力にせよ、学力にせよ、力を付けるには「負荷」をかける必要があります。しかし、同学年の子どもたちからすると、学力面で何年も遅れている彼にどの程度の負荷をかけるのか、ここが大変苦労しました。彼の学力の遅れに目を向けすぎると進歩の妨げになり、だからといって先を見すぎて「ここまではやらないとアカン」と急ぎすぎると「オレはどうせやってもムダだし、何もわからへんねん」と彼のプライドをつぶし、ひいては伸びる可能性をなくしてしまうかも知れないからです。
彼の現状を正確に把握した上で、どの程度の負荷をかけていくのか、これがすべてと言って良いほどでした。
本当に、苦労して苦労して、高校に合格し、高校3年間もかなりのスパルタで学習を進めました。もちろんスパルタといっても、無理難題をふっかけるわけではありません。しかし、彼にとっては、きっとスパルタそのもので、ムチャクチャがんばってやっとクリアできるかできないかというギリギリの学習を3年間続けました。
そして、その結果、とある私立大学の薬学部に合格しました。現在、薬剤師になっております。
私は、こうしたやり方が良かったとは今でも思っておりません。確かに、「言葉が話せない」といわれた少年が薬剤師になったことは感動的です。しかし、当事者、つまり彼や私にとっては、本当に大変な3年間だったからです。
他にもっと幸せを探る道はなかったのか、あったかも知れません。
しかし、これほどまでにスパルタで学習を進めるのはどうかと思いますが、一定の負荷は必要ではないかと思っております。
最近、こんな話を耳に入れました。
発達障害の我が子を心配するあまり、子どものつまづきを察知し、母親が前もってそれを阻止されるのです。
「これは、我が子にはムリだからやらせない」「最近、学校がストレスになってきているから休ませる」「○○ちゃんと話をすると、こだわりすぎるのでつきあわせない」云々
もちろん、親が一定の防波堤になることは必要だと思います。しかし、あまりにも「荒波」を避けてしまいすぎると、必要な「負荷」まで除去してしまうのではないかと心配してしまいます。
親が我が子の一生を「防波堤」として守り切れるのであれば、それもまたいいかもしれません。しかし、たいていの場合は、親の方が先に死にます。その後、その子は「防波堤」抜きに生きていかないといけないのです。
子どもが子ども時代に、世の中で生きていく、他人と生きていく学習をつんでいかないと、大人になったときからでは遅すぎるのではないかと思います。
はなまるゼミナールでは、発達障害の児童も多数預かっております。そして、集団の中で指導しております。もちろん、他の子とまったく同様に指導はしておりませんが、彼らの「ギリギリ」をつねに意識し成長を促す指導を心がけています。
もちろん「言葉」で言うほどかんたんではありませんし、「正しい答」などありません。

すべての子どもには可能性があり、程度はあれども、その可能性を追求していくことで何かしらの答えが出てくるのではないかと強く思うのです。

photo by: Markusram

子どもの可能性を開く

少人数制の集団授業形式なので、多くの子どもたちが通ってきてくれております。

はなまるゼミナールでは、まずお母さまのお話を聞き、体験授業を受けていただき、場合によっては本人に「しっかりと勉強する気があるのか」と確認した上で、入塾していただいております。1回授業を受けてもらうと、だいたい、その子の学力や性格などは分かります。当塾では、小学生で2回の体験授業を受けていただき、1週間の宿題の量なども体験してもらって、入塾するかどうかを決めていただいておりますので、2回もその子と会いますと、たいてい理解できます。

ところで、昨年に続き、今年も「学力的にかなり大変な」お子さんを数多く預かっています。しかし、4月から2ヶ月も塾で学習を続けると、かなりの進歩が見られるようになります。もちろん、最もいいのは、学校のテスト類などができるようになることですが、そこまでにはならなくても、「授業の受け方やノートの取り方、質問の仕方」など、本当に多くのことができるようになります。当初、体験授業などに参加していた頃とは格段に進歩しているのに本当に驚くばかりです。

私は、かつて大手塾で教室長として勤務しているとき、保護者の方から兄弟姉妹関係での通塾でいつから通わせたら良いかと質問を受けると、「小学5年くらいからでしょう」とよく答えておりました。本当にそう思っておりました。といいますのも、やはり本格的に学習がむずかしくなるのが小学5年生からだからです。

しかし、昨年、今年と多くの子どもたちを教えている中で、小学4年、5年の頭の柔らかいうちに、いろいろなことを学ぶ大切さを実感しております。とりわけ、そういう時期から、きちんと勉強する中で、子どもの可能性が大きく開いてくることをあらためて実感しているのです。

現在通っている子どもたちが、年を追うごとにみずからの可能性が花開いていくよう、これからも指導に尽くしていきたいと考えております。


LDの子どもの家庭教師(3)

私はかなり焦っていました。というのは、親御さんの意向としては、将来的に彼が生活できるように、資格が取れる大学に入れたいというのです。具体的には、医薬関係の大学です。しかし、医薬関係の大学に入るという以前に、英文が読めなければ、どうしようもありません。しかも、来年は3年生、受験生になるのですから、2年のうちになんとか形になるようにしないといけないのです。
この高2の夏に、ひとつの実験をしようと決意しました。時間がたっぷり使えるのは、夏休みしかありません。しかも、高2の夏というのは、最後のチャンスです。何かというと、これまでは、高校で使用している教科書も当然取り入れて、授業していたのですが、それを辞めて、私が彼のために用意した教材だけを使おうと思ったのです。しかも、英語レベル的には、高校レベルをはるかに下回るものです。これは、ひとつの挑戦でした。
それは、彼に英文をただひたすら前から読ませるという方法でした。たとえば、
I know why he doesn’t want to come here.
という英文があったとします。英語の文型のイメージわかないと、「私は、彼がここに来たくない理由を知っている」という訳にはなかなかなりません。主語になり得る単語(“I”や“he”)が2つあり、述語動詞になり得る単語(“know”や“want”)も2つもあるのです。よくやる返り読みでは、日本語訳になりません。そこで、横に並んでいる単語を1つづつ縦に並べました。そして、1語づつ訳させたのです。
I
know
why
he

という感じです。最初の“I”は、主語であるので、“私は”、次の“know”は“知っている”、だから、つなげると、“私は知っている”。という感じで、一切後ろから返ることなく、ただひたすら前から訳していき、最終的に日本語として訳していく練習を1ヶ月にわたってしました。
はじめは、やはりつい後ろから返ってきて、主語と述語の関係が壊れるのですが、なれてくると、かなり読めてくるんですね。夏休みが終わる頃には、単語さえ分かれば、かなり英文が読めるようになっていました。そして、彼に、その時点で彼の家庭教師をやって2年経っていましたが、
「どう? 英語が分かるようになった?」

と聞くと、彼は恥ずかしそうに

「分かるようになった」

と答えてくれたのです。とてもうれしかったです。
メインは、英語と数学だけを教えていましたが、定期テスト前には、ほぼ5教科教えていました。いちいちこんな感じでしたから、私の授業準備は、膨大なものになっていましたが、先にも書いたように、たいへんいい経験になりました。
最後に、彼は、地方の薬学部に合格しました。その後も、夏休みなどで奈良に帰ってきたときには、教養の数学などを教えたり、大学での授業の聞き方、生活の仕方などをアドバイスしたりしました。そして、地方で一人暮らしをするようになり、休みの日に帰ってきたときに、中学や高校生の時の自分を振り返り、
「今、大学の勉強を自分1人でやっていることを考えると、高校生の時はもっと勉強できたと思う」
と言ったことには大きな感動を覚えました。
幼少の頃、医者からは、大きくなってもまともに会話することもできないと言われていたという彼が、大学の勉強を同級生よりも数倍の時間をかけこなし、その自分を見て、高校生の時の自分を振り返るなんて、どれだけの精神的な成長を遂げたことか。私は、涙が出るほど、うれしかった記憶があります。ひょっとすると、泣いていたかもしれません。

よく、やればできると言います。
しかし、本当にやればできるのです。
ただ、彼が恵まれていたのは、どうしても息子に自立してほしいと願い、苦労して苦労して学習環境を与えてきた母親の存在であると思います。
あきらめずに、そばで励ましてくれる家族がいれば、願いは叶うのです。

 


LDの子どもの家庭教師(2)

そんな彼でしたが、奈良の私立高校に専願で受験し、合格することができました。本当によく努力してくれたと思います。
私は、高校進学までの約束だったのですが、親御さんにも彼にも気に入ってもらえたようで、大学受験まで面倒を見てほしいと頼まれました。これは、私にとって、かなりのプレッシャーであり、半分断りたかったのですが、しかし彼の精神的な成長という意味では、中学3年生の彼よりも高校生の彼の方がぐっと成長してくれるのではないか、そんな彼を見てみたいという気持ちも半分ありました。ずいぶん悩んだ上で、引き受けることにしました。

高校3年間の学習は、本当に大変でした。もちろん、今から考えると、私の塾講師人生の中で、多くのことを彼から学びました。しかし、当時はそんなきれいごとではすまなかったのです。
一番の障害は、彼に合う教材がないと言うことです。とくに英語教材に苦労しました。
一応、高校に合格したといえども、彼の学力は、恐ろしく低いものでした。漢字は読めない、かけない、英単語は読めない、かけない、そんな彼がいきない高校の英語の教科書など、読めるはずはないのです。高校2年生になっても、右と左が分からないから、靴を左右間違えて履く、そんな感じでした。しかし、そういう彼でも、英文を読んでいかないと、試験ができない、単位が取れない、卒業できない。いや、3年後に大学進学を果たさないといけないのです。
しかし、彼の学力レベルに英語教材は、幼児用のしか存在しないのです。私は、彼のプライドを壊さずに、そして彼の精神的な成長を促しながら、学力をつけさせるには、レベル的には幼児用だけれど、大人が使える教材が必要だったのです。探しました。いろいろな本屋に行き、足が棒のようになるくらい、探し歩きましたが、見つかりませんでした。
なければ、これは作らないといけないんですね。私が、「これなら彼に気に入ってもらえる」というものを作らないといけないんです。結果的に言うと、ネットでTIME for KIDSというアメリカの子ども向けのサイトがとても良かったのです。TIMEという雑誌は、みなさんもご存じだと思います。アメリカのニュース誌です。彼の教材作りでいろいろと調べる中で、そのTIMEの子ども版があることをはじめて知ったのです。
TIME for KIDSがとても良いなと思ったのは、アメリカの小学生向けの雑誌であるにもかかわらず、内容がとても良いのです。当時、国際宇宙ステーション計画が始まったばかりだったので、そういう記事が平易な英語で書かれていたり、アメリカ大統領選についての記事があったりと、英語が簡単で、しかし、内容は高校生が読んでもとてもおもしろく、そして彼の精神的な成長を促進できる内容なんです。
さて、いい英語教材は見つかったのですが、次は、これをどのように読ませるかでかなり苦労しました。とりあえず、英語の単語はかろうじて調べられるようになっても、単語が7つ8つをつながったら日本語訳にならないのです。しかし、これは、私も共感できました。関係代名詞なんかでつながった一文は、どこが主語で述語がさっぱり分からない経験が私にもあったからです。そして、これを克服するには、彼が高校2年の夏までかかりました。

《その3へ》

 


LDの子どもの家庭教師(1)

関西大学の研究室にいた頃、大学からもらう給料だけでは生きていけないので、塾の講師をしていました。そのときに、大学関係の紹介で、LDの子どもで高校受験を控えている子がいるのだけれど、家庭教師をしてやってくれないかと紹介されました。
当時、私は、LDという言葉も知りませんでした。日本語では、学習障害というと言われ、知的障害ではないといわれても、まったくピンときませんでした。何の知識もなく、自信もないのに引き受けるわけには、いかないので、大阪の大きな書店に足を運び、いろいろと調べました。
最終的に、家庭教師を引き受けたのですが、そのとき、私が思ったのは、
子どもの精神的な成長を信じ、それに依拠すればかならずやれる
という、何の根拠もない“確信”でした。

彼とはじめてあったのは、彼が中3の時でした。もう間近に高校受験が迫っている瀬戸際でした。
彼は、まず漢字がほとんど書けない状態でした。自分の家の住所ですら、かなり怪しい状態でした。日本語ですらそうですから、英単語などはまったく覚えることはできません。計算はかろうじてできるものの、証明問題になるとからっきしでした。社会にしろ、理科にしろ、言葉が覚えられないし、理由や理屈もかなり厳しいものがありました。
しかし、私も一度預かると言った以上、責任があるため、一生懸命、精一杯教えました。ただし、教えると言っても、はじめに書いたように、私の確認は、彼の精神的な成長に依拠すればいけると言うところにありましたから、がむしゃらに教えるというのではなく、彼にいろいろな話をし、精神的な成長を促しながら、学習を進めるというものでした。
この作業は、たいへんな予習時間を費やすものでした。英語を教えるにも、数学を教えるにも、その単元単元に、彼に伝えたい話を考え、どういうふうに話を組み立てれば、彼に分かってもらえるのか、結局これから彼とのつきあいは大学受験までの4年ほどになるのですが、この間、このことばかりを考えておりました。

《その2へ》