自分で勉強するスタイルを身につける

中学校は、中間テストがほぼ終わりましたが、高校生はまだのところが多いようです
なぜ分かるかといいますと、はなまるゼミナールでは、卒塾生に自習室を無料で開放しているため、定期テスト前になると、自習室を使いに来る高校生が増えるからです。
豊中市に「進学塾レサンス」という塾があります。「塾のいらない子どもを育てる」という方針で、塾を営んでおられます。私の考えも全く同じです。
はなまるゼミナールは、「学力を生きる力に」というスローガンをかかがえていますが、それは、単に学力をつけて社会を渡っていくと言うことだけではなく、本質的には「独り立ち」できるようにということがあります。
つまり、塾など周りにサポートしてくれる人がいなくても、きちんと社会で通用していく人を育てていきたいと考えています。
はなゼミでは、小学生から通ってくれる生徒が多いですが、次第次第に、勉強の仕方をつかんでくれます。小6くらいになると、大半の生徒は手取り足取りこちらが指示しなくても、勉強をしていきます。
その結果、高校生になっても、自主的に塾の自習室で勉強する生徒が出てくると思っています。まさに、「塾のいらない子ども」になっているわけです。
塾に通わなくても、勉強する場さえあれば、ちゃんと勉強できるわけですから、こんなに「お得」なことはありませんし、そういう場を求める力も、大切な「生きる力」なのではないかと思っております。


「勉強ができる」だけでなく

先日、駅前で、卒塾生のご両親と偶然、お目にかかりました。
お母さんが、目に涙を浮かべながら教えてくれたのは、今、とても元気で明るく高校に通っているということでした。そして、塾でがんばって良かったと今でも言っているということを教えてくれました。
といいますのは、この生徒は、勉強がしづらい子で、中1の入塾時には漢字はあまり書けない、夏前になってもアルファベットすら書けないという生徒だったのです。
そういう生徒でしたが、がんばって授業についてきてくれ、中3の冬の模試では偏差値が50台後半にまで上がり、志望校に合格したのです。
この子が中学生の時は、ほとんどしゃべらない生徒でした。きっと楽しくはなかったでしょう。いや、実際に彼からも聞きましたが、小学生の時には、中学に入ったら地獄だろうなと思っていたようでした。
ところが、高校生になった今では、小中学校での「暗い」感じとは打って変わって、明るく元気に楽しく通っているというのです。
はなまるゼミナールでは、「学力を生きていける力に。」とテーマにしておりますが、こうして「学力」を身につけた今、しっかりと高校生活を送っていると言う話を聞くと、とてもうれしく思います。まさに、この生徒は、「勉強」ができるとかできないということを超えて、「生きる力に」できているのだろうと思っています。


真の教養を身につけるゼミ

ellyhiganbana-20169275_tp_v先日、生駒駅前にあるリード個別指導さんの「教養ゼミ」に無理を言い、参加させていただきました。リード個別指導さんは、駅前にヤギのヤンくんの看板でもお馴染みの塾です。
代表である岩崎先生の教え子の高校生や大学生を中心に、「学校では教えてもらえない」生きた教養を学ぶゼミです。今の時代、そして世界に向き合い、真にグローバルな人間を身につけていくという講座です。
はなまるゼミナールの方針は、「学力を生きる力に」ですが、まさにその方向性は同じであると感じております。私が、高校生や大学生に混じり、「教養ゼミ」に参加させていただいたのは、ここから学んだことを、はなまるゼミナールの小中学生に伝えたいからに他なりません。
いわゆる成績が上がればいい、偏差値が高い学校に入れば良いという考えを私はとりません。高い学力を身につけても、極端に言えば、犯罪に手を染めてしまえば、意味がありません。社会に出たときに、立派な人間として生きていける力をつけて欲しいと思っております。
さて、先日の「教養ゼミ」では、ハンナ・アーレント「独裁体制のもとでの個人の責任」(『責任と判断』収録論文)を、学生が各パートを担当し、レジュメをつくり、話し合いながら理解を深めていきました。また、カナダに留学中の生徒は、スカイプで参加しておりました。
そして、進め方は、教師が一方的に解説するのではなく、参加者個々人が発表しあう形式です。これは、一方的に解説を受けたり、1人で読み進めたりするより、理解が深まります。他者の思考を聞くことができるというのは、その思考の流れを理解でき、自分の思考と照らし合わせ、より深まります。とても良い勉強になりました。
高校受験、大学受験にこだわらず、こうした学びは、参加している学生に色々な意味で大きな力をつけることになると思います。難しい論文を読み取る力、それをレジュメにまとめる力、そして発表する力、他者から意見を聞き再整理する力、最後に筆者の考えを自分のものにしていき、これからの人生に役立てる力などです。
とても素晴らしい機会を提供していただきました。
リード個別指導の岩崎先生、桝崎先生、そして参加された学生のみなさん、ありがとうございました。


4期生の祝賀会

先日、はなまるゼミナール4期生の高校合格祝賀会を行いました。3003
私が大手塾を退職後、はなまるゼミナールを開いたのが、5年前。この子たちは、当時、小学5年生でした。この子どもたちには、本当に色々な思い出があります。
まず、生徒が来てくれるのかと不安に思っていた中、一番はじめに入塾してくれた生徒がこの中にいます。
また、小学5年、6年と教えていても、なかなか模試の偏差値が伸びず、自分には小学生を教える力がないのだろうかと真剣に悩んだのも、この子どもたちに対してでした。しかし、立派に志望校合格を決めてくれました。
さらに、この子たちは、とても仲が良かったのも印象的です。みんなよく勉強もしていましたP_20160323_120852が、よくしゃべり、よく笑っていました。この子たちの授業後に、塾の前を通った方の中には、「ここの塾、ほんとうに勉強教えてるの?」と思われる方もいたのではないかと思うくらい、よくはしゃいでました。また、受験期には、笑うばかりではなく、泣く生徒や励ます生徒などもおりました。

彼らが大人になって高校受験を振り返ったとき、ほんの小さな出来事に過ぎないと思います。しかし、とても大きな経験を積んでくれたのではないでしょうか。
祝賀会では、私が彼らをもてなすはずが、お金を出し合って、ホールケーキを用意してくれました。「小さいけれど」と前置きで渡してくれたケーキは、その大きさではなく、とても重たく感じました。そして、サP_20160323_132221プライズは、ケーキだけでなく、終盤には、寄せ書きまで贈ってくれました。
塾講師のお仕事は、けっして楽なものではありません。学校と違い、気に入っていただけなければ、辞めていくだけですし、「点数ではない、大切なのは生きる力だ」なんて言ったところで、成績が上がらなければ、授業料をいただく価値があるのだろうかと日々考えています。P_20160323_134659
しかし、こうして関わっている子どもたちが、さまざまな形でその思いを伝えてくれると、塾講師のお仕事をしていて良かったなあと思います。
はなまるゼミナールは、地域の方の口コミに支えられて、5周年。この春、6年目を迎えます。
これからも、しっかりと地域の子どもたちの指導に励んでいきたいと思っております。


「人の気持ちがよく分かる」生徒はよく伸びる

Heartful4月10日(金)から、新学年1学期授業が開始します。
新中学3年生は、彼らが小学5年生の時に、はなまるゼミナールを自宅で開校し、ホワイトボードと机やイス以外何もない塾に来てくれました。その彼らも、もう受験生。全員、志望校に合格できるよう、1年を切りましたが、がんばって勉強してもらおうと思っております。
ところで、寝屋川の個人塾友だちのブログが更新されました。
「素直な子は成績が上がると言うけれど」
素直な子は良く伸びる、しかしその上で、「人の気持ちが分かる」子どもではないかという記事です。
同僚や同業者の先生と話をしていると、「あるある」はよくあります。
もちろん、力のつく子は「素直」であるというのもそのうちの1つです。この特徴は、勉強だけではないと思います。野球やサッカーのコーチの話、ピアノや書道の先生の話、素直に聞いて努力する子どもが伸びるのは、当然のことだと思います。
そして、「人の気持ちがよく分かる」生徒は、自分のために言ってくれる人の気持ちが分かるため、その人の思いを裏切らないように努力する、だから力がつくというのです。
本当に、なるほどなという感じです。
こうした優しい気持ち、そして自分を愛してくれる者のために努力できる強い心、こうした姿勢は、「見えない学力」として伸ばしていき、将来の「生きる力に」必要なものであると強く思います。
はなまるゼミナールでも、こうした子どもたちを育てていきたいと思っております。

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答えは、1つだけ?

Think positive! You Can Do It!私は、授業で答え合わせをするときには、なるべく子どもたちに答えを言ってもらうようにしております。それは、子どもたちがどのように表現しているのか、知りたいからです。しかし、すべての問題をそうするわけにはいきません。量を解いてほしいときには、解答を配布し、マル付けをしてもらうことがあります。

子どもたちのマル付けを見ていますと、解答通りでないとマルをしない子どもがおります。しかし、正式の解答しか「答え」はないのでしょうか。

私はそうは思いません。もちろん、国語などはいろいろな表現が許されますので、一字一句解答通りでなくても、マルになる場合もあるでしょう。では、算数はどうでしょう。

たとえば、1+1の答えは「2」です。答えは1つだけになります。しかし、もしある子が

男女のカップルが結婚して、子どもを産んだ。家族は3人になった。だから、1+1=3である

と表現すれば、私は、それは正しいと言うと思います。
もちろん、解答は大切です。しかし、もっと大切なことは考える力であり、表現する力ではないでしょうか。
子どもたちが成長し、大人になり、社会に出たとき、また愛する人と出会い所帯を持ったとき、どこに「正式の解答」があるというのでしょうか。理不尽な「解答」もあります。妥協しなければ得られない「解答」もあるでしょう。子育てにおいて、「子育て本」通りにいかないことなどは当然のことだと思います。大切なことは、「正式な解答」にあわせるのではなく、自分で「解答」を導き出せる力なのではないかと思います。
私は、子どもたちに「生きていく力」を持って欲しいと思っておりますが、それは「正式な解答」に自分を合わせていくことではなく、自分の「解答」を導き出せる力ではないかと思います。

photo by: viZZZual.com

努力の結晶の通知表

Electric Slide今、はなまるゼミナールでは、冬期講習会をおこなっております。

はなゼミの講習会は、基本的に復習しかいたしません。「基本の学習は学校でおこなうこと」を柱にしているため、塾で先に進み、学校の授業をおろそかにしてしまわないようにするためです。

さて、終業式が終わり、小学生が通知表の報告をしてくれます。

「先生、『よくできた』が増えた!」「『よくできた』が○○個になった!」

と、評価が上がったことを報告してくれます。そして、私も一緒に喜びます。

しかし、実は、私は子どもたちの評価が上がったことを喜んでいるのではありません。子どもたちががんばって評価が上がったと喜んでいる姿を喜んでいます。

確かに、『よくできた』という評価が増えることはいいことであると思います。しかし、逆に言えば、それだけのことです。ですので、子どもたちは『よくできた』という評価の数を報告してくれるのですが、子どもたちに『よくできた』の数を増やしなさいとは言ったことはありません。

子どもたち自身ががんばって、評価され、それが喜びとなる、その過程こそがすばらしいと思っております。

長い人生の中で、いくらがんばっても評価されない、あるいは結果が出ないことなど、山ほどあります。まず、最初に経験するのは、受験でしょう。

ソロバンや英検、漢検などは、がんばって力がつけば必ず「合格」できます。しかし、受験はちがいます。定員がある以上、自分より優秀な人間が多くいれば、自分がいくらがんばっても「合格」できるとは限らないのです。

今年はオリンピックがありましたが、オリンピックも然りです。日本で一番だからといって、オリンピックでも一番になるとは限りません。

それでは、それまでの努力は意味が無いのか。

私は決してそうは思いません。しっかりと努力していれば、かならずどこかでその成果が現れるはずです。いや、現れるような人生を送るべきなのです。

先日も、ニュースで柔道のメダリストが破廉恥な事件で逮捕され、その判決が出ると報道されておりましたが、様々なものを我慢して柔道を続けてきて、メダルを取って終わりではなく、その努力の過程、メダルを取った経験を人生に生かすことができなければ、努力もメダルもまさに水泡に帰すると言わざるを得ません。

受験はある種、先にも書いたように必ず報われるとは限らない厳しい世界ですが、今やっている学習が、子どもたちの人生において、何があってもたくましく生きていける堅い基礎となることを願ってやみません。

 

photo by: kretyen

子どもの可能性を追求する

以前の記事で、かつて私が学習障害の家庭教師をした経験について書きました。幼少の頃に、「大きくなっても言葉も話せない」と医者に診断された子どもの家庭教師を中3~高3までおこない、のちに薬剤師になったことです。
私は常々、このときの経験を反芻いたします。今でも、私の指導原理の「教本」ともなる経験だからです。
彼の母親は、医者に「言葉すら話せるようにならない」と診断されながらも、希望を失わず、可能性を追求し、さまざまな教材や教具を使って、我が子に言葉を教えていきます。私は、彼の母親からそういった苦労話を涙抜きに聞くことはできませんでした。本当に、大変な苦労をされていました。しかし、今、思うのは、彼の母親が常に「我が子の自立」を見据えて努力されていたことです。
彼が幼少の頃、「言葉の獲得」に大変ご尽力なさっておられたのですが、私が家庭教師として雇われたときには、「この子が大人になったときに困らないよう、医歯薬系の大学に入れて、手に技術を付けて欲しいと思っている」と強く言われました。
彼と始めてあったときは、中学3年生の時、当時で彼は自分の住所の漢字すら書くのが怪しい状態でした。しかし、お母さんははっきりと「将来困らないように医歯薬系の大学」とおっしゃられました。
私もその母親の気持ちは痛いほど分かりましたし、そもそも「この子にはムリだ」と子どもの可能性を勝手に決めつけたくありませんでしたから、大変な苦労をしました。もちろん一番大変だったのは、教えられる彼だったと思います。
私が最も気を遣ったのは、彼への「負荷の度合い」でした。体力にせよ、学力にせよ、力を付けるには「負荷」をかける必要があります。しかし、同学年の子どもたちからすると、学力面で何年も遅れている彼にどの程度の負荷をかけるのか、ここが大変苦労しました。彼の学力の遅れに目を向けすぎると進歩の妨げになり、だからといって先を見すぎて「ここまではやらないとアカン」と急ぎすぎると「オレはどうせやってもムダだし、何もわからへんねん」と彼のプライドをつぶし、ひいては伸びる可能性をなくしてしまうかも知れないからです。
彼の現状を正確に把握した上で、どの程度の負荷をかけていくのか、これがすべてと言って良いほどでした。
本当に、苦労して苦労して、高校に合格し、高校3年間もかなりのスパルタで学習を進めました。もちろんスパルタといっても、無理難題をふっかけるわけではありません。しかし、彼にとっては、きっとスパルタそのもので、ムチャクチャがんばってやっとクリアできるかできないかというギリギリの学習を3年間続けました。
そして、その結果、とある私立大学の薬学部に合格しました。現在、薬剤師になっております。
私は、こうしたやり方が良かったとは今でも思っておりません。確かに、「言葉が話せない」といわれた少年が薬剤師になったことは感動的です。しかし、当事者、つまり彼や私にとっては、本当に大変な3年間だったからです。
他にもっと幸せを探る道はなかったのか、あったかも知れません。
しかし、これほどまでにスパルタで学習を進めるのはどうかと思いますが、一定の負荷は必要ではないかと思っております。
最近、こんな話を耳に入れました。
発達障害の我が子を心配するあまり、子どものつまづきを察知し、母親が前もってそれを阻止されるのです。
「これは、我が子にはムリだからやらせない」「最近、学校がストレスになってきているから休ませる」「○○ちゃんと話をすると、こだわりすぎるのでつきあわせない」云々
もちろん、親が一定の防波堤になることは必要だと思います。しかし、あまりにも「荒波」を避けてしまいすぎると、必要な「負荷」まで除去してしまうのではないかと心配してしまいます。
親が我が子の一生を「防波堤」として守り切れるのであれば、それもまたいいかもしれません。しかし、たいていの場合は、親の方が先に死にます。その後、その子は「防波堤」抜きに生きていかないといけないのです。
子どもが子ども時代に、世の中で生きていく、他人と生きていく学習をつんでいかないと、大人になったときからでは遅すぎるのではないかと思います。
はなまるゼミナールでは、発達障害の児童も多数預かっております。そして、集団の中で指導しております。もちろん、他の子とまったく同様に指導はしておりませんが、彼らの「ギリギリ」をつねに意識し成長を促す指導を心がけています。
もちろん「言葉」で言うほどかんたんではありませんし、「正しい答」などありません。

すべての子どもには可能性があり、程度はあれども、その可能性を追求していくことで何かしらの答えが出てくるのではないかと強く思うのです。

photo by: Markusram

新たな世界に身構えよ

新学年をむかえる子どもたちの国語の教材から

身構えているもの

宮沢章二

早春の風の声を 胸に受けとめながら

ひとりひっそりと呼吸を整え

力を溜めて 身構えているものたち

枝の先の 新しい花のつぼみ

薄ら氷の下の 小川に育つさかな

厚い土のなかの 若草の芽

自分の呼吸は自分で整えなければならない

自分の力は自分で溜めなければならない

―― それこそ 自らが生きている証拠

開こうと身構えているものたちの

泳ぎだそうと身構えているものたちの

伸びようと身構えているものたちの

熱い気迫が むんむんとあふれる……

そんな早春の大地に私も立っている

一昨年まで所属していた塾の教え子たちから、「合格しました!」メールが続々と来ています。まずは、高校に合格したことが良かったと思います。そして、新たな世界の中で、自分らしさを磨き上げ、社会で活躍できるように祈るばかりです。

自分の呼吸は自分で整え、自分の力は自分で溜めていく

これこそが、真の自立であり、まさに生きている証拠です。

今、私が預かっている子どもたち、学年が上がる子、小学生から中学生になる子、それぞれが自立した1人の人間になっていけるよう、最大限の援助をしていこうと思います。

新たな世界に踏み出す子どもたちに心から祝福とエールを送ります。

photo by: robynejay