自分で勉強するスタイルを身につける

中学校は、中間テストがほぼ終わりましたが、高校生はまだのところが多いようです
なぜ分かるかといいますと、はなまるゼミナールでは、卒塾生に自習室を無料で開放しているため、定期テスト前になると、自習室を使いに来る高校生が増えるからです。
豊中市に「進学塾レサンス」という塾があります。「塾のいらない子どもを育てる」という方針で、塾を営んでおられます。私の考えも全く同じです。
はなまるゼミナールは、「学力を生きる力に」というスローガンをかかがえていますが、それは、単に学力をつけて社会を渡っていくと言うことだけではなく、本質的には「独り立ち」できるようにということがあります。
つまり、塾など周りにサポートしてくれる人がいなくても、きちんと社会で通用していく人を育てていきたいと考えています。
はなゼミでは、小学生から通ってくれる生徒が多いですが、次第次第に、勉強の仕方をつかんでくれます。小6くらいになると、大半の生徒は手取り足取りこちらが指示しなくても、勉強をしていきます。
その結果、高校生になっても、自主的に塾の自習室で勉強する生徒が出てくると思っています。まさに、「塾のいらない子ども」になっているわけです。
塾に通わなくても、勉強する場さえあれば、ちゃんと勉強できるわけですから、こんなに「お得」なことはありませんし、そういう場を求める力も、大切な「生きる力」なのではないかと思っております。


塾で何を学ぶのか~~暗記の仕方ではなく思考力の育成(2)

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さて、もうひとつ、SNSで衝撃的なことを知りました。
それは、右の図1のような図において、斜線部分の面積を求める問題でのことです。この手の問題はよくある問題ですが、工夫をすることで、求めることができます。
ところが、中学受験の算数において、次のような「テクニック」を塾が教えているというのです。
「1辺の0.57倍が斜線部分の面積である」
つまり、1辺が10cmであれば、斜線部分は5.7cm^2とあっという間に答えが導き出されるのです。
しかし、私は、この「テクニック」にとても疑問を感じます。
まず、この問題は、図2のように分解し、おうぎ型の面積から、オレンジ色の直角二等辺三角形の面積を引いて求めるという工夫をして解くという問題であって、0.57倍などという暗記問題ではなありません。また、0.57倍などという数字に意味はなく、そんなことを覚えても無駄な知識でしかないのです。さらには、1辺の“長さ”を5.7倍して、“面積”を求めるということは、数学的には大きな問題ではないかと思います。少なくても、小学生の単位系を正しく定着させることにはなり得ません。
私たちは、何のために勉強しているのか、それは、大人になったときにぶち当たる問題を解決するためだと思っています。異性との付き合いにせよ、アルバイトにせよ、子育てにせよ、会社勤めにせよ、どんなことにおいてもマニュアルや例題を暗記して「解ける」ほど簡単な「問題」にはぶつかりません。やはり、自分の頭で考え、工夫をすべきなのです。
こんな「テクニック」を教えることで、子どもたちは「何を学ぶ」のでしょうか? 一見難しそうに見える問題でも、こうした「必殺技」が必ずあるということでしょうか? 有名塾に入れば、「必殺技」を教えてもらい、簡単に問題が解決できると言うことでしょうか。努力せずとも、簡単に問題解決できる道があるということでしょうか。
いずれにしても、子どもたちの「生きていける力」にはなりそうにはありません。

はなまるゼミナールでは、小手先の「テクニック」は教えません
時々、子どもたちの方から
「○○塾の友だちが、××というやり方が楽だと言ってたので、教えて欲しい」
といわれることがあります。
その××というのが、大切なテーマを含んでいれば、解説するのですが、ほとんどは小手先のテクニックなので、そういう場合は
「それは、暗記物みたいなことで、覚えても仕方ない。君たちは、もっと本質的なことを学び、中学、高校、大学、社会人になっても通用するような勉強をして欲しいので、教えません」
と答えます。
私は、子どもたちには、小手先のテクニックではなく、「生きていける力」になるような「見えない学力」を、はなまるゼミナールで身につけてもらいたいと思っております。


真の教養を身につけるゼミ

ellyhiganbana-20169275_tp_v先日、生駒駅前にあるリード個別指導さんの「教養ゼミ」に無理を言い、参加させていただきました。リード個別指導さんは、駅前にヤギのヤンくんの看板でもお馴染みの塾です。
代表である岩崎先生の教え子の高校生や大学生を中心に、「学校では教えてもらえない」生きた教養を学ぶゼミです。今の時代、そして世界に向き合い、真にグローバルな人間を身につけていくという講座です。
はなまるゼミナールの方針は、「学力を生きる力に」ですが、まさにその方向性は同じであると感じております。私が、高校生や大学生に混じり、「教養ゼミ」に参加させていただいたのは、ここから学んだことを、はなまるゼミナールの小中学生に伝えたいからに他なりません。
いわゆる成績が上がればいい、偏差値が高い学校に入れば良いという考えを私はとりません。高い学力を身につけても、極端に言えば、犯罪に手を染めてしまえば、意味がありません。社会に出たときに、立派な人間として生きていける力をつけて欲しいと思っております。
さて、先日の「教養ゼミ」では、ハンナ・アーレント「独裁体制のもとでの個人の責任」(『責任と判断』収録論文)を、学生が各パートを担当し、レジュメをつくり、話し合いながら理解を深めていきました。また、カナダに留学中の生徒は、スカイプで参加しておりました。
そして、進め方は、教師が一方的に解説するのではなく、参加者個々人が発表しあう形式です。これは、一方的に解説を受けたり、1人で読み進めたりするより、理解が深まります。他者の思考を聞くことができるというのは、その思考の流れを理解でき、自分の思考と照らし合わせ、より深まります。とても良い勉強になりました。
高校受験、大学受験にこだわらず、こうした学びは、参加している学生に色々な意味で大きな力をつけることになると思います。難しい論文を読み取る力、それをレジュメにまとめる力、そして発表する力、他者から意見を聞き再整理する力、最後に筆者の考えを自分のものにしていき、これからの人生に役立てる力などです。
とても素晴らしい機会を提供していただきました。
リード個別指導の岩崎先生、桝崎先生、そして参加された学生のみなさん、ありがとうございました。


『起死回生の家庭教育』

私が通っていた中学校に当時、少し変わった先生がおられました。いろいろなエピソードがありますが、今でも良く覚えていることは、生徒にむかってことあるごとに「三歩下がって師の影踏まず」と説教をされておられました。私は、「尊敬」というものは、「上から押しつけられる」ものではないと思っております。小学6年生のときの担任は授業の大半を「居眠り」される方で、とても「尊敬」できるような教師ではありませんでした。授業は、教室の前に置かれたテレビに流れるNHKの小学講座を見せられることが多かったですし、いまだによく覚えているのは、国語の授業の際に音読をある生徒に当てたまま眠ってしまい、彼は延々と本を読まされたことです。そんな教師に対しても、「三歩下がって、、、」なんてとても思えるものではありません。
私が塾に通うきっかけとなったのは、この先生が担任になると分かった小学6年生のときでした。こうしたことを考えると、やはり「尊敬」の念とは、他人から押しつけられるものでは決してなく、心の奥底から自発的に出てくるものであり、それゆえに非常に尊いものであると思っております。
ところで、私には、3人の恩師がおります。この先生方がおられなければ、今の私はなかっただろうと思うのです。私自身、もういい年になってしまいましたが、今なお、その先生方にお目にかかると、緊張して仕方がありません。
成績不振、受験失敗、イジメ・不登校 起死回生の家庭教育』は、当時、小学6年生の私たちに熱意と愛情を注いで教えていただいた太田明弘先生の本です。
今、はなまるゼミナールには、たくさんに子どもたちが通ってきてくれております。その中には、親御さんが「我が子の学力」をたいへん心配され預けていただいているお子さんが多数おられます。この本を読むと、私の教育にかける思いは、まさに太田先生から伝えられた魂であると実感せざる得ません。
教育に必殺技のようなものはないと思います。しかし、「成績不振」「受験失敗」「イジメ・不登校」そして「子どもの自立」に向けて、悩まれていろ保護者の方には、ぜひご一読していただきたいと思います。何らかのヒントが得られると確信いたします。

子育てや教育において最も大切なことは、どのような崖っぷちに立たされようとも親は希望を失ってはならないということです。親が諦めたら、その段階で子どもの教育は終わってしまいます。いかに失意や落胆が重なろうとも、子どもが大人になるまで、子どもの可能性を信じ、打てるだけの手を打ち尽くすということが大切なのです。『起死回生の家庭教育』「はじめに」より引用

photo by: mshamma

《続》子どもの要望をどう考えるか

以前の記事「子どもの要望をどう考えるか」で、テスト直前の授業でやってほしい内容を子どもたちに聞くと書いたところ、次のようなご意見をいただきました。

自分の意見の言える子どもは良いが、言えない子どもはおいてけぼりではないか

こうした保護者の方の気持ちはよく分かります。また、以前の記事の中での保護者からのクレームの内容も、私は上記のようなものではなかったかと思っております。

しかし、子どもの教育を考える場合、10年後、20年後を考えていかないといけないと思うのです。

たとえば、どうしても人前で意見や要望を言うのが苦手であるという子どもがいたとしましょう。その子は、できることなら、中学、高校、大学と年を経るにつれ、しっかりと発言できるようになっていくのが望ましいと私は思います。しかし、どうしてもできなければダメなのか。私は、そうは思いません。中学、高校、大学と経るに従い、「意見や要望を言うのが苦手な自分でもやっていける能力」を身につけていけば良いだけのことだと思います。しかし、自己を表現するのが苦手な子どもが「苦手でもやっていける術」を身につける前に、親が「うちの子はそういうのが苦手なのだから、そういう場をつくるのは止めてほしい」と出てきて、教師がその通りに従えば、その子は、「自己を表現するのが苦手でもやっていける術」を身につけずに終わってしまいます。

しかし、そうした子どもでも、いつかは社会に出るのです。社会に出たとき、あるいは結婚して新たな家庭を築いたときに、「自己を表現するのが苦手でもやっていける術」がなければ、その子はどうなのでしょうか。やはり、他者との関係を築きにくくなり、生きにくくなるのではないでしょうか。

私は、子どもはいろいろな失敗をしながら、たくましさを覚えると思っております。私自身も今思えば、幼少の頃、思い出すだけでも赤面するようなことをたくさんしてきました。そのたびに、親が謝罪してくれたりして、「親としての責任」を果たしてくれていたのだと思うと、申し訳ない限りです。しかし、一方でそのようにしてさまざまな経験を蓄積したと思っております。

子どもがつまずく前に、親が先に出てきて支えてしまえば、子どもは「なぜつまずくのか、どうすればつまずかないですむのか」学ぶことができません

私は、時々、親御さんにこういうことがあります。

自分が会社の経営者、あるいは責任者だとして、自分の子どもを雇いたいと思いますか?

自分の子の成長を見るのに、ひとつの尺度にはなるのではないでしょうか。つまり、雇いたいと思える、あるいはそういう側面があれば、その子は社会で通用できるのです。能力的な側面、人格的な側面、いろいろと判断材料はあると思います。一概には言えないと思いますが、少なくても、つまずいたときにあるいはつまずきそうなときに、自分で判断し、立ち上がっていくような子どもが、この厳しい社会の中でも乗り切っていけるのではないかと思うのです。


「本人の前を保護者が歩いていて困る」

ベネッセの教育情報サイトに安田理さんという方が、「本人の前を保護者が歩いていて困る」という記事を書いておられました。

日本社会のあり方がかなりのスピードで変化し、将来の社会像も不透明になっています。そんな中、さまざまな場面で格差も広がってきております。それだけに、保護者の方々は、いろいろとしらべたり、考えたりして、我が子の将来を少しでも安定したものにしてあげるためにご苦労をされています。

しかし、そうしたご苦労が、実は「子どもたちがその成長に合わせて、苦労したりする機会を奪っていく」現実を危惧されています。安田さんはこう言います。

こうして保護者のかたが前を歩き、保護者のかたが決めて、お子さまがその敷かれたレールの上を素直に歩いた時に、下のような大学生になってしまうことが多いのです。

・履修届けを一人では出せない
・友達づくりも大学がお膳立てしないとできない
・課題研究では、何をやっていいかわからない
・個人では優秀でも、グループで協力することが苦手で、グループ研究ができない
冒頭に述べたような社会状況から、つい心配して手を出したくなります。しかし、それはこれまでにお話ししたように、お子さまを一人前の大人にするうえではまったく逆効果なのです。

現代の大学生の現状であると思いますが、やはりこうした学生が多いことには危惧せざるを得ません。私も大学生になった教え子と話をしていて驚いたことがありました。それは、大学側が学生に自己紹介カードを書かせて、冊子をつくり、それを元に「友だちをつくる」お膳立てをし、さらにはコンパまで決めるというのです。それを教えてくれた彼女は、「なんで、こんなことして、友だちをつくらなあかんねん」と言っていましたが、本当にそうです。しかし、逆に言うと、大学側がこうした工夫をしてあげないと、友だちすら作ることができない、あるいは同級生とのコミュニケーションがとれなくなってきた学生が増えてきたということなのでしょう。

しかし、大変なのは、この学生は数年後、就職して社会に出るわけです。大学に「友だちづくり」までお膳立てされてきた学生に、本当に会社勤めが勤めるのでしょうか。はなはだ疑問です。いったん、就職をすることはできても、会社が「使い物にならない」と判断した人間は「みずから辞めざるえない」ような仕事をさせて退職に追いやります。退職に追いやられた者は、「崖から突き落とされたライオン」のようにみずから這い上がってこなければなりません。しかし、目の前にある崖が見えることができれば、苦労しながらも這い上がってこれるでしょうけれど、「なぜ、突き落とされたか分からない」場合は、次の会社でも同じように「突き落とされる」かも知れません。

子どもたちには、中学、高校くらいの間で、できるだけ多くの社会経験、とりわけ様々な苦労や失敗などを繰り返しながら、社会に出て失敗したには、自力で解決していけるような人間へと成長してもらいたいものです。

そうあるためには、お子さまの前を歩いていくことよりも、そっと脇道で見守ってあげる方が良いかもしれません。

photo by: fakelvis

子どもの学習と親の関わり方【2】

3つめのグラフは《「勉強しなさい」という声かけと子どもの学習時間の関係》となっています。
ここで、確認したいのは、小学校低学年までは、「勉強しなさい」という声かけをした方が、勉強時間が長くなる傾向にあるのに対して、中学生においては「勉強しなさい」と声かけをしない方が勉強時間が長いということです。

私は、これを子どもの自立の問題と考えます。
つまり、小学生低学年は、まだまだ親御さんが「育てる」という側面が強いのに対して、中学生くらいになると自立心が出てくるので、むしろ子どもの自立心を信用するくらいの方が子どもは自律的に学習するということではないかと思うのです。

さて、問題は、子どもが自律的に学習できるようになるのはいつ、そしてどのようにしてかということではないでしょうか。
グラフを見ると、小5~小6あたりが「我が子を信頼して手を離していく」時期なのではないかと思います。とすると、小4あたりから「なぜ勉強するのか」など、子どもが自律的に勉強できるような話をしていくと良いのかも知れません。

4つめは《子どもと将来や進路について話をする》グラフです。
はなまるゼミナールでは、コーチングに基づき、授業を進めております。したがって、「なぜ、勉強しなければならないのか」「宿題はなぜあるのか」などを適宜、子どもたちに話しながら、子どもたちの自立を促しております。先日も、小学6年生に「中学生に進学するにあたって」という講義をしました。子どもたちが、緊張感とともに顔つきが締まっておりました。また、保護者の方からも、「家に帰ってからいろいろと話をしてくれ、中学生になったらついて行けるかと心配だったが、少し安心した」などと言ってもらっております。

私は、子どもたちには、その段階に応じて、「将来や進路」の話はかならずする必要があると思っております。
さて、グラフにおいては、小5、小6においては8割近くの親御さんが子どもと「将来や進路」の話をしておられます。中3生では9割を越える方が話をしておられるのですが、中3になってからでは少し遅いのではないかと私は思います。

というのも、どこの高校に行くかで一定程度、人生の幅が決まってきます。当然、高校で人生のすべてが決まるわけではありません。しかし、高校によって合格する大学はだいたい決まっていることから考えると、中3までには一定の目標を設定した方が良いのではないかと思います。中3で「将来や進路」の話をし、「それなら大学に行かなきゃね、じゃあ○○高校に通おう」となったとしても、その時点で実力や成績が間に合っていれば良いですが、間に合っていなければ、なんのために「将来や進路」の話をしたか分かりません。まるで、「無理である確認」をしたかのようになってしまいます。

理想を言うと、小6あたりから段階を経ながら、中2くらいまで少しづつ「将来や進路」について話し合いながら、学力をつけていき、最終的に中学3年生では「夢や希望」に見合う高校を受験するという形が良いのではないかと思います。

最後のグラフは、《子どもと将来や進路について話す割合と学習時間との関係》です。
大変興味深いのは、若干の変動はあるものの、小学1年生~中学3年生において、すべての学年で「将来や進路」について話をしている子どもほど、学習時間が多いということです。

とりわけても注目すべきは、小4~小6にかけては「将来や進路」について話をすれば、子ども自身がきちんとそれを理解し、学習に励んでいる様子がうかがえます。うまく子どもたちが自律的に行動している証拠でしょう。

しかし、よく考えてみると、当たり前のことかも知れません。人間は、本来、みずからの頭で考え、行動する動物ですから、「頭ごなしにやりなさい」と言われるよりも、「理由が分かった上でみずからやる」方が人間の特性に合っていると思います。

ただ、中1、中2においては、学習時間は下がっています。この辺りで、さきに書いたように「勉強しなさい」と親御さんが言わざる得ない状況が分かります。本来なら、自分の「夢や希望」に向かって、さらに学習に励まないといけないのですが、なぜだか下がっております。

この原因の1つは、「話す内容」にあるのではないかと思っております。中学生というのは、義務教育が終わる学年であり、いわば「大人になるための練習期間」でもあります。ほとんどの中学生が高校進学する時代であるとは言え、希望すれば、就職することだってできるわけですし、実際にしょうなりといえども社会人になる子どももおります。周りの大人はそうした中学生を「大人への訓練生」として見る必要があります。

つまり、小学生に話す内容に比べ、中学生に話す内容は「子供だまし」のようなものではなく、現実的でないといけないと思うのです。しかし、むずかしいことは、あまりにも現実的すぎるのも良くありません。子どもたちは、まだまだ磨けば磨くほど光る原石なわけですから、「夢や希望」を残しつつ、リアルな「将来や進路」についての話をしてやる必要があるのではないでしょうか。ここで、「小学生のときに言っていた内容と変わらないこと」を言っていると、子どもたちに見透かされてしまい、逆効果になってしまうかも知れません。

ただ、中学生は思春期でもあり、むずかしい年頃です。親がいくら良いことを言っても、子どもは聞く耳を持たない年頃です。むしろ、こうした時期には、学校や塾の教師、あるいは親戚など、ちょっと距離の離れた人に「少し将来や進路」について話をしてもらった方が良い時期かも知れません。

ですが、グラフを見る限り、中学3年生になると、また、学習意欲に燃え、勉強するわけですから、中1、中2で「反抗的になった」と嘆くのではなく、もう少し長い目で見ていく必要があると思います。

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子どもの学習と親の関わり方【1】

Benesse教育研究開発センターが、「第4回子育て生活基本調査」の結果から、「子どもの学習面と親の関わり方」をまとめています。興味深い内容ですので、少し考察したいと思います。(グラフはクリックで拡大します)

 まず、《子どもの勉強時間と、母親が子どもの勉強を見る時間のグラフ》からです。
このグラフから、私が注目した点は、小学5年生から学習量がグッと増えて、中学2年生まで、その学習量は変わらないということです。
小5といえば、中学受験生が本格的に学習を始めるということもあると思いますが、本質的には、小学5年生からの学習はかなり本格的になり、それなりに時間をかけないといけないということであると思います。

確かに、国語にしても、算数にしても、内容がより抽象的になり、むずかしくなります社会も理科も本格的な学習になります。小5と小6の学習がやはり重要なポイントであるということでしょう。

さらに、小学5年生から、しっかりと学習をつんでいれば、中学1年と2年はその延長で一定乗り切れるということでしょう。1日75分前後の勉強時間というのは、そう悪くはないと思います。ただ、小学校時代と比べ、教科も内容も増えることも考えると、もう少し学習時間があっても良いかなとも思いますが、大切なことは時間ではなく、内容・質ですから、きちんと計画的に毎日75分ほど学習していれば、かならず力になるはずです。

また、3つめに、中学3年生になると、学習時間がグンと増加しています。だいたい、毎日2時間くらいは勉強すると考えても良いのではないでしょうか。以前、教室責任者として勤めていた教室では、中学3年生は本当によく勉強していました。秋以降ですと、夕方から塾が閉まる22時まで、食事の時間はいったん帰るものの、4~5時間は勉強していたのではないでしょうか。

次に、母親が子どもの勉強を見る時間についてです。
小学1年~4年までは、ほぼ1日30分くらいは母親がついて子どもの勉強をみていることが分かります。当然のことながら、学年が進むにつれ、子どもの学習時間は増えますから、小学1年生では「子どもの学習時間」と「母親が見る時間」がほぼ同じなのに対して、小学4年生くらいになると、親が見る時間とほぼ同じ時間を子どもが1人で勉強しています。

さらに学年が上がるにつれて、母親が子どもの勉強を見る時間は減少していっています。

《学習面での母親の関わりのグラフ》を見てみましょう。

面白いことに、小学1年~6年と学年が上がるにつれ、「勉強しなさい」という声かけが減っていきますが、中学生になるとまた増えています。やはり、このあたりに母親の子どもに対する心配が現れています(右のグラフの青い線)。

しかし、逆に言うと、少し大人びてきた子どもたちの「親に対する反発」も見られるのではないでしょうか。
さらに、学校の宿題と夏休みの宿題を手伝うかどうかのグラフ(赤い線)がありますが、学年が上がるにつれ手伝う割合が減っているものの、中学3年生の夏休みの宿題を手伝う母親が2割以上おられるのが気にかかります。受験を控えた夏休みで、宿題の量はとても多いことは想像できるのですが、ここは親御さんとしてはグッとこらえて、子ども自身にやらせてみることが必要ではないかと思ったりします。というのも、宿題での苦労はやはりした方が良いと思うからです。無理に苦労する必要はないとは思いますが、それでも子どものうちに一生懸命頭を悩ましたり、同じ問題を何十分も考えたり、いろいろな方法でしらべたりする経験も、大人になっていく上で貴重な経験と考えます。

《つづく》


困難に直面するのは、とっても素晴らしいこと!

Heart
Creative Commons License photo credit: seyed mostafa zamani

我が子を困難に直面させたくないというのが、親心ではないでしょうか。そのため、親は予防線を張り、我が子が困難に直面しないようにあらかじめ注意をしたりします。
しかし、どうでしょうか。私は、一定程度、子どもは困難に直面すべきであると思うのです。それは、成長したときに「真の困難」に出会ったときの訓練として、また親がいる、まわりに大人がいる間に「困難」に対する耐性を今のうちに身につけておいた方がいいのではないかと思うのです。
私は、子どもたちによく言うことがあります。

テスト勉強なんて、簡単なんだ。テストに出ることなんて決まっているんだから。でも、君たちが大人になってから出会う様々な問題には「答え」がない。その答えが書いてある教科書なんてない。だから、今、いろいろ勉強したり、経験したりして、学んでいるんだ

できれば、子どもたちには、いろんな「困難に直面」してもらい、できれば自力で解決していってほしいと思っております。そうした経験が、子どもたちを大きく強く鍛え上げ、将来、大変な困難に直面しても乗り越えていける力になると信じております。


ふところの広い子どもに育って欲しい

Niños de Tilcara saliendo del cole
Creative Commons License photo credit: zaqi

授業をしておりますと、ときおり外から少年の奇声が聞こえることがあります。
すると、小学生が「あっ、○○(名前)や」と笑い出したりすることがあるのです。

そういう場面を何度か見てきた私は、疑問に思い、

「その子は学校の授業中でも叫んだりするの?」

と聞いたところ、そうだと答えます。で、子どもたちの話題は彼の話で盛り上がります。

そんな中、生徒の1人がその「奇声の彼」を否定するようなことをいったので、私がいさめると、他の子が

「なあ、先生、文化やんな」

と私の意見をフォローしてくれたのです。私は思わず「その通り!」と叫んでしまいました。

かつて国語の授業で「個々の文化」についての問題を解いたことがあったのですが、その時に、

「相手の文化を好きになれなくても、認めなくてはいけない。それぞれの家、家族、地域、民族、国家、さまざまな文化が存在する。たとえば、君たちの家では当たり前にやっていることでも、他の人からすると《そんなの変だ》ということもある。自分の家でよく食べるものでも、他の人は食べたことのないものだってある。それを頭から『おかしい!』といわれたら、腹が立つやろ。だから、たとえ自分が理解できなくても、相手の文化は尊重してあげないとね」

という話をしたことがあったのです。 この話を覚えていてくれたのでしょう。とてもうれしくなりました。

世界の経済はますます国際化していくでしょう。先にタイでたいへんな洪水がありましたが、その報道を見ていると、本当にたくさんの日本企業と日本人がタイで働いているんですね。大企業だけでなく、中小企業もタイに工場を持っていたりします。この洪水をきっかけに、一部の生産を日本に持ってくる企業もあるそうですが、そうするとその生産に関わる日本人技術者がいないために、タイ人技術者を日本に連れてきて、日本人に技術を伝えていく必要があるそうです。

今後、ますます国内に外国人が増え、ふれあう機会、あるいはともに学んだり、仕事する機会が増えるでしょう。ひょっとすると、上司が外国人だってこともあるかもしれません。

拡大する国際化社会の中で、子どもたちには、自らの文化を大切にしながら、他の人の文化も大切にできるような「ふところの広い」心を持ってもらいたいと思っております。