個別に対応する定期テスト対策

img_20161016_135343はなまるゼミナールでは、普段は、10名前後の少人数集団指導で授業をおこなっております。
その上で、定期テスト直前の土日には、10時間ほどの集中した勉強会をおこないます。この勉強会では、教え子の大学生を数名呼び、さらにきめ細やかなテスト対策をおこないます。

今日は、生駒中学、光明中学、生駒北中学の生徒のテスト対策勉強会をおこないました。写真は、中1と中2生14名に対し、4名の講師・チューターが個々の質問や分からないところを指導している風景になります。


樟蔭高校さんの粋な計らい

樟蔭に通う教え子のメッセージ先日、東大阪にある樟蔭高校さんの塾対象説明会があったので、出席してきました。

受付で、名刺を渡すと、塾名を見て、1つの封筒を渡されました。中に入っていたのが、この写真のものです。

この3月に卒塾した生徒のうち、1名が樟蔭高校の高校生になっているのですが、「お世話になった方へ」という題で、彼女が私へのメッセージを書いてくれたのです。

説明会の後での高校の先生方との懇親会で、このメッセージのことを伺うと、「送り出した子どもたちの近況を先生方にお伝えしたくて、はじめました」と言うことでした。小学校にせよ、中学にせよ、高校も、担任の先生はほぼ毎日自分の生徒の顔を見ます。しかし、塾の教師は、なかなか毎日見るということはできません。それでも、教えた生徒は、忘れることはありません。それほど、子どもたちには深い愛情を持ちます。今でも、5年前、10年前に教えた生徒のことを、「どうしてるかな」と思い出すことはたびたびあります。

樟蔭高校の先生方も、日々、自分が担当する子どもたちに愛情を注いでいるのだと思います。だからこそ、塾教師もまた、自分が教える子どもにどれだけの愛情を注いでいるかを想像し、こうした計らいをしていただいたのでしょう。本当に感謝です。

最近は、男子校、女子高の人気は共学に比べるととても低いです。しかし、子どもたちには、男子校か女子高、共学校かという視点だけで志望校を決めるのではなく、自分の将来を考えたときに、何が良いのかという視点を含めて、決めてほしいと思います。

 


「久保先生2号」

小学生の女子から、プレゼントをもらいました!
「久保先生2号」だそうです(^^)


ふくよかな顔に、メガネ、めっきり広くなった額、恥ずかしいほど、よく観察してくれています。

また、台の部分には、「久保先生」と漢字で作ってくれています。歯の部分も細かく表現してくれています。きっと、時間がかかったでしょう。本当にうれしい限りです。
彼女にとっては、私は笑っている印象が強いのでしょうか。でも、彼女が中学生になったら、ちょっと厳しくすることもあると思いますが、基本は笑顔で授業をしたいのだということを忘れないで欲しいものですicon_biggrin.gif

それにしても、教えている子どもから、こうしたものをもらうのは、何年やっていてもうれしいものです。感謝!


【とある校長先生の言葉】違いを認めながら損得のないように扱う

fun at sandy beach
Creative Commons License photo credit: TIFFANY DAWN NICHOLSON (TDNphoto)

男の子と女の子とは明らかな違いがあるな。その違いを認めながら損得がないように扱うことが平等という事ではないかな。違いがない、違いを言ってはいけないというのは無理なことだ。それでも違いを見つけてはいけないというのなら、個別化なんて成り立たない

よく平等に扱うべきだということをいいます。しかし、何をもって「平等」というのでしょうか。私は、この先生が言われるように、子どもたちの違いを認めた上で、彼ら(彼女たち)に損得のないように扱うことこそが平等であると、私も思います。

公教育も同じだと思いますが、塾に通う生徒の中にも様々な子がおります。
かつて、私が教えた子どもにこういう子がおりました。彼女は小学6年生から通ってくれていたのですが、父親がおらず、母親が1人で彼女と弟を育てているのです。彼女の母親は、2人の子どもを育てるのに、パートを朝・昼・晩と1日に3回掛け持っていました。当然、ほとんど家にもおりませんでした。
当然にも家に親がいる家庭では、子どもの身の回りの世話から宿題のチェック、あるいは学校で困っていることがないかとか、日々確認することになるでしょう。しかし、彼女の場合は、家にはほとんど弟と2人きりですから、その時点で、家に親御さんがいる家庭と比べるとスタート地点で不利なわけです。この不利なところを少しでも、学校や塾が少しでもフォローすることができれば、彼女は他の子どもたちとともに学習に励むことができるでしょう。この役割を教育は果たさないといけないのではないかと思っております。

かつて教室長として働いていたときには、個別に通う生徒も含め、常時100人くらいの子どもたちの服装や態度、姿勢などを確認しておりました。服装といっても華美な格好をしているかとどうかというより、ご家庭での教育がどれだけ行き届いているのか、極端に言うと「家庭内虐待」を受けている子どもは服装で分かるといいますが、そういう確認です。

もちろん、私塾は学校ではありません。公教育ではありませんから、ご家庭の状況などに踏み込むことができませんが、それでもお月謝をいただいている以上、子どもの様々な状況を観察し、塾でできることはなるだけフォローしてあげられたら、それに越したことはありません。

先に書いた彼女のときには、崩れやすい中学2年の時がもっとも不安でしたが、なるだけ塾で勉強できる環境を整えてやり、寂しい我が家でよからぬことを考える時間を減らすことに注意を払いました。この子は、この春、無事高校に合格し元気に通ってくれております。
100人子どもがいれば、100人の性格があります。様々なご家庭がありますが、同じ家庭で育っていても、兄弟姉妹で性格が異なるということもあります。

男女の性差はもとより、さまざまな違いを認めてあげて、それぞれが損得のないよう、できるかぎり同じスタートを切れるために子どもたち1人ひとりを見てあげたいと思っております。


地に足ついてがんばっていれば、いつかいいことがある!

Leigh Farmland
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昨年、とてもうれしい出会いがありました。

授業が終わり、片付け掃除をしたあと、終電の地下鉄に乗り席に着くと、向かいに座っていた金髪の若い女の子が、私の方にほほえみながら向かってきたのです。

私にほほえむ女の子なんて、教え子しかないと思ってよく顔を見ると、思い出しました。Aさんなんです! 私は、自慢にはなりませんが、記憶力はとても悪い方です。しかし、不思議ですね。教え子のことはほんとうによく覚えています。

このブログにも何人かの教え子の話を書いていますが、優等生ばかりですよね。それは、優等生が好きだからではありません。勉強がそこそこできる子は高校、大学と進むにつれ、希望も現実化し、「あっ、先生に会いに行こう」なんて思ってくれることも多いのですが、あまり勉強ができない子はやはり自信もないので、なかなか会いに来てくれないのです。だから、卒業後、会うこともあまりありません。

Aさんは、中学生の頃はまったくといっていいほど勉強ができませんでした。一生懸命教えました。こんなに教えてるのになんでやとイライラしたこともありました。だから、できの悪い子ほどよく覚えているのです。そして、大好きなんですね。

頭を金髪にしたAさんと会うのは、まさに中学卒業以来です。高校は、大阪の下の方の公立に進学。彼女が言うには、がんばって卒業して、就職したものの、体をこわしてしまい、1年間病院生活。会社には、その間も籍があり、社長からは復帰を願われていたのだけれど、これ以上迷惑をかけたらいけないということで、退社。現在、「人に言えないバイト」とをしているといってました。

彼女は、中学生の頃の話をついこの間の話のように話してくれました。

なにしろ、彼女は良い子なんだけれど、勉強が本当にできませんでした。学校の先生が、進路指導で

『「○○高校なんて、合格できない。万一、入れても、ついていけない」と厳しくいわれた。悔しかった。だから、高校では卒業はしようとがんばった』

いってくれました。僕は、塾の進路指導で、

「君は、がんばればやれる子だと思う。でも、人に流されるタイプだから、無理してでも少しでも良い高校に入って中でがんばるべきだ」

とはげましていた高校でした。彼女は、そのことを話してくれました。よく覚えてくれていたのです。教師冥利に尽きるというのは、まさにこのことだと思います。当時の彼女の担任のいうとおりの高校に行っていれば、努力もせず、楽な方に流されていったと思います。努力したからこそ、卒業ができ、この就職難といわれる時代に、就職までできたのですから。

彼女は、病気して退社したことを本当に悔しがっていました。しかし、今は夢があるので、その夢に向かってバイトしているといってました。とてもうれしかったです。ぜひぜひ、夢をかなえてほしいなと思っています。


マンガやドラマに出てくるような秀才

On the banks of the Genesee
Creative Commons License photo credit: rengel134

 

先日、大学に合格したという教え子からメールをもらいました。

5年ほど前に中学生だった彼女を教えていたのですが、まさに「マンガやドラマに出てくるような秀才」でした。

授業中も背筋をピンと伸ばし、ひたすらメモを取る姿は、それは凄いものがありました。一度、彼女の使っていた学校の教科書を見たことがあったのですが、余白には、細かい字でメモがびっしり! 先生の話もメモしているのでしょうけれど、話を聞きながら、思いついたことなどもメモしているのだと思います。彼女の同級生によると、テストの問題用紙なども、余白にいろいろ書き込んでいると言っていましたから、それは凄い勉強家でした。

彼女は、授業中でもそんな感じでしたから、我々教師がおもしろい話をして、他の子を笑わしていても、まったくクスリとも笑わないんですね。しかし、クールに、あるいは斜に構えているのではなく、それも勉強だと思っているんでないかと言うくらい、真剣に何でも聞いてくれました。彼女を教えている講師は、私も含め、授業を終えて教務室に帰ると、「今日は彼女を笑わせることができたか」というのを競い合っていたくらいです。

そんな彼女は、府立天王寺高校に合格しました。で、この春、京都大学文学部に合格したそうです。天王寺高校では、毎年1割以上の生徒が京大に進学しますから、彼女もそのうちの1人になったわけですね。僕の授業については、「楽しくてよく覚えています」と書いてくれ、なんだかホッとしました。

さて、この春も、何人か天王寺高校に進学したのですが、そのうちの1人が、やはり「マンガやドラマに出てくるような秀才」でした。昨年まで、月に200人ほどの生徒を教えていましたが、数年に一度、こうした秀才と巡り会うことができます。今、1年生としてがんばってくれていると思いますが、3年後の彼女がとても楽しみです。

 


LDの子どもの家庭教師(3)

私はかなり焦っていました。というのは、親御さんの意向としては、将来的に彼が生活できるように、資格が取れる大学に入れたいというのです。具体的には、医薬関係の大学です。しかし、医薬関係の大学に入るという以前に、英文が読めなければ、どうしようもありません。しかも、来年は3年生、受験生になるのですから、2年のうちになんとか形になるようにしないといけないのです。
この高2の夏に、ひとつの実験をしようと決意しました。時間がたっぷり使えるのは、夏休みしかありません。しかも、高2の夏というのは、最後のチャンスです。何かというと、これまでは、高校で使用している教科書も当然取り入れて、授業していたのですが、それを辞めて、私が彼のために用意した教材だけを使おうと思ったのです。しかも、英語レベル的には、高校レベルをはるかに下回るものです。これは、ひとつの挑戦でした。
それは、彼に英文をただひたすら前から読ませるという方法でした。たとえば、
I know why he doesn’t want to come here.
という英文があったとします。英語の文型のイメージわかないと、「私は、彼がここに来たくない理由を知っている」という訳にはなかなかなりません。主語になり得る単語(“I”や“he”)が2つあり、述語動詞になり得る単語(“know”や“want”)も2つもあるのです。よくやる返り読みでは、日本語訳になりません。そこで、横に並んでいる単語を1つづつ縦に並べました。そして、1語づつ訳させたのです。
I
know
why
he

という感じです。最初の“I”は、主語であるので、“私は”、次の“know”は“知っている”、だから、つなげると、“私は知っている”。という感じで、一切後ろから返ることなく、ただひたすら前から訳していき、最終的に日本語として訳していく練習を1ヶ月にわたってしました。
はじめは、やはりつい後ろから返ってきて、主語と述語の関係が壊れるのですが、なれてくると、かなり読めてくるんですね。夏休みが終わる頃には、単語さえ分かれば、かなり英文が読めるようになっていました。そして、彼に、その時点で彼の家庭教師をやって2年経っていましたが、
「どう? 英語が分かるようになった?」

と聞くと、彼は恥ずかしそうに

「分かるようになった」

と答えてくれたのです。とてもうれしかったです。
メインは、英語と数学だけを教えていましたが、定期テスト前には、ほぼ5教科教えていました。いちいちこんな感じでしたから、私の授業準備は、膨大なものになっていましたが、先にも書いたように、たいへんいい経験になりました。
最後に、彼は、地方の薬学部に合格しました。その後も、夏休みなどで奈良に帰ってきたときには、教養の数学などを教えたり、大学での授業の聞き方、生活の仕方などをアドバイスしたりしました。そして、地方で一人暮らしをするようになり、休みの日に帰ってきたときに、中学や高校生の時の自分を振り返り、
「今、大学の勉強を自分1人でやっていることを考えると、高校生の時はもっと勉強できたと思う」
と言ったことには大きな感動を覚えました。
幼少の頃、医者からは、大きくなってもまともに会話することもできないと言われていたという彼が、大学の勉強を同級生よりも数倍の時間をかけこなし、その自分を見て、高校生の時の自分を振り返るなんて、どれだけの精神的な成長を遂げたことか。私は、涙が出るほど、うれしかった記憶があります。ひょっとすると、泣いていたかもしれません。

よく、やればできると言います。
しかし、本当にやればできるのです。
ただ、彼が恵まれていたのは、どうしても息子に自立してほしいと願い、苦労して苦労して学習環境を与えてきた母親の存在であると思います。
あきらめずに、そばで励ましてくれる家族がいれば、願いは叶うのです。

 


LDの子どもの家庭教師(2)

そんな彼でしたが、奈良の私立高校に専願で受験し、合格することができました。本当によく努力してくれたと思います。
私は、高校進学までの約束だったのですが、親御さんにも彼にも気に入ってもらえたようで、大学受験まで面倒を見てほしいと頼まれました。これは、私にとって、かなりのプレッシャーであり、半分断りたかったのですが、しかし彼の精神的な成長という意味では、中学3年生の彼よりも高校生の彼の方がぐっと成長してくれるのではないか、そんな彼を見てみたいという気持ちも半分ありました。ずいぶん悩んだ上で、引き受けることにしました。

高校3年間の学習は、本当に大変でした。もちろん、今から考えると、私の塾講師人生の中で、多くのことを彼から学びました。しかし、当時はそんなきれいごとではすまなかったのです。
一番の障害は、彼に合う教材がないと言うことです。とくに英語教材に苦労しました。
一応、高校に合格したといえども、彼の学力は、恐ろしく低いものでした。漢字は読めない、かけない、英単語は読めない、かけない、そんな彼がいきない高校の英語の教科書など、読めるはずはないのです。高校2年生になっても、右と左が分からないから、靴を左右間違えて履く、そんな感じでした。しかし、そういう彼でも、英文を読んでいかないと、試験ができない、単位が取れない、卒業できない。いや、3年後に大学進学を果たさないといけないのです。
しかし、彼の学力レベルに英語教材は、幼児用のしか存在しないのです。私は、彼のプライドを壊さずに、そして彼の精神的な成長を促しながら、学力をつけさせるには、レベル的には幼児用だけれど、大人が使える教材が必要だったのです。探しました。いろいろな本屋に行き、足が棒のようになるくらい、探し歩きましたが、見つかりませんでした。
なければ、これは作らないといけないんですね。私が、「これなら彼に気に入ってもらえる」というものを作らないといけないんです。結果的に言うと、ネットでTIME for KIDSというアメリカの子ども向けのサイトがとても良かったのです。TIMEという雑誌は、みなさんもご存じだと思います。アメリカのニュース誌です。彼の教材作りでいろいろと調べる中で、そのTIMEの子ども版があることをはじめて知ったのです。
TIME for KIDSがとても良いなと思ったのは、アメリカの小学生向けの雑誌であるにもかかわらず、内容がとても良いのです。当時、国際宇宙ステーション計画が始まったばかりだったので、そういう記事が平易な英語で書かれていたり、アメリカ大統領選についての記事があったりと、英語が簡単で、しかし、内容は高校生が読んでもとてもおもしろく、そして彼の精神的な成長を促進できる内容なんです。
さて、いい英語教材は見つかったのですが、次は、これをどのように読ませるかでかなり苦労しました。とりあえず、英語の単語はかろうじて調べられるようになっても、単語が7つ8つをつながったら日本語訳にならないのです。しかし、これは、私も共感できました。関係代名詞なんかでつながった一文は、どこが主語で述語がさっぱり分からない経験が私にもあったからです。そして、これを克服するには、彼が高校2年の夏までかかりました。

《その3へ》

 


LDの子どもの家庭教師(1)

関西大学の研究室にいた頃、大学からもらう給料だけでは生きていけないので、塾の講師をしていました。そのときに、大学関係の紹介で、LDの子どもで高校受験を控えている子がいるのだけれど、家庭教師をしてやってくれないかと紹介されました。
当時、私は、LDという言葉も知りませんでした。日本語では、学習障害というと言われ、知的障害ではないといわれても、まったくピンときませんでした。何の知識もなく、自信もないのに引き受けるわけには、いかないので、大阪の大きな書店に足を運び、いろいろと調べました。
最終的に、家庭教師を引き受けたのですが、そのとき、私が思ったのは、
子どもの精神的な成長を信じ、それに依拠すればかならずやれる
という、何の根拠もない“確信”でした。

彼とはじめてあったのは、彼が中3の時でした。もう間近に高校受験が迫っている瀬戸際でした。
彼は、まず漢字がほとんど書けない状態でした。自分の家の住所ですら、かなり怪しい状態でした。日本語ですらそうですから、英単語などはまったく覚えることはできません。計算はかろうじてできるものの、証明問題になるとからっきしでした。社会にしろ、理科にしろ、言葉が覚えられないし、理由や理屈もかなり厳しいものがありました。
しかし、私も一度預かると言った以上、責任があるため、一生懸命、精一杯教えました。ただし、教えると言っても、はじめに書いたように、私の確認は、彼の精神的な成長に依拠すればいけると言うところにありましたから、がむしゃらに教えるというのではなく、彼にいろいろな話をし、精神的な成長を促しながら、学習を進めるというものでした。
この作業は、たいへんな予習時間を費やすものでした。英語を教えるにも、数学を教えるにも、その単元単元に、彼に伝えたい話を考え、どういうふうに話を組み立てれば、彼に分かってもらえるのか、結局これから彼とのつきあいは大学受験までの4年ほどになるのですが、この間、このことばかりを考えておりました。

《その2へ》

 


努力し,結果を出せば,幸せになれる!

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Creative Commons License photo credit: richardswearinger

この春,大阪府立天王寺高校に合格した教え子から手紙が届きました。

今でも,彼女が入塾してきた時のことは忘れられません。

ちょっと,変わった子だったんですね。まず,教室に入るやいなや,自分の目についた人に自己紹介と握手を求めていました。小学校を卒業したばかりなので,かわいらしいのですが,お姉さん,お兄さんのような自分より年上の人にも臆せず,あいさつをしてまわる彼女には,本当に驚きました。

授業での彼女の質問も変わっていました。かなり鋭い質問をしてくれるのですが,切り口が少し変わっているのですね。同じクラスの他の子は「また,はじまった。。。」と苦笑するのですが,私は,本当におもしろい子だと,彼女の質問には真正面から答えていました。

中3になり,進路指導するときに,私は彼女には絶対に天王寺高校に入りなさいと強く勧めました。理由はただひとつ。彼女のような人間が「変わり者」としてではなく,個性として認められるのは,やはり天高しかないと思っていたからです。

現時点では,少し減ったと思いますが,昨年までは府立天王寺高校と府立高津高校に通う生徒の15%くらいは教え子でした。多くの子どもたちを進学させていった中で,高津高校に入る子は普通の秀才,努力家であるが,天王寺高校に入る子は,ちょっと変わった,個性的な生徒が本当に多かったのです。私は,あまり好きな言葉ではありませんが,子どもたちの間でいうところの「天才」といわれるような生徒が多かったのです。

彼女も勉強は良くできました。しかし,私は彼女の努力,ひとしれずに本当にがんばる姿を知っていましたから,彼女が「天才」だとは思いません。しかし,個性的な秀才,努力家であることは間違いないと思います。

私は,面談のたびに,「天高は君のような個性的な人が行く学校で,通えば必ず君は花開く」といい続けてきたのです。

そして,彼女から手紙をもらいました。とてもうれしかったのは,

友だちができた。私みたいな人がたくさんいて,楽しい

と書いてくれたことです。

彼女は,ほんとうに個性的な子だったので,中学校では軽い“イジメ”のようなことは間違いなくあったと思います。しかし,今はそうではないのです。彼女は,秀才で努力家ですが,同級生には本当に“天才”かと思うような凄い生徒がたくさんいるのです。そうした中で,自分をめいっぱい磨いて,すばらしい人生を切り開いてもらいたいと心から願っています。