正解するということ

to do list for third graders
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答え合わせをするときに、とくに心がけていることがあります。

それは、○か×が問題なのではなく、なぜ○だったのか、×だったのかということです。

もちろん、子どもたちに問題を解かせているわけですから、○であることがいいに決まっています。子どもたちも、自分が解いた問題が○であることがうれしいに決まっています。

しかし、それだけであれば、勉強とは言えないのではないかと思うのです。

私は、学校で習うことだけでなく、すべての事物には理由があると思っています。たとえば、電車の乗るろうとしてホームに立っているとアナウンスがながれます。

電車が到着いたします。おりる人がお済みになられてから、ご乗車ください

なぜ、電車から降りる人が先で電車に乗る人が後なのでしょうか。単なるルールだといってしまえば、それまでですが、そうしないと事故になる可能性があるのです。車掌さんは乗る人の確認はできますが、電車の中にいるおりる人の確認はできません。つまり、さきに電車に乗ってしまうと、車掌さんはおりる人が確認できないために、いつ電車の扉を閉めればいいのかわからないのです。だから、おりる人がすんでから、乗る人、乗る人がいなくなれば、扉を閉めるというのが事故を防ぐ方法なのです。

話が長くなりましたが、国語にしても、算数にしても、理科にしても、社会にしても、やはりなぜ、それがそうなのかということが非常に大切だと思うのです。とくに、問題演習において間違えた場合、間違った理由がやはり大切です。それは、計算問題のミスであっても同じです。なぜ、その部分でミスをしたのかということを考えると、意外に、悪いクセや思い違いなどをしていたりします。
勉強の最も基礎的な部分は、「覚える」ということだと思いますが、さらに進めて「なぜか」というところが理解できれば、勉強もより面白くなり、応用を解く力もつくのではないかと思います。


愚者は賢者に学ばず、賢者は愚者にも学ぶ

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イギリスのことわざにこんな言葉があるそうです。

愚者は賢者に学ばず、賢者は愚者にも学ぶ。

これまで20年あまり、本当に多くの子どもたちと出会ってきました。20代に教えた子どもの中には、芸能界で活躍している子もいたりします。
私は、授業中に「くだらない」話をしたりするのも結構好きなのですが、子どもたちを見ていると、その受け止め方に大きな違いがあります。
もっとも多いのは、(1)単純に笑ってくれる子ですね。そして、(2)真剣な顔をして「くだらない」話を聞いてくれる子(3)まったく相手にせずムシする子の大体3グループに分けられます。
第1グループの子どもたちは本当に子どもらしく、笑ってくれるので、こちらもたいへんにうれしくなります。
第2グループの子どもは、今にも「くだらない」話をメモしそうな勢いで真剣に聞いてくれます。もちろん、こちらも授業の流れとはまったく関係なく「くだらない」話をしているわけではありません。実は、流れの中で、意図してやっているわけですから、その意図を見ぬこうぐらいの迫力で聞いてくれるのはうれしい限りです。ただ、できればいっしょに笑って欲しいのが本音ですが。
さて、問題は第3グループです。こうした子どもは、あまり成績が伸びた記憶がありません。クールなんですね。
私は、勉強もできれば、楽しめたらと思っております。一生懸命にがんばって分かるようになってうれしいというのは正当ですが、「緊張と緩和」の授業で「緩和」の部分をもっとフランクに楽しめたら、勉強はますます楽しくなるんじゃないかと思っています。
「くだらない」話は、それはそれで楽しんでもらい、5年後、10年後、あるいは20年経ったときにふと「あっ、あの時のしょーもない話はこんな意味があったのか!」なんて思い出してくれれば、本当に教師冥利に尽きます。


パターン化した算数でなく、読解力をつける算数を

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小学生の頃は、算数が苦手ではなかったのに、中学に入るといきなりできなくなる生徒がいます。

さまざまな理由がありますが、大きな理由の1つに読解力がないということがあります。読解力がないのに、なぜ小学校の算数ができたのか、それはパターンを覚えてしまっているからなのです。

実は、小学校の時に、文章題を1つひとつ考えながら解くことをせずに、パターン化して覚えることによって、計算の意味や文章の意味などを考えずにやってしまい、結局、中学校に上がったときにつまづいてしまうのです。こうした弊害を乗り越えるためには、小5くらいになったら、パターン化して問題を解くクセを止めさせなければなりません。数を解かせる、すばやく解かせるといった学習方法を止めさせ、きちっと問題を考えさせなければなりません。

私は、遅くても小5、早くて小4からきちっと文章を読まないと解けない文章題をさせます。算数が得意だという生徒であっても、はじめはほとんどの生徒が間違います。
下の問題は、小学4年生の和・差・積の文章題です。小学生をお持ちのお子さまがおられたら、ぜひさせてみてください。解答は、この記事の一番下にあります。

読解力がないと解けない文章題(小4レベル)

私の経験では、上記の問題は、小6でもけっこう間違う子がいます。間違わなくても、「うわ、むずかしい」と言ったりします。なぜでしょうか。
たとえば、

花子さんは1コ110円のりんごを、25円引きで4コ買って、家から持ってきた150円の買いものぶくろに入れました。花子さんはいくらはらいましたか

答えは、

(110-25)×4=340円

ですが、きっちりと読まないと、あるいは文の意味を理解していないと、買い物袋700円を計算の中に入れてしまったりします。そして、きっちり読まないといけない=むずかしいと感じるんですね。それは、頭の中で、文章題をパターン化してしまっているからです。ちゃんと読むクセがついていれば、むずかしいはずはありません。

子どもが文章題を解いていると、「かけるの?」「わるの?」と聞いてくることがよくあります。その質問は本来おかしいのです。かければ解けるとか、われば解けるのではなく、文章の意味が分かれば、おのずと解き方が分かるようにならなければなりません。

もちろん、基本的な計算パターンは覚えるくらいまで練習する必要があります。しかし、それ以上繰り返しても、意味がないだけでなく、子どもが本来持っている考える力を発揮できなくしてしまうという弊害があります。ただ、同じパターンの問題を繰り返しても、力はつきません。そうではなく、しっかり文章を読み、理解した上で、計算が出てくるようにならないと本質的な学力など身につかないのです。

現在、はなゼミでは、小5から「きちっと文章を読まないと解けない文章題」を少しづつとり組み始めています。夏期講習会で、基礎的な力を確立した後、小4生にも「きちっと文章」を読んで解く練習をさせたいと思っています。

【解答】読解力がないと解けない文章題(小4レベル)


きちんと覚えていくということ

Lovely Chaos @ New York City
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通わせてくださっている親御さんから、

「今まで、ほとんど勉強しなかったのに、帰ってきてすぐ宿題をやるようになりました」

「宿題をしなさいといわなくても、食事を終えたら、自ら進んで宿題をやっています」

とありがたいお言葉をちょうだいしています。小学生、中学生ともにです。

私は、記憶力の良い方ではありません。きっと頭の良い方でもないと思います。だから、「すぐに忘れてしまうねん」という子どもの気持ちはよく分かるつもりでいます。そもそも、人間の記憶、とりわけあまり興味のないことに関しては、24時間~48時間もすれば、忘れてしまうのではないでしょうか。エビングハウスの忘却曲線によると、自分にとって無意味な内容については

20分後には、42%を忘却し、58%を覚えていた。
1時間後には、56%を忘却し、44%を覚えていた。
1日後には、74%を忘却し、26%を覚えていた。
1週間後には、77%を忘却し、23%を覚えていた。
1ヶ月後には、79%を忘却し、21%を覚えていた。

と、24時間後には3/4忘れてしまっているのです。
これは、とてももったいないことです。せっかく、大切な時間を使って、塾に来て勉強しているのに、一晩ねたら、もう忘れてしまうなんて。
だから、子どもたちには、かならずいうのです。
忘れちゃったらもったいないから、今日中に宿題をやっておこう!
そして、ほとんどの子どもたちは、ちゃんと実践してくれているのです。
はなゼミでは、英語も数学も週に2回ありますから、その日のうちに宿題をやっていれば、次の授業(3日後)では確実に覚えているんですね。定着の具合が全く違います。“ああ、この子は、忘れないうちに宿題をやっているな”とすぐに分かるのです。
もちろん、それでも2週間、3週間と日が経つにつれて、記憶も薄くなってくるのですが、また復習すればすぐに記憶はよみがえってきます。こうした繰り返しが、子どもたちにとっては、学習が習慣になっていくおおきな練習ではないかと思っています。


中間テストの勉強始まる!~生駒中学完全準拠

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さて,生駒中学校では,5月26日と27日に1学期の中間テストが実施されます。
地域の中で,地域に密着したひとつの教育機関でありたいと願っておりますので,生駒中学の先生の授業に完全に準拠した形でテスト対策をおこなっていきます。安心のテスト対策です。
しかし,完全準拠と言っても,それしかしないわけではありません。
まず,大切なことは,しっかりと子どもたちに学校の授業を受けてもらい,学校の先生が何を話したのか,何が重要かを説明してくれたのかをきちんと学んでもらうことです。教科書や参考書に載っていない事項であっても,生駒中の先生が説明してくれたのであれば,それはとても大切なことですから,やはりしっかりと子どもたちに学習してもらいます。
次に,教科書にも載っていないし,学校の先生も話していないが,高校入試において,あるいは高校生や大学生,社会人になったときに必要な内容は,これまたきちんと学習してもらいます。こうした発展内容を含むことによって,子どもたちの頭の中に,トータリティーを持った形で整理されていってくれれば,本当に最高です。
3つめに,完全に準拠した形で,塾で教えてくれるからといって,受け身ではいけません。しっかりと,子どもたち自身によって,学習計画を立ててもらい,実施し,自己を評価してもらいます。学習を自らのものとして,主体的に取り組んでいって初めて,将来に向けてたくましく生きていける子どもに成長してくれると思っております。

 


のびのびと学習するということ


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数学の教師にありがちなのですが,計算の仕方やノートの取り方に,かなり細かく指示だしし,強力に守らせようとする先生がおられます。結論から言うと,私は,子どもたちに一定のルールは説明し,この通りにやってみようと促しますが,あまり強力に従わせようとはいたしません。
もちろん,ベテランの教師のいうとおりに解いていくのが,まちがいやミスが少なくて済む“最良の方法”であると思います。
しかし,私は,いくつかの疑問を感じるのです。
まず,第一に,きちんと先生の解き方を学んでまちがいを一切しないというので本当に良いのかということです。もちろん,繰り返しになりますが,先生のいうとおりに解くというのとても合理的なことです。しかし,それは本当に“学び”なのでしょうか。
私は,つねに子どもたちに成功の喜びとともに,失敗もまた経験して欲しいと思っております。むしろ,失敗から学ぶことは多いのではないかととも思っております。自分自身の過去を振り返ってみると,思い出すと穴に入りたくなるようなこともありますが,しかし,それが恥ずかしければ恥ずかしいほど,あるいは悔しければ悔しいほど,自分を振り返り,自分を変えてきたような気がします。
子どもたちには,親や教師,さまざまな大人な先輩から,素直に学んでもらいつつ,それを金科玉条のように守るのではなく,大いに失敗し,発展させていってもらいたいと願います。
私が,解き方や勉強の仕方にあまり縛らせない2つめの理由は,のびのびと学習してもらいたいということです。
これは,確かにむずかしい側面があります。絶対に間違わない解き方を子どもたちに強力に守らせれば,短時間でテストの点数を上げることができます。とくに中学生くらいには,非常に効果があります。優秀な教師があみだしたテクニックはやはり優れているのです。
逆に,一定程度,子どもたちに解き方や学習方法などを任せ,失敗の経験をさせるとなると,そうはいきません。テストの点数がぐっと上がる子もいれば,良くなるのに1年くらいかかる子もいます。また,上がったと思えば,次は下がったりしたりします。私は,そこで,油断をすれば,点数は下がるのだということを学んで欲しいわけですが,親御さんからすると,やはり心配ですし,おもしろくないということになりがちです。
ただ,多くの生徒を見ていると,
・成績は上がってうれしいけど,細かいところまで指示されるのはいやだ
・言うとおりにしないと怒られるので怖い
などと,かなり萎縮しているのも事実なのです。
小学校も高学年になってくると,子どもたちには,自我が芽生えてきます。まわりの大人からすると,「えらそうに」ということでもありますが,しかし,それは成長の証です。そういう子どもたちに,細かく指示だしし,守らせようとすると,やはり緊張感のある授業になりがちなんですね。
そういう授業においては,子どもたちは,問題を解くことに頭を使うことよりも,怒られないようにすることに頭を使いがちになります。そして,いろいろな側面から疑問を持ったり,解き方を工夫することよりも,覚えさせられたことを忠実に実行するだけになってしまいがちなのです。
私は,勉強するということだけに,彼らの能力を使い切るような,他に何も心配することなく,一生懸命に考えることのできる教室をつくっていきたいと思っています。


もっと勉強ができるようになるために!

私の基本方針は、明白です。

塾は勉強ができるようにするためにある

当たり前なのですが、いろいろな塾や教師をみているとそう当たり前でもないのです。

たとえば、入塾テストを難しくして、すでに勉強をできる生徒を集める塾というのがあります。当然、進学実績もいいのです。そういう塾では、できる子をきたえる授業を行います。勉強ができない子ができるようになるという授業は行いません。

塾の講師の中には、そうした塾の方針と自分の指導方針を整理できていない人がいます。塾自体は、勉強が苦手な生徒も集めているが、教師はできない生徒をできるようにする指導をしない、、、残念ですが、そういうことはよくあることです。

はなゼミでは、入塾テストはもうけておりません。それは、個別指導にちかい少人数クラスであるので、入塾テストは必要ないということと、どんな生徒でも集団の中で伸ばしていく授業をおこなうため、あらかじめ学力を見る必要がないからです。

塾は勉強ができるようになるためにある、だから「できない」ことには徹底的につきあいます。「できない」ことを叱ることは絶対にありません。もちろん、「やらない」ことにはきびしく叱りますが。。。